第5話
衛生改革と農業改革を始めて数ヶ月が経過した。エール村では、目に見える成果が現れ始めていた。
まず、熱病や下痢などの病気が明らかに減少した。特に子供たちの健康状態が向上し、学校(私が教会と協力して始めた、簡単な読み書きや計算を教える場所)に通える子供が増えた。
「お嬢様のおかげで、うちの子が元気に学校に行けるようになりました! ありがとうございます!」
母親たちが私の手を取って感謝を伝えてくれる。かつて社交界で浴びた蔑みの視線とは真逆の、純粋な感謝の言葉が、何よりも私の力になった。
農業も同様に、成果が見え始めていた。輪作と堆肥のおかげで、土地が肥え、作物の生育が明らかに良くなったのだ。特に、この地域ではあまり収穫量の多くなかった麦の穂が、今年は例年よりも大きく実っていた。
「信じられねぇ…! こんなに実が詰まった麦を見たのは初めてだよ!」
「堆肥ってやつは本当にすごいんだな!」
村人たちは歓声を上げ、互いの畑の麦を見比べて喜んでいる。最初は半信半疑だった彼らも、目の前の成果に驚き、そして私の指示を信じるようになった。
エール村での成功は、あっという間に領地内の他の村にも広まった。隣村の村長がエール村視察に訪れ、その変化に驚き、自分の村でも改革を取り入れたいと申し出てきた。
改革は徐々に領地全体に広がり始めていた。私はエール村での経験を元に、他の村にも合わせた指導方法を考え、セバスチャンや領地内の有志と共に、領地中を飛び回った。
(順調すぎるくらいだわ…この調子でいけば、数年後には見違えるような領地になるはず)
そう思っていた矢先、新たな問題が発生した。
隣接する侯爵領で、原因不明の疫病が流行し始めたという報告が入ったのだ。熱、嘔吐、発疹…感染力も強く、多くの領民が苦しんでいるという。
「お嬢様。侯爵様から救援の要請がまいりました。医師と薬を分けて欲しいと…」
セバスチャンが深刻な顔で報告する。
「疫病、ですって?」
私は前世の知識を総動員して考える。この世界の病気は、現代の知識から見れば衛生環境の悪化や栄養不足が原因であることが多い。隣領で流行している疫病も、きっとそれに起因するものだろう。
「領地内の医師は、隣領に送れるほど余裕がありますか?」
「いえ…我が領地でも、まだ十分な医師がいるとは言えません」
私の衛生改革のおかげで病人は減ったが、医師の数は元々少ない。簡単に送ることはできない。
(どうする…? 助けを求められているのに、無視するわけにはいかない。でも、我が領地で疫病が蔓延するリスクも高まる…)
私は考え抜いた末、一つの決断を下した。
「セバスチャン。医師を送ることはできません。しかし、別の方法で救援を行います」
「別の方法、ですか?」
「ええ。我が領地で取り組んできた衛生改革を、隣領にも伝えるのです」
セバスチャンは驚いた顔をした。領地間の技術や知識の共有は、この世界ではほとんど行われない。ましてや、疫病という非常時に、自分たちの「秘訣」を教えるなど、通常では考えられないことだ。
「ですが、お嬢様…それは、我が領地の優位性を失うことに繋がりかねませんが…」
「いいえ。隣領の疫病を放置すれば、必ず我が領地にも飛び火しますわ。根本的な解決は、彼らの衛生環境を改善することなのです」
それに、この行動は、かつて私を「悪女」と断罪し、追放した王都の貴族たちに対する、静かなる反論にもなる。私は、彼らが軽蔑した「辺境の領地」で、人々の命を救うことができるのだと。
私はセバスチャンに指示し、疫病の症状と、我が領地で行っている衛生対策(煮沸消毒、手洗い、隔離など)を詳しく記した書状を作成させた。さらに、簡易的な石鹸の作り方や、病人の隔離方法などを実演できるよう、数名の領民と共に向かうことにした。
隣領の侯爵は、私が救援に来ると聞き、半信半疑といった様子で私を迎えた。医師や薬を期待していた彼にとって、公爵令嬢と数名の領民が「衛生指導」に来たというのは、拍子抜けだっただろう。
しかし、私は彼らの目の前で、煮沸消毒の効果や、石鹸を使った手洗いの重要性を熱心に説いた。疫病の感染メカニズムを、この世界の言葉で分かりやすく説明した。
最初はその話に耳を傾けようともしなかった侯爵やその家臣たちも、病人が増え続け、為す術がない状況の中で、私の言葉に少しずつ真剣に耳を傾けるようになった。
そして、私がエール村で見せたのと同じように、彼らの領地でも衛生対策を徹底させた結果…
数週間後、隣領での疫病の拡大が鈍化し始めたという報告が入った。そして、徐々にだが、回復する者も増えてきた、と。
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