第3話
父上から正式に領地経営の実務を任されることになった私は、早速、領地の現状把握に取り掛かった。セバスチャンに領地の地図と人口、産業、税収などの資料を集めてもらい、片っ端から目を通す。
(なるほど…典型的な中世ヨーロッパ風ファンタジー世界の地方領地ね)
主産業は農業。領地の大部分が農地で占められている。しかし、資料を見る限り、作物の収穫量は決して多いとは言えない。気候に大きく左右され、飢饉のリスクも高い。
商業は細々と行われているが、主要な交易路から外れているため規模は小さい。手工業も盛んとは言えず、領内で消費されるものがほとんどだ。
人口はそこそこいるが、高齢化が進んでいる地域もあり、若い働き手が不足している。衛生環境も劣悪だ。飲み水は井戸水に頼っているが、生活排水と同じ場所で処理されている場合が多く、伝染病が発生しやすい。教育機関は教会が細々と行っているだけで、識字率は低い。
(うーん、課題山積だわ)
これが私の、自由な人生で最初に直面する壁だ。だが、悲観している暇はない。前世の知識、これが私の最大の武器だ。
まずは何から始めるべきか。農業、衛生、教育、商業…どれも重要だが、すべてに手を出すのは難しい。優先順位をつけなければ。
(待てよ、一番影響が大きくて、比較的短期間で成果が見えやすいのは…)
私は資料から顔を上げ、考え込む。
そうだ、衛生環境の改善だ。病気が減れば、労働力が増え、医療費も抑えられる。そして、衛生の基本は「清潔」であること。これは現代人にとっては当たり前でも、この世界ではまだ浸透していない概念だ。
そして、もう一つ。農業の効率化だ。収穫量が増えれば、領民は豊かになり、税収も増える。食糧が安定供給されれば、飢饉の心配も減る。
この二つを最初の改革の柱にしよう。
私はセバスチャンを呼び出した。
「セバスチャン。今後の領地経営について、いくつか考えがありますわ。まずは衛生と農業の改革から始めたいのです」
「衛生と農業、でございますか?」
セバスチャンは少し驚いた顔をした。これまでの領地経営は、先代や現公爵の方針を踏襲し、大きな変化は避けてきたからだろう。
「はい。まず衛生についてですが…」
私は、煮沸消毒の重要性、手洗いの習慣化、生活排水と飲み水の分離、そして簡易的なトイレ(下水道までは無理でも、せめて汲み取り式に…)の普及などについて説明した。
セバスチャンは真剣な表情で聞いているが、時折、理解に苦しむような顔をする。
「…煮沸消毒、ですか? 井戸水を火にかける、と?」
「ええ。そうすることで、見えない病の原因を取り除くことができるのです」
「ほう…そのような考えは、これまで…」
「そして、農業ですわ」
私は、三圃制や四圃制といった連作障害を防ぐ方法、堆肥を使った土壌改良、より効率的な農具(といっても、まずは鍬や鋤の改良からだが)の導入などについて説明した。
「これまでと同じ方法では、いずれ土地は痩せ、収穫量は減ってしまいます。新しい方法を取り入れる必要があるのです」
セバスチャンは資料に目を落とし、私の話を聞きながらメモを取っている。
「なるほど…お嬢様のお考えは、どれも斬新でございますが、理にかなっているようにも思えます。しかし、長年培われてきた農法や生活習慣を変えるというのは、領民の方々の反発も予想されますが…」
セバスチャンの懸念はもっともだ。新しいことを始める際には、必ず抵抗があるものだ。特に、保守的な人が多い農村ではなおさらだろう。
「それは承知していますわ。だからこそ、急に進めるのではなく、まずはモデル地区を選んで試験的に導入し、成功例を示すことが重要です」
私は、具体的な計画を立て始める。どの村をモデルにするか、必要な物資は何か、誰に協力を仰ぐか。
「セバスチャン。あなたは長年この領地を見てきました。領民の方々の信頼も厚いでしょう。改革を進めるにあたり、あなたの力が必要ですわ」
セバスチャンは私の真剣な眼差しを受け止め、深く頭を下げた。
「お嬢様…微力ながら、このセバスチャン、全身全霊をかけてお嬢様にお仕えいたします」
心強い味方を得て、私は改革への第一歩を踏み出した。前世の知識が、ただの「悪役令嬢」で終わるはずだった私の人生を、大きく変えようとしている。この知識を、この領地のために最大限に活用するのだ。私の手で、このエルグランド領を、誰からも羨ましがられるような豊かな土地にしてみせる。
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