カフェ・オ・レに角砂糖を

玄門 直磨

出会い

 とある地方都市ちほうとしの、朝の駅前の喫茶店きっさてん


 約束の時間までまだ少し余裕があるため、ホットのカフェ・オ・レを飲みながら、会社や学校へと急ぐ人々の姿をガラス越しにながめていた。


 イヤフォンからは、お気に入りのメロディックスピードメタルバンドの曲が流れている。その疾走感しっそうかんのあるメロディーに身をゆだねながら、ぼんやりと外をながめていた。

 足をゆるめることなく歩く人々を見て、毎日神経をすり減らしているんだろうなぁ、なんて感傷かんしょうひたってしまう。


 その時ふと、見覚みおぼえのある後姿うしろすがたが目に入った。


 驚きのあまり呆気あっけにとられていると、その後姿はあっという間に人ごみの中へまぎれてしまった。


 ほんの一瞬いっしゅんだったので本当に自分の知っている人物なのかどうかは分からない。しかし、あの後姿は確かに思い出のあの人に見えた。


「まさか、この街に……?」


 俺はそうつぶやいていた。


 突然俺の前から姿を消してしまった人物。その人がこの街に住んでいるのだろうか。それともたまたまこの街に来ただけなのか。もちろん他人の空似そらにである可能性だって考えられるし、単なる見間違みまちがいだって否定ひていできない。


 それに、世界から見ればせまい日本でも結構広い。それがこんな所で奇跡的きせきてき再会さいかいなんて出来るはずはない。


 なぜなら、あの人は……。


◇◇◇


 その人との出会いをかたるには、十年も時をさかのぼらなければならない。それは、俺がまだ社会の仕組みすら分からない高校一年生の時だった。


 小学校、中学校では友人と呼べる者は学校に何人かいたが、高校生になってからは皆無かいむだった。


 その理由は、俺がイジメにっていたからだ。


 俺に対するイジメは、クラス全員による無視や、物を隠されたりする陰湿いんしつなものではなく、一部グループによる暴力ぼうりょくおもだった。

 同じクラスの連中は、自分達がえを食らうのをおそれ、遠巻とおまきに見ているだけでわれ関せずを決め込んでいた。恐らく自分が同じ立場でもそうしただろう。それほどまでに、そいつらはヤバい奴らだった。


 俺は、そいつら一部グループに立ち向かう勇気などなかったし、力も弱く到底とうていかなわなかった。


 イジメの原因は些細ささいな事。俺の名前が少し変わっていたからだ。

 思い返してみればそれだけが原因ではなく、俺のオドオドとした態度もイジメに繋がっていたのかも知れない。


 よく、『イジメられる側にも原因がある』という人がいるが、それはほんの一部で、ほとんどはイジメる側に原因があると思う。


 オドオドした態度というのに原因があるともいえなくは無いが、名前が少し変というだけでイジメられてはたまったものじゃない。もっとも、オドオドした態度がむかつくからといってイジメて良い事にはならないが。


◇◇◇


 その日も、俺はイジメに遭っていた。


 学校ではやはり目立ったためか、本格的なイジメは放課後が多かった。学校から少し離れた公園。その公衆こうしゅうトイレがいつもの場所だった。


「おらっ」


 イジメグループの主犯格しゅはんかくである鈴村すずむらの膝が腹にめり込む。


 俺はその痛みに「ぐえっ」というみにくい声をらし、床にうずくまった。うまく呼吸ができず、あえぐように必死に息を吸う。


「おら、立てよ」


 胸倉をつかまれ強引に立たされた。


「なぁトコロ。いつもの小遣こづかいくれよ」


 普段はただの暴力だけで終わる事が多いのだが、時として金銭きんせんの要求が伴うこともある。毎回何に使っているのか知らないが、ほぼ遊びに消えているらしい。やつらもただのバカではないのかゲームや本、そういった【物】が増えるとその資金は何処どこから来ているのか親にばれるかもしれない、そう考えているようで、何かを買ったりしている訳では無い様だ。


「さっさと出せよ!」


 今度は左のわき腹にこぶしがめり込んだ。コイツらは決して顔を殴らない。そういうところも狡猾こうかつだった。


 いや、ただ単に顔を殴ると痛いから殴らないだけかもしれない。


 俺はしぶしぶ財布を取り出し、一万円札を差し出した。


「あぁ? お前舐めてんのかよ。一万円じゃ全然足りねぇよ。四人だから普通四万だろうが!」


 そう言いながらも、鈴村は一万円をポケットにしまいこむ。


 後ろの仲間三人は、ニヤニヤしながらこちらを見ているだけだ。


 コイツらの普通というものは到底とうてい理解りかいできないが、財布にはそれ以上の金は入っていない。


「でも、今はそれだけしかないから……」


「うるせぇ、今すぐ親の財布から持ってくれば良いだろうが!」


「でも……そろそろバレそうだから……」


「そんなの関係ねぇだろ!」


 再び腹に激痛げきつうが走る。


「ぐっ――!」


 俺のやわらかい腹筋ではダメージを軽減けいげんする事は出来ず、消化しかけた昼食をもどしそうになる。


「お前、空気読めよなぁ」


 鈴村の後ろで、しまりのない唇をニヤニヤさせながらいずみが言う。


 ――空気を読む。


 俺はこの言葉が嫌いだ。


 集団生活を円滑えんかついとなむためには、確かに協調性きょうちょうせいが必要だ。その中でも空気を読む、つまりはその場の周りに合わせるという事は重要な要素のひとつだと思う。しかし、それだからといって周りに合わせて何でもして良いという訳ではない。


 例えば、それが犯罪はんざいならばなおさらだ。


 特に、鈴村に金魚きんぎょふんの様にまとわりついているコイツらみたいな、なんとなく雰囲気ふんいきに流されているような奴らは嫌いだ。空気を読んで、自分の意思で周りに合わせている人間はどれぐらいいるのだろうか。


 少なくともコイツらは違う。


 自分の意思で周りに合わせて犯罪行為はんざいこういをするのは確かにいただけないが、自分の意思で判断している分、その責任が自分に来るという事が分かっているという事でもある。


 しかし、コイツらみたいにただ流されているだけの奴らはいざとなれば、『本当はやりたくなかった』『断れない雰囲気だった』『俺は悪くない悪いのはあいつだ』などと言い逃れするのは明白めいはくだろう。


「なに黙ってんだよ。持ってくるのか来ないのか、どうなんだよ! あぁ!?」


 逆立った金髪きんぱつ、薄いまゆ、サメを思わせる感情のない瞳、両耳に付けられた大きなボディピアス。


 そんな鈴村の睨みをきかせた顔が間近に迫る。


「う……うぅ……」


 不覚ふかくにも恐怖や悔しさ、憎悪ぞうおなど様々な感情とともに涙が流れた。頭では抵抗しようと思っても、実際自分の目の前に恐怖がせまると、その決意は簡単に崩れ落ちる。


 元来がんらい俺は、気や意思の強い人間ではない。まして筋力きんりょくもないので、人数的にも不利であるこの状況でコイツらに太刀打たちうちすることなんてできっこない。


 そう、俺は根本的こんぽんてきに自信がないのだ。


 それなりに裕福な家庭で何不自由なく暮らし、特に欲しいと思わなくても何でも与えてもらえた。塾や、様々な習い事に行くのも親が決めたこと。この先の進路も、親のいた人生のレールの上をただなぞるだけ。


 俺はそんな意思の無い自分が一番嫌いだった。


 変わりたいと思っても、そうすぐ簡単に変われるわけがないのは分かっていたし、現実にこういう壁が立ちふさがっていてはとても身動きが取れない。


 しかし、逆にこれはチャンスでもあった。


 このイジメという壁を越えることが出来れば、自分を変えることが出来るかも知れない。精神的に強くなり自信を持てるようになるかもしれない。だがそうは思ってみても、いざイジメという壁の前に立つと足がすくんでしまい心がえてしまう。


 なぜ自分だけがこんな理不尽りふじんな暴力を受けなければならないのか。なぜ自分だけが恐怖におびえなければならないのか。なぜ自分には抵抗するだけの力が無いのか。


 その悔しさが今、胸いっぱいに広がり、せきを切って涙として流れ出ているのだ。


「おいコイツ、泣いてるぜ」


「泣けば何でも許されると思ってるんじゃねぇの?」


「女かコイツは」


「ギャハハ。おい鈴村、脱がして確かめろよ」


 今まで黙って傍観ぼうかんしていた高木たかぎ奥山おくやまはやし立てる。


 その声に応えるかの様に、鈴村が俺の服を脱がし始めた。


 それにあわせ、周りの連中も俺の腕や足を押さえつけたり、服を脱がしにかかってくる。


 俺は必死であらがうが、四人がかりではその抵抗も焼け石に水だ。


 そして、抵抗もむなしくあっという間に全裸にされてしまった。


「おい見ろよ。コイツちゃんと付いてるぜ」


 高木がそう言うと、奥山が「つちのこみたいだな。ギャハハ」と言って、周りを大爆笑させた。


 すると、鈴村がポケットから携帯電話を取り出し、全裸の俺を撮影し始めた。

 身をよじり、必死に局部を隠そうとするが、押さえつけられている腕や足の拘束を解くことは出来なかった。


「この写真をネットに公開されたくなきゃ、今度百万持って来い! いいな!」


 鈴村は撮影したばかりの写真をこちらにつきつけ脅してきた。


 俺はその要求にうなだれた。


 百万円なんて大金、一体どこから調達ちょうたつすればいいのだろうか。


 今まで親の財布から取ってきたと言っていた金のほとんどは、自分の貯金をくずしたものだった。その貯金も最早もはやきていて、到底とうてい百万円なんて金は用意できない。


 そんなの無理だ。そう言おうと顔を上げた時、鈴村達の後ろにいつの間にか見知らぬ人物が立っていた。


 それは、ほっそりとした長身で黒い革のジャケットをはおり、ブーツカットのジーンズに、黒くてゴツイこれもまた革製かわせいのブーツをいていた。


 肩にかかるほど長い髪はひとつに結ばれていて、たらした前髪は左右に分けられ、あごまで届いている。その隙間からのぞく顔は一言で言えば端整たんせいな顔立ちだ。


 切れ長の目に、スッと通るような鼻梁びりょうと薄い唇がシャープな印象を持たせていた。


「四人でってたかって、お前らのほうが付いていないんじゃないのか?」


 それは驚くほど冷たい声だった。男のように野太くもなく、かといって女のように甲高くないその声色には、全くと言っていいほど感情がこもっていなかった。


 その突然の闖入者ちんにゅうしゃの声に、鈴村たちは振り向きそして驚いた様だった。


「――なんだテメェ!? 邪魔じゃますんじゃねぇよ!」


 一瞬間があいたが、鈴村はその人物にってかった。


 他の奴らはというと、その闖入者に戸惑い、威圧いあつするかの様なオーラに飲まれている様だった。


 むろん、俺も助かったという気持ちより、戸惑とまどいのほうが大きかった。

 今までにイジメの現場を目撃した人達はいるが、割って入る事も、警察を呼ぶことも無く、みな見てみぬ振りをして去って行った。まさか、本当に誰かが助けてくれる事はおろか、声を掛けてくる人がいるとは思っていなかった。


「やられているお前もお前だ。男だったらとことん抵抗しろ。自分から逃げるんじゃねぇよ」


 するど双眸そうぼうがこちらを向き、その唇から放たれた言葉は、俺を叱責しっせきするかのような言葉だった。


 俺はその言葉に、自分の心が見透みすかされているような気がした。


 そう、もっと抵抗しようと思えば出来ていたはずだ。しかし、抵抗して更にイジメがエスカレートしたら嫌だし、鈴村を激高げっこうさせたら殺されるのではないか、などと考えてしまいそれが出来なかった。


 いつか誰かが助けてくれるかも知れない、そのうちイジメの対象が他に移るのではないか、などと甘いことを考えていた。


 そして、それは今も頭の片隅かたすみにあった。


 たして、それが現実となった様だが、まさか自分が叱責されるとは思ってもみなかった。


「シカトしてんじゃねぇよ、テメェ!」


 他の奴らがただ立ち尽くしている中、鈴村が闖入者につかみかかろうとした。


 だがその瞬間、鈴村の体がふわりと一回転し、トイレの床に背中から落ちた。


 鈴村はもちろん、他の連中も何が起きたのか分からない様子で、ぽかんと口を開けていた。


 それは、俺も同じだった。


 闖入者がジロリと鈴村以外の三人をにらみ付けると、はっとわれに返った様にそれぞれの顔を見合わせ、一目散いちもくさんに、いまだ床に倒れている鈴村を置いたまま逃げ出していった。


「ふん、薄情はくじょうな奴らだな。けど、懸命けんめいな判断だと言えるだろうな」


 闖入者は逃げ去った三人の後姿をちらりと見やるとそうつぶやいた。


 そして、鈴村を見下ろす。


「ひぃっ!」とあえぎ声にも似た声を出し、鈴村は逃げようとするが、投げられたダメージなのかそれとも得体の知れない人物に対する恐怖のためか、上手く逃げ出せずしりもちを着いたまま後ずさるだけだった。


 そんな様子の鈴村に、闖入者は「ふん」と鼻息を鳴らすと、床に落ちていた鈴村の携帯電話を手に取った。


 静まり返ったトイレの中にひびく携帯電話のボタン操作音。


 しばらくすると、「よし」と言って携帯電話を鈴村に向かって放り投げた。


 それがみずとなったのか、鈴村は落とすまいと必死な形相ぎょうそうで携帯電話をキャッチし、足をもつれさせながら逃げ出した。


「画像は全部消しておいたからな。安心しな」


 逃げ出した鈴村をしばらく見つめた後、俺の方を見ながら闖入者は言った。


 俺は何がなんだか分からなかった。しかし、一時的に助かったのだという事は分かる。


「とりあえず服を着ろよ」


 そう言うと闖入者はトイレを出て行った。


 その言葉に、俺は自分が全裸であることを思い出した。


 そこら辺に放り出されていた自分の服を拾う。しかし、パンツのゴムは伸び、ワイシャツのボタンはいくつか飛んでいて少しやぶけている。そして、ワイシャツの下に着ていた肌着は完全に破けていた。自分で買った物では無いからさほどショックは感じないが、それでも悔しかった。そして、これを親に見られたらなんて言われるんだろう。そんな事を考えた。


 幸いにして制服のズボンは無傷であった為、ゴムの伸びきったパンツは諦めそのままズボンを履くことにした。上半身に関しては、破けた肌着は着ずにワイシャツを直に着る。


 なんだか落ち着かない。


 パンツとぼろ雑巾ぞうきんのようになってしまった肌着をかばんに押し込むと、重い足取りでトイレを出た。すると、トイレの脇に先ほどの人物が立っていた。


 俺はちらりと一瞥いちべつすると、軽く会釈えしゃくをした。


 本来であればもう少しきちんとお礼を言うべきなんだろうけど、恥ずかしさや気まずさのあまり一刻も早くこの場から立ち去りたかった。


「ちょっと待てよ」


 きちんとお礼を言わなかったことに腹が立ったのだろうか、そう呼び止められ俺は足を止めビクビクと振り向いた。


 しかし相手の顔は怒った風でも無く、口から出た言葉は意外なものだった。


「そんな格好じゃアレだろ。家に来いよ。この近くなんだ」


 俺は、その言葉に素直に従うべきか迷った。何か裏があるんじゃないか、そう思えて仕方ない。普通はイジメられている奴を助けること自体珍しいと思う。そして更に自分の家へまねこうとする。しかも格好が格好だ。これが例えば真面目なサラリーマン風でスーツなどを着ていたり、主婦の様な感じであれば多少は安心しただろうが、レザージャケットにゴツゴツしたブーツ、そんなハードコアな格好をした人物にホイホイと付いていくのは危険なのではないだろうか。


「おいおい、そんな警戒するなよ。別にとって食おうって訳じゃないんだからさ」


 俺のそんな考えを察したのか、相手は両手を広げて肩をすくめた。


「まっ、確かにこんな格好してりゃ警戒されても仕方ないわな。ハハッ」


 相手は俺の警戒を気にした風も無く、軽快けいかいに笑った。


「別にいいですよ。一人で帰りますから。それと、ありがとうございました」


 しかし、もうこれ以上他人と関わりたくないと思い、一応今度は礼を言って退散たいさんしようとした。


「おいおい、そんなボロボロな姿でか? お前、変なところ根性あんのな」


 相手はまた笑う。しかし、侮蔑ぶべつや皮肉の欠片かけらも感じない笑いで、ただ単純に可笑おかしいから笑っているようだった。


「ボロボロって言ったって、ワイシャツのボタンがいくつか飛んで、ちょっと破けているだけじゃないですか」


 このまま電車に乗るのは少し恥ずかしいが、我慢出来ない事は無い。人の関心なんてほんの一瞬に過ぎず、始めはジロジロと見られるかも知れないが、すぐに俺に対して興味をなくす事だろう。


「それに、途中で新しいワイシャツを買いますから」


「へぇ~、さすがお坊ちゃんは違うねぇ」


 俺はその言葉にムッとした。しかしある事に気づき、はっと後ろポケットの財布に手をあてる。


 さっき鈴村に一万円を取られ、財布の中には小銭が数百円ある程度だ。もちろん、そんな金額ではワイシャツなど買えない。


「お金、無いんだろ?」


 俺の表情を読み取ったのか、ズバリ言い当てられた。


「それに、その口の傷も手当しないとな」


「口の傷? ――っ!」


 俺は唇に手をあてた。指が唇の横に触れた時、滲むような痛みが走った。


 手を離してみると、その指には血が付着している。いつの間に出血したのだろうか、顔は殴られなかったはずだ。もしかしたら、服を脱がされる時に誰かのひじでも当たったのかも知れない。


「まっ、そんなんだからさ、とにかく来なよ。悪いようにはしないって」


 相手は俺の肩をポンと叩くと笑った。


「俺はじゅん皆瀬淳みなせじゅんだ」


 それが、俺と淳さんとの出会いだった。

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