西果てのラボ 3 親友の伝言

 どこからか現れる灰入や毒ネズミをメイジーと共に蹴散らしながら、階段を降りていく。1階まで降りると、メイジーが床のタイルを剥がした。

 すると、梯子が現れた。


「ここから地下に行くのよ」

「随分と厳重なんだな」


 まさか隠し梯子とは……。階下へ繋がる階段が見当たらなかったのに地下かと思ったら、そういうことだったか。よほど重要な場所があると見える。

 メイジーが床のタイルを置いて、率先して降りていく。それに続いて降りると、狭い通路の先に扉が一つだけ見えた。

 地下というだけあり、ひんやりとした空気を感じる。


「この先にエルピスの伝言があるんだったか?」

「そうよ、この扉の先」

「他にはなにかないの?」

「無いんじゃないかしら? あっても大したことないわよ」


 まあそうか、と思いながら嘆息してしまった。

 ここは隠し通路を作るほど、エルピスにとっては重要らしい。多くの職員が出入りする場所というより、エルピスの私室に近い場所と考えたほうがいいだろう。

 研究所を移転するなら、ここのものはエルピスが自ら率先して運び出すはずだ。

 朧気な記憶から、彼ならそうすると確信できる。


「そう、ここは彼の私室なの」


 メイジーが、またも考えを読んだかのように言った。


「口には出していなかったと思うが」

「あなたってわかりやすいから」

「わかる~おじさん結構表情に出るよね」

「そうなのか?」


 自分では、常にポーカーフェイスのつもりだったのだが……。思ったよりも、表情コントロールというのは難しいらしい。


 話しながら歩いていると、もう扉は眼前に迫っていた。メイジーがまた生体認証で扉を開ける。私室ではあるが、エルピス以外の人間でも開けられるのか。

 よほど信頼していたのだろう。

 そして恐らく、俺もそうなのだろうな。


 ゆっくりと開いた扉の先にあったのは、一つのデスクと折り畳み型のコンピューター、そして一つの木箱だけだった。あのコンピューターに伝言があるのだろう。

 メイジーはコンピューターを操作し、たった一つだけ、ファイルを見つけた。動画ファイルのようだ。


「再生していいわね?」

「もちろんだ」

「どんな伝言なんだろう……」


 メイジーが、細い指先で、静かに再生ボタンを押した。


 映像に映るのは、椅子だ。見るからに高そうな、だが質素な椅子。快適性だけを追い求め、デザイン性を捨て去ったかのようなデザインだった。わずかに背もたれがカーブしている。確か、人体工学デザインといったか。


 しかし、人の姿が映っていない。


「あ、あー、ごほん」


 不思議に思っていると、声が聞こえた。朧気な記憶にある、友の声だ。煙草と酒をやりすぎて、しゃがれた声。


「姿を見せないことを、まずは詫びたい」


 彼は、このまま姿を見せず、語るつもりなのか。それなら録音で良かったのではないだろうか。わざわざ動画にする必要はあるのか。

 いや、だが、彼はそういう奴だった気がする。


「おはよう、僕の親友。さぞ混乱していることと思う。目が覚めたら記憶がなくて、リゼがそばで目を覚まして、混乱するなという方が無理だろうね」


 ああ、確かに混乱したさ。ほんの少しだけな。


「本来なら、もっと安全な時代になってから君たちを起こすつもりだった。君はもう十分に戦ったし、もう十分に苦しんだからね。友として、これ以上君を苦しめるのは忍びないと今でも思っているよ」


 確かに、声が少し震えている。

 しかし、なかなか本題に入らない奴だな。そんなに言いにくいことなのだろうか。


「ああ本題だね、わかってるよメイジー。急かさないでくれよ。時候の挨拶などは必要だろう?」

「はあ……」


 映像を見ているメイジーが、ため息をついた。映像に声が入っていないことから考えると、カンペでも出していたのだろうか。


「メイジーがうるさいから早速本題に入るよ。積もる話は君が全てを思い出してからするとしようか」


 そのほうがいいだろう。記憶のない状態で思い出話を聞かされても、俺はどういう顔をして良いかわからんぞ。


「世界の状況は、あらかた知れたと思う。お察しの通り、我が国はまたも滅亡の危機にあるんだ。主に灰のせいでね」


 朧気な記憶と情報の通りならば、この国は既に2度滅びている。3度目の滅びも、目前に控えているということだろう。

 彼が画角の外で項垂れているだろうことが、弱々しい声色からでも察せられる。


「ただ、滅びを避ける手段として現在ローエングリンが進めている計画がね、問題なんだ。ある女性の遺伝子から数多のクローンを生み出し、灰のフィルターを量産する計画が既に始動している……というか、既に何人ものクローンが犠牲となった」


 ある女性。

 それが誰かはわからないが、なぜか、ズキリと胸が痛む。頭まで、チクチクとした痛みを訴えかけている。俺に話すということは、俺の知っている人なのだろうが。


「ただ代替案がないことも確かでね。だから僕は代わりの方法を模索しているところだよ」


 まあ、そうだろうな。一人の職員のペットを犠牲にすることにも心を痛めていたお前が、クローンとはいえ、大勢の犠牲の上に成り立つ平和というものを許容するわけがない。

 それに、そのクローンも完璧ではないのだろう。でなければ、滅びの危機などと言うはずがない。


「お察しの通りだと思うよ。クローンの浄化も、完璧じゃない。だからまだまだ灰入は生まれているんだ。幾分かマシにはなったし、国の人口減少も緩やかにはなったんだけどね」


 エルピスが、深くため息をついた。


「しかし、君にすぐどうこうしてほしいなんて言わないから安心してほしい。まずは君の記憶を取り戻すことを優先しよう。封印した側の人間が言うことじゃ、ないかもしれないけどね」


 なるほど、彼も俺の記憶の封印に関わっているのか。それに恐らく、メイジーの記憶にも。

 彼はまたもため息を吐いた後、少しの間を空けて深く息を吸った。音だけでも、動作を想像できるな。


「記憶に蓋をしたのは、君の心を守るためだ。だから思い出すのも、ゆっくりじゃないといけないし、心を癒やしてもらわないといけない。気ままに旅を続けてくれ」


 また深呼吸をする音が聞こえた。


「ただ、拠点も必要だろうから、かつての君の家を復元しておいた。鍵と家への地図は、そこの木箱に入れてある。君の家だからね、遠慮せずに活用してほしい」


 家という言葉に、リゼの瞳が輝いた気がした。それから木箱に視線を移し、俺を見た。本当にいいのかな、という問いかけだろうか。俺は、こくりと頷いた。


「そして、記憶の手がかりを欲するなら、いつでもいいから霧の森にあるイーリス先生の隠れ家を訪れてほしい。僕らが共に幼少期を過ごした場所だ」


 イーリスか。彼女に関する記憶は、未だほとんど思い出せていない。イーリスという人物の記憶を探ろうとしても、脳にノイズが走るような感覚がする。

 ただ思い出せるのは、俺の母親代わりのような人物だったということだけだ。それも、イーリスという名前を聞くまでは思い出そうともしなかったことだが。


「国のことは一旦、僕らに任せてほしい。だけど、君たちを目覚めさせた理由はきっとお察しの通りだよ。それでも、全てを思い出して、気が向いたらでいい。この世界の今を実際に目で見て、手で触れて、決断してほしい」


 言われずとも、そのつもりだ。下層もまだ行きたいところがあるし、中層もイーリスの隠れ家以外にも探索したい。

 幸い、俺達は灰の影響を受けないらしいからな。


「伝えたいことは、今は以上だよ。君達の旅路が、より良いものとなるよう祈っている。それじゃあ、また会おう」


 その言葉を最後に、映像は消えた。


 ふう、と息を吐いた。

 少し肩が凝った気がするな。


 木箱を開けてみると、確かに鍵と地図があった。地図は丸められていて、広げると中層の中央街のことが詳しく書かれていた。俺の家は、中央街グレイアッシュの東側にあるらしい。

 カバンの中に地図を仕舞い、鍵はリゼに預けた。


「なんか、気さくな人だったね」

「全然カンペの通りに喋ってくれなかったけどね」

「やはりカンペだったのか……」


 記憶に蓋をしたことも、目覚めさせたことも、こうして導いてきたことも……。全て、エルピスとメイジーが計画したことなんだろうな。もしかしたら他にもいるかもしれないが、彼の口ぶりからして、ローエングリンには内密なのだろう。

 しかし、ローエングリンか……。

 やはり、一発殴らなければならないようだ。


「さ、次でラボのツアーも最後よ」

「最後はどこなんだ?」

「古竜族の爪弾き、石竜ウォックのいるところよ」


 ごくり、と唾を飲み込んでしまった。

 石竜ウォック。エルピスと誓約を交わしたという竜か……かつてのこの世界の覇者の種族に、これから会うのか。


 だが、不思議と緊張はなかった。

 あるのはただ、郷愁のような胸を締め付ける想いだけ。


 そんな想いを胸に、歩き始めたメイジーの隣を俺も歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

DeaDAsh -不死者とJKの終末旅行記- 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ