西果てのラボ 1 ある職員の日記

 西果てのラボへの道は、あっという間だった。大した話をする間もなく分岐路に入り、曲がればすぐに真っ白い壁と飾り気のない外観の建物が目に入った。

 のっぺりとしすぎていて、これが建物であると一瞬脳が理解出来なかったほどだ。扉があるから、かろうじて建物だと認識できるような大きな壁だ。

 触れて、軽く叩いてみると低音が返ってきた。分厚い壁なのだろう。


「さてと、入る前に一つ言っておくことがあるわ」


 鍵を取り出し、重厚そうな鉄扉を開けようと思った矢先、メイジーが凛とした声で言った。


「私が先頭で案内と戦闘をする」


 メイジーは俺達の前に躍り出て、背中の巨大な剣を抜いた。

 案内はありがたいことだし、どのみち頼もうと思っていたことだ。

 だが……。


「俺も戦えるぞ」

「そうね。討ち漏らしたり、わたしの死角から襲ってきたりしたらお願いすると思うわ」

「そういうことではなく――」

「あのね」


 反論しようとしたら、メイジーがいつになく声を尖らせた。

 それから「はあ」とため息を吐き、俺から鍵をひったくり、扉の錠前に差し込んだ。何だというのだろうか。


「ごめんなさい、別に怒ったわけじゃないの」

「だったら何だ?」

「わたしは……」


 言葉を詰まらせるメイジーの背中をリゼが擦ると、メイジーは「大丈夫」と言って、俺に向き直った。

 ……なんて顔をしているんだろう。

 彼女の顔は、あまりにも悲痛に見えた。くしゃりと歪んで、今にも泣き出しそうじゃないか。


「わたしは……なるべく、もうあなたに戦ってほしくないの。少なくとも、わたしが一緒にいるときくらいは」


 どういう意味だ、とかなぜだ、とか聞きたいことは山程ある。

 だが、メイジーのこんな顔を見ていると、何も言えなかった。黙って頷くしかなかった。悔しいことだが、ここは彼女に任せるほかないだろう。


「ありがとう」

「それはこちらのセリフじゃないか?」

「ふふっ、そうね」

「頼りにしてるよ、メイジーさん!」


 リゼに背中を叩かれたメイジーは、照れくさそうに笑いながら「任せて」と言った。わからないことが多いが、今の一連の会話でわかったこともある。

 俺はやはり、過酷な戦いに身を置いていたのだろう。

 そして、メイジーはこんな俺のことを大切に思ってくれているのだ。そんな彼女の言葉には、俺も行動で返したい。

 最早、彼女のことを疑う余地などは一欠片もない。信じて、前を任せるとしよう。


「じゃあ、行くわよ」

「ああ、前は任せたぞ。後ろは任せてくれ」

「そうね、まあでも、そんなことにはならないわよ」

「お、自信満々だねえ」


 メイジーはまたも「ふふっ」と笑って、鍵を回した。ガチャリと音を立てて鍵が開き、メイジーは鉄扉を片手で難なく開けてしまった。

 中は暗く、外からでは様子を伺いにくい。所々に魔力灯の光が見えるが、間隔がまばらで、消えているものが多いせいか、暗闇とそう大差はないな。


「リゼ、光源魔法頼める?」

「まっかせて! むむむむ……造なる光源!」


 リゼが杖を構えて詠唱をした瞬間、俺達の周囲に3つほど光る玉が浮かんだ。白色に光り輝くその玉のおかげで、周囲の様子がある程度見えてきた。遠くまでは見えないが、これだけの視界があれば敵への警戒と探索には十分だろう。

 研究所の入口付近は、驚くほどに何もなかった。ただまっすぐに通路が伸び、左右に等間隔に扉が並んでいるだけだ。


「依頼されたのは調査だったわよね?」

「ああ、そうだ」

「ひとまず、重要設備のある場所だけ重点的に探索しましょう」

「お前はここには?」

「随分来てないかな。少なくとも、エルピスが放棄してからは一度も」


 てっきり探索や調査は済んでいて、誰にも報告していないものと思っていたが、そうではないらしい。騎士団の依頼にも、意味があったのだろう。


 先頭のメイジーが歩き出し、コツ、コツ、と音を立てながらゆっくりと進んでいく。空気が凍りついているのではないかというほどに、肌寒い。

 光源魔法に照らされた壁や床、天井にまで傷跡がいたるところについている。壁に手をつくと、固まった血と思しきものがポロポロと崩れた。この研究所で、一体何があったのだろう。

 想像するのは容易いが、事実は想像を超えるんだろうという確信めいた何かがある。


「まずはこの部屋よ」


 メイジーが扉の前で足を止めた。扉には表札があるが、文字が掠れて読めない。


「ここはどういう部屋なの?」

「入ってから説明するわ。そのほうが理解しやすいから」


 それだけ言うと、メイジーは扉を開け、中に入った。続けて中に入ると、俺はため息を吐いていた。

 光源魔法が照らした部屋の中には、培養槽がいくつも並べられている。その全てが、割れていた。


「ここは浄化灰……アッシュの製造部屋よ」

「つまり、あの培養槽に灰入を入れ、死なない程度の苦痛を断続的に与えていたんだな」

「そういうこと。アッシュは傷口からも漏れ出るの」


 灰の国の通貨であるアッシュは、灰入が死ぬときに生まれる浄化された灰、そして大昔に浄化が行われた灰だと聞いた。資源の数には限りがあり、経済が発展していくと不足する可能性もあるだろう。

 もっとも、そこまで発展しているようには思えないが、来たるべきときのために製造をしていたというわけだ。元は同じ人間だった者を、永遠に痛めつけて。

 リゼはあちこちに目をやり、肩を落としていた。


 だが、それだけではないはずだ。


「あまり気分がいいものじゃないな」

「そうね。エルピスも渋ってたわ。だけど、そうも言っていられなかったのよ」

「副産物があったんだろう?」

「その通りよ。それについては……あった。これを読んだほうが早いと思うわ」


 培養槽の近くのデスクから一枚の紙をメイジーが拾った。手渡されたそれに目を通すと、やはり研究者の日誌の一部のようだった。

 一人で部屋を見回っていたリゼを呼び戻し、一緒に読むことにした。



 ――――。


 灰入は血の代わりに、灰を流す。そう聞いていたけど、実際は違うらしいことが、ここに配属されてわかった。

 灰入に関する情報は、もうずっと、秘匿されていたから知りようもなかったけど。

 灰入が傷を負うと灰を落とし、血液を使って傷の修復を行う。血中細胞の働きによるもので、これを使えばどんな傷も一瞬で治せる万能薬が作れるかもしれないと、こんな酷いことをずっと続けているのだ。


 正直、ドン引きだ。


 だけど、これが人類のためになるというのはわかる。倫理など、吐き捨てなければならないということだろう。

 ええ……私にできるかな。

 配属初日だけど、不安になってきた。


 不安な私に、エルピス様が声をかけに来てくださった。え、エルピス様ってイケメンだったの? きゃー! 肖像画だと全然……ちょっとやる気が出てきたかもしれない。

 我ながら現金だわ。


 エルピス様に連れられて、ある方に挨拶に行った。

 古竜だ。

 これには流石に、尻もちをついてしまった。だって古竜だよ? しょうがなくない? エルピス様が笑ってたけど、そりゃ驚くでしょ。

 歴史の教科書で、エルピス様は古竜の盟友だと聞いていたけど……ええ……まじかあ。この分だと、眉唾だと思っていたハインリヒ伝説も本当かもしれない。

 そう思ってエルピス様に後で聞いてみたら、脚色はあるものの全て真実らしい。そうだとしたら、謝らなきゃ。

 教科書に載っていたハインリヒさんの肖像画に、落書きをしたことを。

 エルピス様にその罪を告白してみたら、「あいつは笑い飛ばすと思うよ」と思い出し笑いみたいに笑っていた。

 なにか、なにか尊いなにかを感じる。なにか。


 今更だけど、不死者というのは大変なものだ。歴史の生き証人になってしまうんだから。自分が教科書に載るくらいになっても、生きているんだもの。

 私は嫌だな。


 命は、死ぬから美しいんだ。

 きっと。たぶん。めいびー。


 ――――。


「途中から文体変わりすぎでしょ」


 リゼが、ぽつりと零した。読み終えて最初の一言がそれかとも思ったが、同時に共感もする。

 だが、大事なのはそこじゃない。


「万能薬か。あるのか?」

「あるわよ。万能というほどじゃないけど、小さな傷なら一瞬で完治するわ」


 デスクの引き出しを漁りながら、メイジーが説明してくれた。灰入の血中細胞アシュリンを原料とした薬で、名前を絆創薬というらしい。切り傷や擦り傷などは一瞬で完治するが、骨折などは治せないのだそうだ。

 不思議なのは、機械の部分にも作用するということ。アーティカルの機械の身体のみ、アシュリンで治せるのだそうだ。

 本当に不思議だな。


「普通のコンピューターとかはなおせないのよ」

「不思議だね、人間の身体の一部にだけ作用するのかあ」

「竜化は治せるのか?」

「無理ね。竜化は専用の解毒薬でしか対処できないわ」

「そうか……」


 もしものときのためにと思ったが、やはり解竜薬でしか無理か。


「まあでも、解竜薬の材料の一つは、ここで確実に手に入るわよ」

「古竜か。まだいるのか?」

「ええ、彼はここを動けないから、研究所の最奥にずっといるわ」


 解竜薬の材料は、古竜の鱗と魔虫草という植物だ。魔虫草は、下層なら魔力源泉の近くに生えていたはずだ。古竜の鱗が最も入手が難しかったが、古竜がいるなら鱗を分けてもらうよう頼んでみるか。

 彼女の不安を解消する一助になればいいが……しかし、解竜薬も完全ではないからな。


「まあ、今は探索に集中しましょう」

「ああ、そうだな」

「ひとまずここにはめぼしいものはなさそうだよ」


 日誌を読んでからも一人であちこちを見回っていたリゼが、淡々と告げた。メイジーも肩をすくめ、「そうね」と同意している。

 デスクの中を漁っていたが、何も出てこなかったらしい。俺は俺で培養槽付近を見てみたが、やはり何もなかった。

 放棄された研究所だ。移設する際、重要書類などは持ち出したのだろう。


「じゃあ、次行きましょうか」


 言ってメイジーが踵を返した途端、扉の外で大きな音が鳴った。その次の瞬間、メイジーが驚くべき速さで俺の前に躍り出た。

 そして、暗闇から飛びかかってきた灰入を大剣でいともたやすく両断した。あまりにも早い判断と身のこなしに、思わず惚れ惚れしてしまう。

 俺が灰入の存在を認識する前に、彼女は動いたのだ。よほど、修羅場をくぐってきたんだろう。惚れ惚れすると同時に、モヤモヤとした何かが胸中に渦巻くのを感じる。


「見事なもんだな」

「向かいの部屋から出てきたみたいね」

「メイジーさん強いね……びっくりしちゃった」

「リゼはともかく、あなたから褒められるのは変な気分だわ」

「ならもっと褒めようか」

「冗談ばっか言ってないで、まだ入口なのよ」


 ピシャリと刺すように言って、メイジーは扉の外を覗き見てから部屋を出た。その後をついて、俺も剣に手をかけながら廊下へと出る。


「次はどこへ行くんだ?」

「そうね……一階はあとは職員の休憩所とか宿直室とかだから、二階の大きな研究室ね」

「この様子だと、とんでもないものがありそうだな」

「ええ、覚悟しておいたほうがいいわ」


 不敵に笑うメイジーの顔を見て、ますます嫌な予感がしてきた。俺の親友らしい研究熱心な男は、一体ここで何を研究していたのだろう。

 知りたいと思う気持ちと、知るのが怖い気持ちのどちらも大きく、廊下を歩く足取りが妙に重く感じる。

 だが、知らなければならない。

 俺自身と、俺を取り巻く全てを俺は知りたいのだ。

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