食事処セントールと灰燼のハンス
リゼに案内されながら街を歩いてみると、街の広さに対して人が少なすぎると改めて気付かされる。宿まで来る道中も、宿から食事処に向かう今も、すれ違うのは一人か二人程度だ。
それも、ボロボロのアーティカルばかりで、リゼの言う初期型や二代目にあたる機械が剥き出しの状態のものが多い。最終型アーティカルはメイジーのように、人の肌と変わらない見た目をしている新人類ということだったが、ここですれ違う人を見ると人体改造を施した人間であるというのが腹の底で理解できるようで、どうも胸が締め付けられる。
もっとも、隣を歩くリゼの呑気な鼻歌に、そのような気持ちはすぐ吹き飛ばされてしまったが。
「ご機嫌だな」
「ご飯を食べに行くときに、仏頂面の人なんている?」
「ここにいるだろ」
「おじさんも少し楽しそうな顔してるよ?」
「そうなのか?」
言われて頬を撫でると、確かに少しだけ口角が上がっているようだ。そんな俺を見てか、リゼがくすくすと笑っている。
「世界がどんな状況だったって、たとえ自分が辛いときだったって、楽しいと感じることがあってもいいんだよ。楽しかったって辛いことが無かったことになるわけじゃないし、楽しかったって世界が良くなるわけじゃないんだから」
リゼが、いつになくしっとりとした声で、目を伏せながら言った。
身も蓋もなく、救いがない言葉のようで、その言葉は紛れもなく救いなのだと理解した。
だが、俺が拒否する術もなく許容する間もなく、心に入り込んでくるこの感傷は、一体何なのだろうか。リゼが笑顔でないと心がざわつく自分が、俺の脳の奥底に居るような感覚があった。
「あ! ここだよおじさん、食事処セントール!」
しかし、リゼの顔にはまたすぐ、屈託のない子どものような笑みが戻ってきた。事実、彼女は子どもなのだろう。
安堵していると、リゼが俺の手を引いて足早に食事処の扉を開け、中に入っていった。仏頂面の店員がカウンターの奥から「いらっしゃい」と呟き、目の前のカウンターを顎で指し示す。
隣には、チェーンメイルを着て曲剣を傍らに置いた男がいた。
「ここすっごく美味しいらしいよ! 中層にもこれほどの味はないんだって!」
リゼの大きな声が静かな店内に響き渡ると、カウンターの奥にいる唯一の店員の男の仏頂面が少しだけ解けたような気がした。すぐにまた仏頂面に戻ったが。
「へえ、そうなのか、それは楽しみだな」
目の前に置かれている紙束を手に取ると、メニューのようだった。多種多様な料理の名前が書かれている。俺が知っている料理も、いくつかあった。
思えば、糧食以外を口にするのは目覚めて以来初めてのことだ。俺は、メニューにあった煎り豆のトマト唐辛子煮込みとパンを指して注文した。
恐らくは、チリビーンズのことだろう。
「おじさん、それ好きなの?」
「ああ、大好物だ」
「じゃあ私もそれにしよっかな!」
結局二人とも同じものを頼むと、店主と思しき仏頂面の男は「あいよ」と短くまたぶっきらぼうに返し、厨房へと下がっていった。
すぐに、調理の音が聞こえてくる。生活魔法で火を点ける音、鍋に油を敷く音。煮込み料理とはいえ、実際の煮込み時間は短い。ここでは作り置きはせず、注文する度に作るのか。期待が高まるな。
「貴公よ、赤酒は飲まぬのか?」
突然、誰かに声をかけられた。右隣にいたチェーンメイルの男だ。低くずっしりと腹に響くような声だが、不思議と不快感はない。
彼はグラスに注がれた液体をコロコロと転がしながら、だが、不機嫌そうに眉をひそめている。
「酒か……」
「おじさん飲んでいいよ? どのみち今日は宿に戻って寝るだけだし」
「クックック……善いお嬢さんを持ったようだな、貴公よ」
「ではいただこうか。リゼには……」
「あ、私はこの下層名物りんごジュースがいいな!」
聞こえていたのか、店主が奥からグラスを2つ持ってきた。赤酒というだけあり、液体の色は赤いが、どこか淡い色をしており透明感もある。
酒を飲むのは、いつぶりだろうか。一部記憶が欠落しているとはいえ、コールドスリープに入る前からしばらく飲んでいなかったことは覚えている。
意を決して飲んでみるか……。
……うまい。
「貴公よ、お嬢さんよ、ようこそ下層中央街ローデンへ」
「今なのか?」
「赤酒もリンゴも下層中央街の名物だからな、これで貴公らも街の民も同然よ」
隣の男は気分良さげに、グラスを傾けた。
「俺はハンス、人は俺を灰燼のハンスと呼ぶ。貴公らは?」
「私はリゼ! おじさんは、名前を覚えてないんだって。私達二人とも、眠りから覚めたばかりで、しかも一部だけ記憶がないの」
リゼが言うと、ハンスは目を丸くしてからまたグラスを傾けた。それから追加を注文し、彼は目を伏せ、ふうと息を吐くと、俺の肩をゴツい手で優しく叩いた。
不躾な男だが、その手つきは妙に優しい。怪しい口調と身なりから身構えてしまったが、悪い奴ではないのだろう。
「では貴公でよいな」
「ああ、十分だ」
「料理が届くまで時間は在る。貴公らにこの下層の現状を俺が知る限り伝えよう」
ハンスは、また酒を煽ってコホンと一息つき、灰の国下層の現状を説明し始めた。
下層は比較的安全ということもあり、多くの重要施設が軒を連ねるが、薄暗くじめじめとした地下であるため住みたがる人は多くはないのだという。灰の恐怖はあるものの、中層の豊かな暮らしは手放すには惜しいのだろうとハンスの推測が付け加えられた。
実際、そうだろう。中層は賑やかで豊かな場所だったと、俺も記憶している。もっとも、現在の中層は俺が知る中層とは違うのだろうが。
下層に住んでいるのは、アッシュの無い者、あるいは重要施設の職員とその家族くらいのものだという。とはいえ、研究所区画である西果てのラボは放棄されており、今下層にある重要施設は魔術協会と魔術源泉への昇降機くらいのものだと、ハンスはため息混じりに語った。
「情報を得るのであれば中層へ赴くとよいだろうが、中層の昇降機を動かすには騎士団員の持つ認証キーが要る」
「なるほど」
「愚鈍な騎士団員から奪うか、交渉材料を持ってゆくか、選択は貴公らの自由だが、念の為場所を教えておこう。この街の北端に枯れた噴水の広場がある。そこに森を背に建っている犬小屋が僅かに見栄えが良くなった程度の赤い屋根の建物が、騎士団員の屯所だ」
口が悪く、思っていることを全部言っているフシがあるが、ハンスのおかげで現在の灰の国下層の様子はわかった。
だが、一つ気になることがある。この男は、何故下層にいるのだろうか。見たところ、この男はアッシュが無いわけではなさそうだ。高そうな鎧だ。
それに、街の中だというのに剣を携えていること、剣に血錆が見られること、そしてこの男の漂わせる雰囲気、只者であるはずもない。
「ハンスはなぜ下層にいるんだ?」
考えていても仕方がないので聞いてみると、ハンスは「はっ」と笑って、ゆっくりと瞬きを数回した。
「灰になったのだよ、ああ、命という薪を焚べ過ぎて灰にでもなったのだろうな、俺は」
「嫌に小難しい言い回しをする奴だな」
「おじさんが二人になったみたい」
「俺はここまでではないと思うが……」
「いいや、貴公とは似た者同士よ。何故かは知らぬが、そのような気配がするのだ」
赤酒が好きらしい男は愉快そうに言うが、俺自身はどうも得心いかなかった。なにか反論しようとも思ったが、料理が目の前に届き、俺は反論の言葉も機会も失った。
目の前に置かれた料理から立ち上る香りは、記憶にあるその香りに近く、記憶は呼び起こされないものの感覚が呼び覚まされるような不思議な感覚がある。
何と比べているのかは知らないが、近いなと思った。
「さて、長話をしてしまったな。俺はもうゆくとしよう」
「どこに行くんだ?」
「どこへでも飛んでゆくさ。何しろ灰だからな……クックック」
「またね、ハンスさん!」
「貴公よ、リゼよ、お互い生きていればまた会えるだろう。精々灰にならず燻り続けることだ」
言いながら、ハンスは代金を置いて去っていった。灰になったと言っていたが、彼の足運びはハッキリとしている。酒をたらふく飲んだにしては、剣を忘れることもなく、足元が覚束なくなることもなく、しっかりとしているじゃないか。
何が灰だ、お前もまだ燻っているだろうに。
そう思いながら食べた料理は、ピリッと効いた唐辛子とトマトの酸味と甘味、そして多種多様な豆の豊かな食感が楽しめる絶品だ。
横目に見えるリゼの表情は、これまで見てきたどんな表情よりも、綻んでいるように思える。頬をおさえ、「おいしい~!」とまた店内に響き渡るほどの大声で言った。
奥にいる店主と思しき強面かつ仏頂面の男が、やはりまた一瞬だけ表情を緩ませていた。
「来てよかったね、おじさん!」
「そうだな、本当に来て良かった」
またこの味を楽しめるとは、俺は夢にも思っていなかったらしい。それに、生者とも会えた。生者がいるという安心感と、美味く温かい料理を食べたことによる郷愁に似た感覚が、俺にはとても快かった。
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