第1章:灰の国下層編

宿屋バルガンディ

 リゼが目を覚ました後、また中央通りを歩き始めた。メイジーのことを話そうか迷ったが、起き抜けのリゼの気の抜けた顔を見ていると、どうも話す気にはなれなかった。

 中央通りは相変わらずだが、これまでの道と違うのは自然があることだ。天井もまるで空のような青色に光っているし、魔力光炉から人工の日光が降り注いでいる。

 リゼが気持ちが良さそうに、歩きながら伸びをした。


「朝だねえ」

「朝だな」

「わ~気のない返事だ」

「他にどう返せと」

「あはは、そりゃそうだ」


 リゼの笑い声が、自然豊かな中央通りに響く。昨日と比べると、より元気になっているように見える。食事と睡眠は、やはり人間にとっては重要なものだ。

 どんな状況だろうと、それさえ足りていれば、ある程度は元気を持てるというものだろう。

 しかし、本当にこの道は退屈だ。西央通りや西果ての道よりは自然がある分マシではあるが、自然以外には何も無い。人工風が優しく頬を撫で、人工の日光が肌を突き刺し、ざわざわと揺れる葉の音がするが、旅というにはあまりに退屈な道程だ。


 しばらく歩いていると、建造物が見えてきた。煉瓦が積み重なったような建物の数々の間を鋼管が走っており、巨大な工場施設がここからもよく見える研究者と工業の街、下層中央街……のはずだったが、様子がかなり違っているな。

 工場があるのは記憶の通りだが、あらゆる建物から飛梁や階段が伸び、別の建物や広場へと接続されている。工場も、ここから見えるものは一つだけ。

 随分と様変わりしたらしい。


 街が見えてから、リゼの歩く速度が少し速まったようだ。工場から煙が上がっており、それが中層への昇降機の口の横に備え付けられた給気口に吸い込まれ、透明な管を通って上へと上っていくのが見える。

 西街とは違う、本物の営みがあるように見えた。リゼが高揚するのも無理はないだろう。俺も、心なしか少し高揚している。

 思えば、昔も下層の道から見える中央街の光景は、好きだった。


「おじさん! 早く早くっ!」


 すっかり俺を追い抜いたリゼが、笑顔で手招きしている。人工日光に照らされたその顔が、白く輝いていた。


「ああ、そうだな」

「私下層中央街ってあまり来た記憶がないんだよね~、超楽しみかも」

「俺は結構来ていたし覚えている」

「じゃあ案内してよ!」

「記憶の通りならば、そうしよう」

「やったっ!」


 小さくガッツポーズをするリゼを見ると、自然と笑いが込み上げてきた。今度はうまく笑えていたかはわからなかったが、リゼが目を丸くしていたからうまく笑えていなかったのかもしれない。

 とにかく、俺達は吸い寄せられるようにして中央街に入っていった。


 中に入って街を実際に見るのと、遠くで半ば俯瞰したような視点で見るのとでは、やはり受ける印象は異なるものだと、今強く実感している。

 中央街には、生者が闊歩していた。灰入が我が物顔で歩いていた西街とは違い、人の営みがあり、会話があり、喧騒がある。それがどれほど安心するものなのか、想像もしていなかった。

 見慣れない人間がいるからか、道行く人が俺達をチラチラと見てはくるが、過敏に反応はしてこない。それも俺にとっては心地がよく、心を落ち着けるには十分だった。

 張り詰めた感覚から解放されたからか、少し力が抜けてしまう。


 そして、中央通りの西側から入った中央街の風景は、面白いの一言に尽きるものだ。記憶にある街の光景に、知らない建造物や広場が頭上に足されている。

 縦に広い多層構造の街のようだが……道がわかりにくそうだな。

 これは案内は難しそうだ。


「ひとまずは宿だな」

「だね、ゆっくり腰を落ち着けたいけど……あ、お金あるの?」

「貨幣経済がどれほど機能しているかも、わからないしな」

「そうなんだよねえ、見るからに最終型のアーティカルの人と何人かすれ違ったけど、人が多いようにも思えないし」


 問題はそこだ。宿を取るとして、貨幣経済が機能しているのか、機能していた場合、俺の懐に入っている貨幣が使えるのかどうか。

 ひとまずリゼにだけ見えるように路地裏に隠れて金を見せてみると、リゼは「おお」と小さく声を漏らした。


「金貨が何枚かあるね」

「考えてみれば、金貨に国の名前が書かれているのではないか?」

「あ、そうかも! えっとなになに……新生大王国? 確か今は灰の国って呼ばれてるんだよね? ここ」

「ではこれは使えないかもしれないな」


 新生大王国。確かにどこか耳馴染みがいい。

 だが、国の名前が変わっているということは、体制も変わっているだろう。そもそもこの国は俺が眠る前に一度滅び、恐らく眠った後にも一度滅んでいるはずだ。

 使えることを期待するほうがどうかしていたかもしれない。


「あっ」


 リゼが声をあげて、俺の掌の上の金貨を一枚摘んだ。


「だけどこれ純金だし、換金はしてくれるかもよ?」

「なるほど、その手もあるか」

「どのみち、一回宿に行って聞いてみるのがいいよね」

「そうだな、行くか」

「うんっ」


 路地裏を出て、中央街の西通りを歩く。西通りには、確か安い宿があったはずだ。中央街の中心区画には高級宿があり、西区と東区には安宿がある。

 西の研究施設で働く者、東の魔術協会で働く者の需要に応えるための宿だったと記憶している。


 歩いて街を見てみると、この街の下層は記憶にある光景とそう大差はない。記憶にある場所に、やはり宿があった。


 だが、実際に目にすると、記憶にあるよりずっとボロ宿だった。この街のほとんどは石畳や煉瓦、それから鉄や鋼で構成されているのに対し、ボロい木造である。街の景観を壊しており、明らかに周囲から浮いていた。

 だが、ここまでの道のりを思えば、中央街付近にあった自然の豊かさとはこちらのほうが調和しているように思えるのだから不思議なものだ。

 鉄と煙の街に、温かみのある木造の建物を見たリゼの顔は、見るからに綻んでいる。気にいったのか、俺の手を引いて「いこいこっ」と足早に宿に入ってしまった。


「おお~、いい感じ!」

「気に入ったか?」

「うん! かなり!」


 内装もこれまたボロいが、不思議と清潔感はあるように思える。掃除は行き届いているようだった。

 宿に入ってすぐ目の前にカウンターがあり、両脇の通路には階段が見える。

 カウンターでベルを鳴らすと、奥からボーイと思しき和服の男が飛んで来た。袖口からチラリと覗かせる腕の関節は、球体だ。

 だが、それ以外の部分は人間と同じように思える。最終型アーティカルだろう。

 彼は貼り付けたような笑みを浮かべ、「ご宿泊ですか?」と尋ねてきた。


「そうなんだが、これは使えるか?」

「ほう……金貨ですですね、それも新生大王国時代の」

「ああ」


 彼は「ふむふむ、なるほど」と呟いてから、またにこやかな笑みを浮かべた。


「使えはししますが金額が大きすぎますな。余剰分、灰の国の通貨をお渡しする形でよろしいですか?」

「もちろんだ、助かる」

「少々お待ちくださいませませ、何分久しぶりのお客ですからな。ワタクシ少々テンパっておりまして」

「ゆっくりでいい」


 彼は奥に引っ込んでから、大きな麻袋を持ってきた。この中に金が入っているのだろうか。


「宿泊代が10アッシュ、旧金貨1枚は100アッシュに相当しますので、お渡しは90アッシュですです」

「単位はアッシュというのか」

「灰の国ですからな」

「縁起悪くない? 灰で困ってるのに」


 リゼが唇を尖らせると、男はカッカッカと笑った。笑う度に喉がカラコロと音を立てている。

 今更気がついたが、彼の声も少しコロコロとしたノイズが混ざっているようだ。声帯も機械に変えているのだろう。


「縁起の悪いものを敢えて国の名ににしたのですな、現在トップにおられる騎士団長は」

「騎士団長がトップ? 国王ではなくてか?」

「実質国王で間違いありませんが、彼はなぜか王を名乗るのを嫌がるのでですよ。ああ話の腰が折れましたな。縁起の悪い灰という名前を敢えて重用することで、灰を克服する強い精神力をとということらしいですぞ」

「なるほどな、克服した暁には灰の国という名前も通貨の名前も全て誇りに変わるわけか」

「左様でございますます」


 彼は言いながら、鍵を渡してきた。鍵には木の板が付いており、板には二◯二と書かれている。部屋番号だろう。

 それにしても、彼の口からたまに出る二重の言葉も、声帯を機械にした影響なのだろうか。


 お釣りとして渡された麻袋を持ってみると、驚くほどに軽かった。

 中を見て、思わず「え」と声をあげてしまったが、リゼも同時に声を出した。そりゃあ驚くよな。


「これ、灰か?」

「そうでございますます。灰入は死ぬと灰になるのでございますな」

「つまりこれは死灰なのか」

「その通りででございます。灰入から出る死灰は人体に害ががないのです。加えて、大昔に浄化されれた灰も大量にありますので、それを通貨として使っているのですよよ」


 縁起の悪いものを重用することで誇りにという考えには共感できるが、名前だけじゃなかったのか。


「1アッシュってどのくらい?」

「わかりやすいですすよ。1グラム1アッシュです」


 なるほど、それは確かにわかりやすい。今後この国で金を使うときは、麻袋から灰を取り出し、計量して会計をするということか。

 ……嵩張るな。


「残りの金貨の両替も頼めるか?」

「何枚あるのでで?」

「ああと……9枚だ」

「900アッシュでですか……むむむ、大丈夫でですよ」


 明らかに渋っているように見えるが……。

 まあ、大丈夫と言うからにはお言葉に甘えておこう。


「では、頼む」


 それから金貨をすべてアッシュに交換してもらい、大きな麻袋にすべて詰め替えた。締めて990グラムの灰が手元にあるわけだが、重さよりも袋の大きさのほうが気になるな。

 まあ、仕方がないか。


「ありがとう、助かったよ」


 軽く会釈すると、彼は深々と頭を下げた。それからまたニコニコとした笑みを顔面に貼り付け、「良い旅を」と。それはチェックアウトするときのセリフだろうと言おうと思ったが、結局何も言わず片手をあげて左手に歩いた。

 ギィギィと音を立てる階段を上がり、部屋の扉の鍵穴に鍵を差し込み、回す。

 扉を開けて中に入ると、部屋の内装はそうボロくはなかった。部屋だけは綺麗にしてあるらしく、ベッドはしっかりとした弾力を保っているし、テーブルや椅子も安物ではあるだろうが木目の美しいもので揃えられている。

 椅子にはクッションも置かれているし、調理設備まである。

 長期間泊まる人もいるのだろう。


 俺が部屋の設備を見て回っていると、リゼが窓際のベッドに身を投げていた。


「私こっちね!」

「今更だが同部屋でよかったのか?」

「いいのいいの、節約しないとだし、おじさんは変な人じゃないしね」

「そうか」


 それ以上何を言えばいいかわからず、俺は剣を壁際のベッドに立てかけ、ベッドに腰をかけた。外套を脱いで畳み、枕の横に置くと、俺の体はまるで吸い込まれるかのようにしてベッドの上に横たわった。

 強めに感じる反発が心地よく体を包み込み、瞼を開けているのが難しくなってきた。窓の外には、煙と鉄の街が見える。人々がまばらに歩いていたり、何事かを話していたりするのが、ベッドの上をゴロゴロ転げ回るリゼごしに見える。


「おじさん、寝たら? 昨晩寝れてないでしょ」

「そうだな、悪いが少し眠らせてもらう」

「うん、おやすみ、おじさん」


 また笑顔でゴロゴロと転がりだしたリゼを横目に見てから、目を閉じた。



 ◇◇◇◇◇◇


 目の前に、女性がいる。銀髪碧眼の美しい女性の顔が、息がかかりそうなほど近くにあった。これは夢だろうか、それとも俺の記憶なのだろうか、いずれにしても知らない女性だが、どこか安心感もあり、どこか物悲しくもある。

 心地よい風に揺られながら、寝そべる俺の顔を覗き込む彼女の顔は、見ているこちらの顔がニヤけてしまいそうなほどに綻んでいた。

 その恐ろしいほどに眩しい笑顔が、どこかリゼと似ている。


「あ、起きた」

「ああ……おはよう」

「へへへ、おはようっ」


 俺の口が勝手に言葉を紡ぎ、俺の体が勝手に起き上がった。青空の下、視界いっぱいに広がる草原の中で、俺達は二人きりで座っている。

 彼女は長い髪をなびかせながら、耳に髪をかけて「ふふっ」と笑った。


「何がおかしいんだ?」

「君があまりにも油断した顔で寝てたから」

「そうなのか? まあここは二人きりだしな」

「でも君って、家でも寝るときはどこか警戒してない?」

「ん? そんなことは……ああいや、そうかもしれないな」


 言いながら、彼女と笑い合う俺は心底楽しそうだ。意識を少し傾ければ、俺の体から視点が離れることに気づき、回り込むようにして俺の顔を見てみると、俺も眩しく微笑んでいた。

 この頃は、うまく笑えていたらしい。

 俺は一体、いつから、うまく笑えなくなったのだろうか。


「灰のことも黒紋のことも、今は忘れて休憩しようよ」

「そうだな、少し張り詰めすぎていたかもしれんな」

「そうだよ? あの子もそろそろヨチヨチ歩き始めたことだし、嫌なことは一旦忘れるのも大事だよ」

「メイジーのやつ、ちゃんと面倒みてるだろうか」

「大丈夫でしょ? あの子、あれで結構面倒見いいし」


 楽しそうに微笑み合いながら語り合う俺達の口から、聞いたことのある名前が出た。やはり、俺とメイジーは知り合いだったらしい。

 しかし、妙だ。

 彼女が語り始めてから、夢だというのにこれが実際にあった出来事だと確信している自分がいる。それならば、彼女の名前も思い出せて良さそうなものだが、隣で風に目を細めながら口元を緩ませ、俺の肩に頭を預けてくる彼女の名前は全く思い出せそうもない。

 だが、大切な人だったのだろう。

 彼女を見る俺の目は、残酷なまでに優しげだ。

 俺の肩に頭を委ねてあくびをする彼女の目もまた、ひどく優しい目のように思える。


「また、たまに二人の時間も作ろうね」

「そうだな、こういう時間も大事だな」

「そだよ、もちろん家族3人の時間も大好きだし仕事も大事だけどね」

「ふっ……そうだな」


 穏やかで温かな時間が、唐突に終わりを告げる音がする。鐘の音が鳴り響き、懐かしい光景が光の霧の中へと溶けていく。

 待ってくれ、もう少し微睡みの中に居させてくれ、と心の奥底から何者かの声がした。それは紛れもなく、俺自身の心の声だった。



 ◇◇◇◇◇◇


 目が覚めると、隣にリゼの顔があった。彼女の碧い瞳が、こちらを見つめている。眉根を下げたその表情は、俺を心配しているように思えた。


「おはよう、おじさん」

「ああ、おはよう」

「夜時間になったよ」

「ああ、あの鐘の音はそれか……」


 なにか心地よい夢を見ていたような気がするが、内容が思い出せない。覚えているのは、とても懐かしく温かな時間が流れていたということだ。内容は覚えていないのに、現実にどこか落差を感じ、肩を落としてしまうのは夢が夢たる所以だと誰かの言葉が頭に浮かぶ。

 起き上がり伸びをすると、体がすっかり楽になっているのを感じた。一部軋んでいた関節も、今は滑らかに動く。

 少しだけ、気分が良い。


「睡眠は大事だよ? おじさん」

「ああ、実感したよ」

「とりあえず今日はどうする?」

「ひとまずは食事だな」

「あ、それならフロントの人に聞いてきたよ、安くて美味しい定食屋さん!」


 リゼがむふーっと鼻息を出して、胸をわずかに反らした。その仕草に少しの安堵を感じながら、ベッドから出て床に足をつけ、剣を腰のベルトに差した。

 外を見ると、すっかり暗くなっていて、魔力灯の青い光が申し訳なさげに街を照らしている。人がまばらではあるが歩いているのを見ると、これまで歩いてきた道が夢だったのではないかとすら思えてくる。


「今すぐ行く?」

「ああ、行ってみよう」


 窓から視線をリゼに戻すと、彼女はにへらと笑みを浮かべ、大きく頷いていた。

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