狩猟した魔物で調理する無名の料理人、なぜか実力者たちを自覚なくざわつかせてしまう
ニキタ
1 理想の異世界生活
人生でなにより大事なのは、間違いなく「自由」だ。
誰にも縛られず、時間に追われず、のんびり気ままに過ごすこと……。これに勝る幸せはない、とオレは本気で思ってる。
で、その次くらいに大事なのが、最高に美味いものを食いたいってことかな。どうせ生きるなら、腹を満たすだけじゃなくて、心も満たされるようなものがいい。
なにしろオレには、前世の息苦しい記憶がある。
毎日毎日、アラームのけたたましい音で叩き起こされ、満員電車で押し潰されそうになりながら、終わりの見えない仕事に忙殺される日々。
食事なんて、コンビニで買ったパサパサのサンドイッチをパソコンの前で数分でかきこめたらまだマシな方だった。
栄養ドリンクをコーヒーで流し込み、胃が悲鳴を上げているのを感じながら、それでもキーボードを叩き続ける。温かい味噌汁の匂いなんて、もう何年も嗅いでいなかったんじゃないか。
そして、ある深夜残業の帰り道、駅のホームでオレの意識は途切れた。
過労だったらしい。
薄れゆく意識の中で最後に後悔したのは、「ああ、もっと……もっと美味いものが食いたかったな……」なんて、くだらないことだった。
だから、この異世界で目が覚めた時、最初に誓ったんだ。
「今度こそ、絶対に時間に縛られない。自分のペースで、好きなだけ美味いものを探求して、ゆっくりのんびり生きてやる!」ってな。
幸いなことに、この世界での暮らしは快適だ。
都会の喧騒から遠く離れた、こんな辺境の田舎町での暮らしは、まさに理想。豊かな自然は、未知の食材の宝庫でもある。
それにこの世界には魔術があった。
魔術で肉体を強化すれば、普通なら行けないような険しい場所にも分け入り、珍しい食材を探すことができる。身体能力が上がると、食材の鮮度を保ったまま持ち帰るのも容易だ。
最高の料理を追求するのに、魔術は欠かせない。
そんなわけで、オレは今、日の昇る時間も気にせず、気の向くままに暮らしている。
たまに、気が向いたら定食屋の真似事みたいなことをしてるけどな。これも別に、儲けたいとか、名を上げたいとかじゃない。
美味そうなものを見つけ料理を研究していくうちに、一人じゃ食べ切れないし、「せっかくだから、誰かにも食わせてやるか」くらいの軽いノリで始めた。
誰かが「美味い!」と唸るのを見るのは、悪くないしな。
だから、店が開いてるかは、その日のオレの食材探しの成果と、調理への情熱次第。せっかくならば中途半端なものは出したくないからな。
今日も昼過ぎまで惰眠を貪って、ようやくむくりと起き上がった。
天気もいいし、いつもの森へとでかけるか。そんな感じで家を出て、小一時間ほど分け入る。
途中、白い閃光のような光るウサギのような魔物が駆け抜けた。尋常じゃない速度だが、その動きから察するに、筋肉の質は極上だろう。
「ほう、これはいい素材だ……。この速さで動く筋肉なら、火入れの加減で驚くほど柔らかく、かつ濃厚な旨味を引き出せるはずだ」
身体強化を駆使し、その変幻自在な動きを読み切って捕獲。
手に取って確かめると、予想通り、引き締まっているが見事な弾力だ。
これは低温でじっくり火を通し、最後に高温で表面を焼き固め、香草バターで仕上げるのがベストか……? いや、いっそコンフィに……? 思考が止まらない。
さらに進むと、足元でポンポンとリズミカルな音を立てる爆発するキノコの群生地を見つけた。近づくと破裂音で威嚇してくるが、その際に放たれる胞子の香りが、なんとも複雑で魅惑的だ。
「このキノコ、音はうるさいが、香りは一級品なんだよな……。この芳醇な香りを活かすには、クリーム系のスープか? いや、コンソメで、香りをダイレクトに楽しむべきか……」
胞子が飛び散らないよう慎重に、かつ最も香りが強い、傘が開ききる直前のものを厳選して採取する。うん、これは極上のスープができそうだ。
今日の探索は大当たりだな。最高の食材が手に入った。これなら、腕が鳴る。夕方くらいに店でも開けて、この感動を誰かと分かち合うか。
◆
夕暮れ時、納得のいく仕込みを終え、ようやく店を開ける。
限られた席数の、こんな辺鄙な店だが、開ければ誰かしらやってくる。物好きな連中もいたもんだ。
すると、待ってましたとばかりに、馴染みの顔がやってきた。
「おーい、レイル! ようやっと店を開けたか! お前さんの料理が食べたくて待ちきれなかったんだぞ!」
戸を勢いよく開けて入ってきたのは、村のおっさんだ。
「おう、いらっしゃい。ちょうどいいところに来たな。今日は自信作が出来たぞ。ウサギ肉の低温ロースト、香草バターソースと、キノコの極上コンソメスープだ」
オレは今日の成果を披露するように、メニューを告げる。
「おぉ、すげえ美味そうだ! 両方くれ!」
おっさんはカウンターにどかっと座る。その期待に満ちた顔を見るのは、悪くない。
オレは完璧なタイミングで火から下ろしたローストを切り分け、温めておいた皿に盛り付ける。ソースを丁寧にかけて、仕上げにパセリを散らす。スープも、濁らせないよう細心の注意を払って注ぐ。芳香な香りが、静かに店内に満ちていく。
「ほい、お待ちどう。温かいうちに味わってくれ」
「サンキュー! うっはー、見た目からして芸術品みたいだな! いただきます!」
おっさんはまずスープを一口啜り、目を見開いた。
「う、うまい……! なんだこれ!? キノコの香りがすごいのに、味がめちゃくちゃ澄んでる……! 体が芯から温まるようだ……!」
次に、ナイフを入れたウサギ肉を口に運び、しばし固まった後、「んんんーーーっ!!」と天を仰いだ。
「最高だ……! なんだこの柔らかさ!? 噛むと肉汁と旨味が溢れてきて……バターの風味がまた……! なあレイル、これ、本当にただのウサギとキノコなのか!? どうやったらこんな味になるんだ!?」
「まあ、素材の良さを引き出すために、下処理とか火加減とか、色々試行錯誤はしてるからな。このウサギは筋肉質だったから、火入れの温度と時間が肝心でな。キノコも、香りを最大限に活かすために、温度管理には特に気を使った。……まあ、美味いと感じてくれたなら、料理人冥利に尽きるってもんだ」
オレにとっては、最高の味を追求するための当然のプロセスだ。
ただ、目の前の食材と向き合い、そのポテンシャルを最大限に引き出す。それだけだ。まあ、結果的に美味いって言ってもらえるなら、なおのことよし。オレ自身も、この味には満足しているしな。
その後も、仕事を終えた村人たちがちらほらと訪れ、オレの渾身の一皿に驚嘆していく。
みんな「こんな料理、王宮だって敵わないんじゃないか?」とか「レイルの料理はもはや魔法だ」とか大袈裟に褒めてくれるが、オレとしては「いや、ちゃんと手順を踏めば誰でも……できると思うぞ」としか思わない。
だって、オレはただ、自分の自由な時間に、好きな料理を追求してるだけなんだから。
◆
客が途絶え、ようやく店じまい。と言っても、看板を下ろすだけだが。
試作用に残しておいたスープをゆっくりと味わいながら、窓の外の星空をぼんやりと眺める。うん、やはりこの香りは格別だ。もう少し抽出時間を変えてみるか……?
ああ、今日も一日、誰にも急かされず、自分の好きなことに没頭できたな……。こういう時間こそ、最高の贅沢だ。
前世では、こんな充実感と共に夜を迎えることなんて、一度もなかった。
今はどうだ? 好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、気が向いたら最高の食材を求めて森を歩き、調理法を考え、実践し、味わう。
そしてたまに、その成果を人にもお裾分けする。
これだよ、これ。オレが求めていたのは、こういう自由で、創造的で、そしてとびきり美味しい時間なんだ。
「さて、明日は何をしようかな……。天気次第だけど、一日中、新しいソースのレシピを考えるのも悪くないな……。いや、でも、あそこの川にいるあの魚……そろそろ旬の時期かもな。あれは、バター焼きにすると、マジでうまいんだよな……」
そんな料理のことばかり考えながら、オレの一日は終わるのだった。
◆
俺の名はアレン。ここエルム村で生まれ育った、ごく普通の村人だ。
この村は、王都から馬車を乗り継いで何日もかかる、いわゆる辺境の村だ。
昔はこれといった特産品もなく、若者は皆、成人すると村を出て行ってしまう、典型的な過疎村だった。
いや、それはもう昔の話か。
この村には二つの「名物」がある。
一つは、村のすぐ外れに広がる、人類未踏の禁忌の地――
空に巨大な森が浮かんでいる、なんていう途方もない光景は、一度見たら忘れられない。もちろん、入ったら二度と生きては戻れないと噂される、恐ろしい場所。
そして、もう一つが、ここ「気まぐれ亭」。
店主はレイルさんという、どこか飄々とした雰囲気の男の人だ。
この店、名前の通り本当に気まぐれで、いつ開くかはレイルさんの気分と、その日の「食材の収穫」次第。
なんでも、レイルさん自身が狩ってきた食材しか使わないという、とんでもないこだわりようなのだ。
カウンター席に座り、今日の日替わり定食――「光るウサギ肉の低温ロースト、香草バターソースと、爆発キノコの極上コンソメスープ」――を頬張る。
うまい……! なんだこのウサギ肉!?
口の中でとろけるように柔らかく、噛むほどに濃厚な旨味が溢れ出してくる。スープも、キノコの芳醇な香りが鼻腔をくすぐり、複雑で深みのある味わいが体に染み渡るようだ。
こんな料理、王都の高級レストランだって逆立ちしても出せないだろう。
俺も、元々は故郷のエルム村を離れ王都で騎士団に所属していたんだが、この「気まぐれ亭」の噂を聞きつけて帰省し、レイルさんの料理の虜になってしまった一人だ。
今では騎士団を引退し、故郷のこの村に腰を下ろし、レイルさんの店が開くのを心待ちにする毎日。正直、この村で暮らしているのは、この店の料理が食べたいから、と言っても過言じゃない。
そして、俺以外にも、この店の料理を食べたいがために、この村に住んでいるやつが他にもたくさんいる。
まさか、村の抱えていた過疎化の原因を定食屋が解決してしまうとはな。
それにしても、レイルさんの持ってくる食材は、いつも見たこともないような珍しいものばかりだ。今日の光るウサギや爆発するキノコだって、普通の森で採れるとは思えない。
……まさか、とは思うが、レイルさん、あの
いやいや、そんな馬鹿な。あそこは致死率100%、生きて帰ってきた者はいないと言われる人類未踏の地だ。
もし本当にそうなら、レイルさんは国どころか、世界最強の英雄だって名乗れるレベルだ。でも、本人はいたってのんびりしていて、そんな素振りは微塵も見せない。
これは、どういうことだ……?
うーん、まあ、深く考えるのはやめよう。
レイルさんの料理が美味い、それで十分じゃないか。
このとろけるようなウサギ肉を前にして、難しいことを考えるのは野暮ってもんだからな。
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