第2話

 ダグラに言い返せなかったくやしさと理不尽への怒りを抱いて、泊っている宿の部屋に立ち入った。ダガーと防具を身に着けてすぐに身をひるがえす。


 宿の部屋を出る際に、鏡に映った自分と目が合った。


 ユースフォリアの屋敷を出る前とはまるで別人だ。陽光を発するような金色の髪はすっかり色あせて白一色に染まった。ストレスで髪の毛の色素が枯渇こかつしてしまったのだろう。

 

 小さい頃は毎日が楽しかった。いそがしかったけどとても充実していた。


 でも私の現実は、このちっぽけな宿の小部屋にある。屋敷で過ごした幸せな時間がとても遠く感じられて目がじーんとする。


 涙をこらえて一人宿を後にした。再び街の人混みに混じる。


 ヒソヒソ話が聞こえる。道に点在する人影が私のことを嘲笑っている。


 物を盗むことは、とてもいやしいことだと教会は説く。


 盗人のスキルを持つ者は、何かを盗むことでしか存在価値を証明できない。


 いわば私は存在自体が罪。平民からも下に見られる始末だ。


 私は黒いフードの両端を引っ張って顔を隠した。歩行スピードを速めてダンジョンへと急ぐ。


 大きな扉を押してキンダルの産声に足を踏み入れた。ブーツの音を抑えつつ、青ざめたような色合いの通路を駆け抜ける。


 キンダルの産声は高難易度に指定されたダンジョンだ。猛者でも一人で挑むことは無謀とされる。


 その理由の大半は魔物にある。個々が人より強い力を持っていながら、人間に匹敵する知能を有している。


 囲まれたら終わりだ。魔物に見つからないように奥へと足を進ませる。


「ヒュドラはどこよ……!」


 苛立ちが言葉となって口を突いた。


 今は夜時間。外が昼の内に活動していた魔物は行動パターンを変える。


 ヒュドラは昼時間に遭遇することが多い。フロア中を探し回っても見つからない可能性がある。


「下の階層に行くしかないのかな」


 下へ進めばその分出口が遠ざかる。距離が開くほど脱出の際のリスクが高まる。


 でもヒュドラのうろこを手に入れないとダグラに体を要求される。


 そんなのは嫌だ。耐えられない。あのボコボコした腕に肌をなぞられると思っただけで嫌な震えが体を駆けめぐる。


 意を決して石造りの階段を下った。またヒュドラを探し回って、まだ下る。


 結構下まで進んでしまった。


 帰りのことを考えると、そろそろヒュドラを見つけたいところだ。一体どこに潜んでいるんだろう。


「グルルッ」

「っ⁉」


 息を呑んで振り返る。


 オオカミに似た魔物が立っていた。鼻が利くタイプの個体だ。


「よりにもよってこんな時に!」


 オオカミが遠吠えを始めた。


 すぐに黙らせなきゃいけないけど、あの魔物は私一人じゃ鎮圧するにも時間が掛かる。戦う音で他の魔物が寄ってきたらそれこそ詰みだ。


 ここは逃走一択。全力で地面を蹴り飛ばして疾走に移行する。


 魔物には縄張りがある。同じ階層でもそう遠くまでは追ってこない。


 逃げ切れるはずだったけれど、運悪く左の角から大きな魔物が出てきた。


「もうっ!」

 

 悪態をついて右に曲がる。

 

 後方でドタドタと足音が響き渡る。待てと言っているのか、地獄の底から響くようなうなり声が追いかけてくる。これだけうるさいと他の魔物が寄ってくるのも時間の問題だ。


 もうこの階層でヒュドラを探す余裕はない。階段に直行して下層に移る。


 どこまで走ってもヒュドラには出会えない。


 魔物が魔物を呼ぶ地獄絵図。疾走を続けて足が重くなりつつある。もはや地上に駆け戻る体力もない。


 発想を転換した。


 最下層は基本的にダンジョンのぬしの部屋だ。階段を降りてすぐには何もない空間があるけれど、魔物は主を怖がって集まらない。そこでならゆっくりと足を休められる。


 私は生き残るために走り続ける。


 爪がフードを切り裂いた。


 爆炎がすれ違った。


 ずっと走り続けたせいで足がもつれた。


 すりむいたひざから赤い液体がにじみ出るものの、痛みをこらえて地面を蹴った。

 

 当たれば一撃必殺を誇る攻撃をかいくぐって、私は無事最下層の地面を踏みしめることに成功した。


「はぁ、はぁ……っ」


 振り返って後方を確認する。


 魔物が引き返していくのを見て安堵あんどのため息をついた。


 息が苦しい。ダンジョンに入ってからずっと走りっぱなしだった。


 盗人は化け物じみたスタミナを保有する。ダンジョンの最下層を目指すだけなら不可能じゃない。


 でも戦闘能力の低い私がダンジョンの主に勝つのは不可能だ。最下層に到達したところでできることはない。


 足を休めたら地上を目指さないと。今度はヒュドラ見つかるかなぁ。


 憂鬱ゆううつな気分に浸って腰を下ろそうとした刹那せつな、視界の隅できらめく光がちらついた。


 視線を振った先には巨大な鎖らしき物があった。


 断定できないのは、それが見慣れない物だからだ。グルグルと巻かれたそれは鈍く輝いて、まるで心臓が放つ鼓動のようにうずいている。


 その中心には巨大な人型があった。

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