思考に来た蛍

松ノ枝

思考に来た蛍

 月夜に蛍が光り漂う。その光は美しく、私の目を釘付けにする。

 一日の業務終わりの帰り道、サラリーマンたる私は蛍に出会った。

 蛍、水辺の近くに住んでいる印象を私は持つ。それも夏に良く見かけるだろう。しかし最近ではあまり見かけなくなった。私に見る時間が無いのもあるが、綺麗な川や池が少なくなっているのも理由の一つだろう。

 月光が私と蛍を照らしている。蛍の光は異性との出会いや外敵への威嚇、防御に用いられるらしい。

 このことを思い出した私は昼間、夏であるにも関わらず節約だといいエアコンをつけなかった影響なのか、変なことを思いついてしまった。

 私はもしやメスかもしれないし、オスかもしれない。

 無論、自身の性別は理解している。肉体的にも、精神的にも。しかし思考の中の私の性別は曖昧に揺れる。

 目の前の光る蛍の性別を私は存じ上げない。私が観測している以上、確定してはいるだろう。だがオスやメスを引き付ける光に私は寄ってきたのだ。現実の性別は決まっても、思考の中の蛍の性別はオスとメスが重なり合ったように感じられる。

 この蛍がオスであると仮定したなら私はメスであり、蛍がメスなら私はオスだ。そんなことが思考の中ならあるだろう。

 こんなことがあればいいなと考えるだけで少し疲れが消えた気がした。昔からこういうことを考えるのは好きだった。

 他にも考えられることはある。例えば私は蛍の外敵であるというもの。蜘蛛や蟷螂であれば個人的に素敵だなと思う。カエルもあるがそれは遠慮願いたい。

 蛍を眺め、そんなことを想像していると、かの蛍が突如地面に落っこちた。私は慌てて近づき、様子を見る。

 どうやら死んでいるようだった。ルシフェリンとルシフェラーゼによって輝く光は死後も灯されている。

 そんな光景を見てまたも私はあることを思考する。

 この蛍は初めから死んでいたのかもしれない。

 飛んでいるように見えたのは死後の体の動きかもしれない。そんなことあるはずないと分かっているが考えは止まらない。

 蛍はあらかじめプログラムされた行動に従って死した己を羽ばたかせたのだ。そこにあるのは蛍自身の意思ではなく、きっちりと揃った行動の歯車。

 歯車、私のことでもある。会社の歯車として働く私はこの蛍そのものだ。意思はなく、ただ決められた行動を肉体が後追いするだけの日々。楽しみはなく、苦しみを感じるような思考もしない。屍同然の存在。それが私である。

 しかしこの蛍のおかげで失った思考を取り戻した気がする。この思考が役に立つかは知らないが、今後の私の行動に大きな跡を残すことだろう。

 地に落ちた蛍に別れを告げて私は帰路に着く。

 その思考には淡く光る蛍が一匹。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思考に来た蛍 松ノ枝 @yugatyusiark

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ