私にしか出来ないことを

幸まる

第1話 沈むじゃがいも

領主館の厨房では、多くの料理人達が働く。

彼等の仕事を支えているのは、十人弱の下男下女達だ。

彼等が食材の下処理をしたり、調理器具の準備や片付けを行うことで、料理人達は円滑に調理を行い、出来立ての見事な一皿を領主館の人々に提供できるのだ。




下女のサシャは、水を張った大鍋を見つめて、珍しく溜め息をついた。

鍋の中には、皮を剥かれた大量のじゃがいもが沈んでいる。


厨房の仕事は多くて大変だが、大好きで、いつもはサシャが溜め息をつくようなことは滅多にない。

しかしこの半月程は、こんな溜め息が増えていた。



ちょうど裏口から出てきた下男と下女が、楽しそうに笑って話しているのに目をやり、サシャは口を開いた。


「メリンダさん、あの……」

「はいはい、なんです?」


メリンダと呼ばれた下女は、談笑を遮られてもにこやかに応じる。

彼女は最近厨房に入った者で、サシャよりも十近く年上だった。


「じゃがいもは、調理に使う分だけを直前に剥くようにして下さい」

「ええ? 一日に使う分を一度にまとめて剥いておいた方が、効率が良くないですか?」

「効率の問題じゃ……」


メリンダは、軽く首を傾げて薄く微笑む。

サシャに向けられるその視線は優しいが、まるで聞き分けのない幼い子供を見るようだ。


「長く水に晒すと風味が落ちるようなものはそうしますけど、じゃがいもは大して変わらないですよね」

「それは、……多分、そうなんですけど」

「じゃあいいじゃないですか。前のお屋敷ではそうしていましたよ」


メリンダの決まり文句が出て、サシャはぐっと言葉を飲み込んだ。



メリンダは領主館に入る前、領地の端にある貴族屋敷の厨房で三年働いていた。

夫の都合でこちらの領に越して来て、領主館で働き始めたのだ。

その際、この厨房では先輩にあたるサシャが、メリンダに仕事を教える役についた。


しかし、どうも上手くいかない。


厨房の下女として働いた経験のあるメリンダは、サシャが教えるまでもなく、基本的なことは知っている。

手先も器用で手際が良いので、ずっと付いて教える必要もない。

必然的に、この厨房での決まり事や流れを教えることが多くなるのだが、そういう時の決まり文句が「前のお屋敷ではこうしていましたよ」だった。



サシャは昼食に使う分だけの芋を掬い上げながら、また溜め息を落とした。


メリンダが前の屋敷でやっていたことを否定するつもりはない。

しかし、領主館の厨房には、ここなりの決まりや流れがあって、それを大事にすることが間違っているとも思えない。

代々厨房で働く料理人達が継いできた、意味のあるものだって多いはずだ。

ただ、その意味や理由を詳しく知らないサシャには、メリンダが主張する前の屋敷のやり方に異議を唱えることも出来ないのだった。



サシャは、残りのじゃがいもの沈んだ大鍋の水面を眺めた。


じゃがいもをどうしてまとめて剥かないのか、その理由も知らない。

尋ねれば、料理人達はきっと教えてくれるだろう。

しかし、ただの下女があれこれ聞いてくるのは面倒かもしれないし、下女がその理由を知っても、何に活かせるものでもない。


「私、何も出来ない……」


ここでの暮らしに不満はないが、七年以上もここに居るのに大した働きの出来ない自分は、取るに足りない存在である様な気がして、サシャは気分が落ち込んだ。





「サシャ、何かあった?」


深夜の厨房でりんごを剥いていたサシャは、隣から声を掛けられて顔を上げた。

今夜はハイスの手伝いで、煮りんごにする為のりんごを大量に剥いている。

ハイスは厨房の製菓担当料理人で、サシャの恋人だ。


「……え、どうして?」

「なんだかすごく浮かない顔してるから」


彼の手伝いをする深夜の時間は、サシャにとって何ものにも代えられない大切な時間だ。

ハイスも同じように思ってくれていることを知っているのに、彼に心配させてしまうような顔をしていたのかと申し訳なさが込み上げる。


ハイスは皮を剥いていたナイフを置いて、蜜色の瞳でサシャの顔を覗き込んだ。


「サシャ、もしかしてだけど、メリンダと上手くいってないんじゃない?」

「あ、えっと、そういうわけじゃ……」

「俺が一言言ってやろうか?」

「それはダメ!」


サシャは慌てて首を振る。

浮かない顔の理由を見透かされていたことも恥ずかしいが、自分の仕事のことで恋人ハイスに助けを求めるようなことは更に恥ずかしい。

それも、サシャがなんとなくモヤモヤしているだけで、厨房の仕事に支障が出ているわけではないのに。


「ありがとう、ハイス。大丈夫だから」

「本当? 本当に大丈夫?」

「大丈夫よ」


ちゃんと笑って言ったつもりだが、全然安心出来ないというような表情を向けられて、サシャは手元に視線を落とした。

ふと、側にある鍋の中身が目に入る。

剥いてカットしたりんごが、砂糖にまぶされて入っている。

鍋の底には、染み出た果汁が薄く溜まっていた。


「ねえ、ハイス。どうして切った先から砂糖をまぶすの?」

「え? ああ、砂糖をまぶすと、浸透圧でりんごの水分が染み出てくるんだ。それから煮ると煮上がりが早くなって煮崩れしにくいし、味も入りやすいんだよ」

「やっぱり、何にでもちゃんと理由があるのね」


サシャが感心したように言うので、ハイスは瞬いた。


「サシャ、もしかして製菓に興味ある?」

「興味はあるわ。製菓だけじゃなくて、厨房のこと、全部。私、なんにも知らないから……」

「そんなことないと思うけど、もっと知りたいなら、今みたいに何でも聞くといいよ」

「……うん、でも、皆忙しいでしょ? 私なんかがあれこれ聞くのは悪い気がして」


ハイスは少し眉を下げた。


サシャは、何も知らないなんてことはない。

下女として厨房で七年以上も働いているのだ。

その働きぶりはとても真面目で、どの部門でも一日の流れや段取りを覚えて手伝えている。

立派な働きだ。


しかし、サシャは子供の頃に親に売られそうになった過去を持つ為か、自己肯定感が低い。

だから「私が」という言葉が口をついて出るのだ。


「一緒に働く仲間なんだから、悪いなんてことないよ。それにほら、皆サシャが好きだし!」


ハイスがわざと口を歪めた。

サシャは子供の頃から領主館にいたので、年上の使用人達から、未だに可愛がられているのだ。



拗ねたように見せるハイスを、サシャは笑う。

ハイスはいつだって優しい。


「ありがとう、ハイス。……りんご、剥きましょ」

「あ、うん」


二人で目を合わせて、なんとなく照れ笑いする。

りんごの皮を剥くシャリシャリという音が、夜の厨房で重なった。




( 第二話へつづく )

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