「藤田嗣治 7つの情熱」、ましろい肌の、そのあいだに在る愛
木谷日向子
第1話
水曜日が休みの日に、新宿に久しぶりに降り立っていた。 理由は、SOMPO美術館で、4月12日から6月22日まで行われている、「藤田嗣治 7つの情熱」展に来たからだ。
正直、藤田嗣治に今まで、あまり興味を持つことはなかった。有名すぎる、ということもあったかもしれない。
明確に惹かれたことがないのに、その日の私は、何故か藤田嗣治の絵を見ることに、なにか運命的なものを感じていた。それは、ルドン展に行こうとして、誤ってSOMPO美術館に辿り着いてしまったことに起因している。ルドン展の行われている、パナソニック汐留美術館まで引き返そうかと思ったのだが、時間を計算して、今から向かうと閉館時間ぎりぎりになってしまう。なので、今日はせっかくだからと、その場に一番近かったSOMPO美術館に行くことにした。
最初は、うっかりしてしまった自分に落ち込んでいた。館内に入るときも、気を取り直して! と無理やり前向きに気持ちを切り替えようとしていた。(今思えば、藤田嗣治先生と、ファンの方々に大変失礼な話だが)
だが、館を出る頃には、自身のうっかり癖に、感謝していた。
平日であったためか、ひとがとても少なかった。そのため、ひとつひとつの作品を、じっくりと気の済むまで鑑賞することができた。
扉に猫を模した飾りがあまたあり、それだけで猫好きの私はテンションがあがっていた。
館に入り、フジタの作品群と出会う。藤田の絵は、ひとめ見ただけで藤田が描いたとわかる絵柄だった。
細い目、やわらかだが線の細いからだ、墨に色をほどこして塗られたような色彩。
他の作家が真似したくともできない、藤田にしか描けないなにかが、絵の中をたゆたっている。
特に私が惹かれたのは、子どもの絵と、裸の女の絵だった。人気を博したとされる「乳白色の肌」の裸婦像が集められたコーナーがあり、その階の作品を最後まで見たあとで、ふわりと脳裏に「乳白色の肌」があらわれる。どうも気になり、またはじめから見直すことを繰り返してしまった。
私のからだは、一度目にした「乳白色の肌」の女たちに、囚われていた。
白い画面に、薄墨で影が少しほどこされただけの肌色なのだが、においたつような色香を感じた。藤田と関係のあった女性がモデルにされた絵(《マドレーヌの肖像》など)もあったので、直接彼にふれられた女が放つ、白のかがやきなのだろうか。その裸に至るまでに画かれたものと、画かれなかったものに、神秘的な情欲があった。それが、上品で嫌味がなく、存在していた。彼らのあいだに、確かにあった愛がもたらすものだった。
にわかに知っていた藤田の絵が、ほんのさわり程度のものでしかなかったことを思い知る展覧会だった。
私のように、そこまで藤田嗣治を知らないひとにこそ足を運んでほしい。私は、本当に行ってよかったと、偶然をもたらしてくれたものすべてに感謝していた。
今でも、陶器のような彼女たちの肌を、白い月に重ねて、自宅のしろいマグカップの、つるりとした肌に重ねて思いだす。
「藤田嗣治 7つの情熱」、ましろい肌の、そのあいだに在る愛 木谷日向子 @komobota705
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