第一話 過保護な許嫁とリボンとお菓子④

 後ろ暗い思いをする朔夜の横から、ひょこ、と、愛が顔を出す。


「結婚が決まっていても、神森さんは、卒業まで待ってくれるのよね」


 彼女は日直の日誌を抱え、鉛筆で何やら書き込んでいた。


「『朔夜ちゃんがお昼休みに刺繍をしていました』……と」

「何を書いているの。先生に怒られてしまうわ」

「クラスのお友だちの活動を書く欄ですもの。朔夜ちゃんのことなら、たいてい怒られたりしないわ」


 愛は当然のように言う。それを受けて、美代もとなりでうなずいている。


「朔夜ちゃんは怒られるようなことしないもんね」

「だれもしないでしょう、そんなこと」


 朔夜は教室を見まわして肩をすくめた。

 先進的な校風ではあるが、通っているのは貴族か、裕福な家の女子ばかりだ。娘にしっかりとした教育を受けさせたい親が選ぶ学校で、多少のお小言を受けることはあれど、日誌に書いて怒られるような騒動は、そうそう起こさない。


 視線を戻そうとしたところで、ふと、窓ぎわに集う数名が気にかかって、目をとめる。


「朔夜ちゃん、どうしたの?」

「あの子たち……」


 ひとり、見慣れない女子がいた気がしたのだ。

 けれど瞬きをしてみると、四人いると思った少女は三人で、全員知っている顔だった。

 彼女たちは窓から校庭を見下ろし、雀のようにお喋りしている。


「ねえ、今年の新入生たち、小さくて可愛い子が多いのね」

「去年も言ってなかった?」

「私たちも、卒業したおねえさまがたに言われていたわよ」

「『卒業顔』はいないみたいね」

「いたら見ものだったでしょうに、つまらないの」


 賑やかであっても、うるさくはない話し声だったものの、聞き咎めた愛がきゅっと眉をつりあげた。


「そういう言い方、よくないわ」


 卒業顔とは、『卒業するまで嫁のもらい手がない』と、不細工を揶揄する言い方である。

 この学校ではほとんど全員が卒業するので縁のない表現なのだが、誰かが他校から輸入して、時おり聞こえてくる。

 愛は、そういうたぐいの揶揄が嫌いなうえ、放っておけない性分だった。

 三人の少女たちが、しまった、と顔をしかめた。


「なあによ、優等生ぶって」


 果敢に、というか、無謀にも言い返してくるひとりに、愛は厳しい表情を向けた。


「うちの学校にふさわしくないもの言いはして」

 もし、愛が喧嘩腰であったり、険のある様子であったりしたら、少女たちと諍いを起こしたかもしれない。

 けれども、こういうときの愛は、ひたすらかっこいいのである。

 そのあかしに、きゃあ、と、教室の一角から黄色い悲鳴が上がる。愛には、ひそかな――こちらもまた公然の秘密の――愛好会があるのだった。


 普段は愛くるしいばかりの大きな目をきりりとつりあげ、相手の少女たちを見据える愛の凛々しさといったら、クラスの少女たちが頬を赤く染め目を潤ませて、恋と見紛う視線を向けるほど。

 いつもの印象とは一転、凛とした少年のような雰囲気をかもしだす愛に、うかつなことを言える人間は、そういない。


「うちの学校はみな仲良しだけれど、それは、仲良くしようとお互い努めているからでもあるのよ。大事にしてちょうだい」

「……悪かったわ」


 少女たちはばつが悪そうに首を縮め、頭を下げた。愛の気配がやわらぐ。

 朔夜は、なんとはなしに教室を見まわし、愛に熱い視線を送っている少女たちのうしろに、見慣れないひとりを見つけた。さっき見かけた子だ。

 しかしながら、誰だっけ、と思う間に見失ってしまう。

 学年が違っても、朔夜はたいていの生徒を憶えている。それなのに思い当たる子がいない。


「ねえ美代ちゃん、この学校に、腰より長いおさげ髪の子って、いたかしら」


 針を置き、朔夜の机に頬杖をついたままことの成り行きを見守っていた美代に、小声で尋ねる。美代は朔夜を振り返って、のんびりと返してきた。


「新入生かな? 思い当たらないなあ。腰より髪が長い子って、今どきあまりいないじゃない。初等科の子?」

「セーラーだったから、中等科だと思うけれど……。でも名前がわからないの」

「見間違えじゃない? 髪の長さはそう変えられないけれど、いないもの。うちの学校に、そんなに長い子」

「……そうね」


 意識して視線を動かさないようにしながら、朔夜は美代にうなずいてみせた。

 もし朔夜がその不審な少女がいたほうに目をやったら、美代も振り向いてしまうかもしれない。美代には何も気づかせたくなかった。


(……どこから紛れ込んだのかしら)


 刺しかけの桃の花をそっと指でなぞると、花びらが一瞬、淡く光る。その光は、朔夜以外の誰にも見えないはずのもの。


(この魔除けが気になるなら、ここを去りなさい)


 その瞬間、嫌な予感がぞっと背すじを粟立たせていった。

 魔除けがお気に召さなかったらしい。

 朔夜は友人たちに気づかれない程度に息を詰め、意識してゆっくりと吐き出す。悪寒は一瞬で、息を吐ききるころには何の気配も残っていなかった。


「朔夜ちゃん、次の修身の授業、花壇のお手入れですって」


 すっかりいつもの可愛らしい調子に戻った愛が、日直日誌に花の絵を描きながら言う。音楽、習字、絵画と、芸術の分野で学年一位を独占する彼女の絵は、落書きをしても先生が文句を言わないだろう出来だった。


「あら、楽しくていいわね」


 壁掛けの時計を見やり、裁縫道具を仕舞いつつ答える。そのとき、さりげなく針で指先を突き、小さく溢れてきた血を針に吸わせた。ハンカチで軽く押さえれば、血はすぐに止まり、誰にも気づかれない。

 血を使って針にまじないをかけ、針箱に戻しておく。


「アネモネのお手入れかな」


 昼食後だからか、いくらか気怠そうに美代が窓の外へ目をやる。校門から校舎へ続く道沿いの花壇には、去年の秋、朔夜たちが植えたアネモネが咲いていた。

 美代につられて外を見ていたら、ふいに彼女がいたずらっぽく目を光らせ、朔夜を振り向いた。


「朔夜ちゃん、アネモネの花言葉は、『あなたを愛します』なんだって」

「すてきね」


 美代が何を言わんとしているかはわかる。軽くあしらったのに、今度は愛が朔夜をつついた。


「少し持って帰ったらどう? 神森さんに、贈りもの」

「いくら私でも、許嫁に贈る花を学校から引っこ抜いて帰ることはしないわ」


 友人たちのからかいに、朔夜は呆れつつ笑ってしまった。口もとをおさえようとして、指にかすかな血のあとを見つけ、見つからないようそっと手をおろす。

 その視界の端を、影がよぎる。追いかけても残像のように消え、たしかには捉えられない。


(……禍つものでなければいいのだけれど)


 賑やかな教室、仲のよい友人たちと過ごす楽しい時間。その裏で、朔夜はひとり、憂いを押し隠しもするのだった。

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