残機3の悪役令嬢輪舞(アンチノーブルワルツ)

zataz

第1話「紅い舞踏会」

華やかな調べが宮殿の大広間に満ち溢れていた。ルナリア王国の権力者たちが一堂に会する年に一度の「月光舞踏会」。窓から差し込む月明かりが床に銀色の道を描き、シャンデリアの灯りが宝石のように輝く貴婦人たちのドレスを照らし出していた。


その中でも一際目を引く存在がいた。深紅のドレスに身を包んだヴィオレット・アシュフォード。彼女の漆黒の髪は宝石で飾られた簪で上品にまとめられ、青い瞳は周囲を冷静に観察していた。没落貴族の出ながら、その美貌と知性で社交界の頂点まで上り詰めたと噂される女性だ。そして、アレクサンダー・クラウン王太子の婚約者として、今宵の主役の一人だった。


ヴィオレットは優雅に会場を歩きながら、挨拶を交わす貴族たちの視線の奥に潜む羨望と嫉妬を感じ取っていた。彼らの多くは、彼女を「成り上がり者」と蔑み、密かに「悪女」と呼んでいることを知っていた。しかし、それも今宵で終わりになる。王太子との婚約が正式に発表されれば、誰も彼女を軽んじることはできなくなるのだから。


「本当に美しい夜ですわね、ヴィオレット様」


清らかな声に振り向くと、白と金の清楚なドレスを纏った若い女性が立っていた。セレスト・ブライトウッド。その純真無垢な美しさから「聖女」と称えられる貴族の娘だ。彼女は微笑みながら、手に持ったシャンパングラスをヴィオレットに差し出した。


「あなたのための特別なお祝いの一杯です。この晩を忘れないために」


ヴィオレットは柔らかく微笑むと、グラスを受け取った。「ありがとう、セレスト。あなたのような方からのお祝いは、特別な価値がありますわ」


セレストの青い瞳—不思議と自分のそれに似ていると常々感じていた—に真摯な光を見出し、ヴィオレットは安堵した。社交界には偽りの微笑みばかりだが、セレストだけは違う。彼女の純粋さは、この腐敗した宮廷でも稀有な輝きを放っていた。


「どうぞ、飲み干してくださいな。王太子様との門出に、神の祝福がありますように」


セレストの言葉に頷き、ヴィオレットはグラスを掲げた。薔薇の香りのするシャンパンが喉を通り過ぎる瞬間、微かな違和感を覚えたが、それは社交辞令を交わす次の貴族の到来で忘れ去られた。


時間が経つにつれ、ヴィオレットの体に異変が生じ始めた。最初は単なる疲れだと思った。しかし、視界がぼやけ始め、呼吸が苦しくなると、彼女は真実に気づいた。毒だ。誰かが彼女を毒殺しようとしている。


「あ、あなた、具合が悪いのですか?」


傍らに居たフレデリック・ハーウッド伯爵が心配そうに声をかけてきた。幼馴染であり、唯一ヴィオレットが信頼できる人物だ。


「フレデリック…私、何か変なの…」


彼の腕を掴もうとした瞬間、足元がふらついた。フレデリックが慌てて彼女を支えようとしたが、そこに王太子の声が響いた。


「ヴィオレット!」


アレクサンダー王太子が怒りに満ちた表情で近づいてきた。その手には、ヴィオレットが先ほどまで持っていたシャンパングラスがあった。


「これはどういうことだ?グラスから猛毒が検出された。しかも我が父、国王陛下に献上される予定だった杯と取り替えられていたという報告が入った」


ヴィオレットは言葉を失った。猶予なく太子の青ざめた顔から、彼女はその意味を理解した。彼は、自分が毒を仕掛けたと思っている。


「違うわ、アレクサンダー!私は何も…」


しかし、毒の作用で言葉が途切れる。会場は次第に静まり返り、全ての視線が彼女に集まった。


「申し訳ありませんが、証人がいます」


ドラクロワ宰相が冷たい声で言った。老獪な政治家は、常にヴィオレットを警戒していた。彼の隣には、顔を青ざめさせたセレストがいた。


「私は…ヴィオレット様が王家専用の杯に何かを…入れるのを見てしまいました…」彼女は震える声で語った。「信じたくありませんでした…でも、自分の目で見たことは…」


「嘘よ!」ヴィオレットは必死で叫んだ。「私がそんなことをするはずがないでしょう!」


しかし、セレストの証言に会場は騒然となった。ドラクロワ宰相の冷酷な微笑みが、その混乱の中で一瞬だけ見えた気がした。


「ヴィオレット・アシュフォード」王太子の声が厳かに響く。「貴女との婚約を即刻破棄し、反逆罪として処刑を言い渡す」


言葉の重みが彼女を押しつぶした。何もかもが終わった。彼女の人生、野望、全てが。


「お連れしましょう」


王宮衛兵が彼女の両脇を固め、会場から連行しようとしたその時、ヴィオレットの視界がさらに歪んだ。突然の衝動に身を委ね、彼女は衛兵の腕から抜け出し、会場の大きな窓へと走った。


「ヴィオレット!やめろ!」


フレデリックの悲痛な叫びを背に、彼女は窓を押し開け、外の冷たい夜気を肌に感じた。後には地上まで百フィートの断崖がある。


「たとえ死んでも、こんな屈辱は受けない…」


その時、ヴィオレットの瞳に映ったのは、驚愕の表情でこちらを見つめるセレストだった。聖女の仮面の下、その目に浮かんでいたのは…勝利の色だった。


「あなたはただの操り人形だったのよ」セレストの囁きが風に乗って届いた気がした。


憎しみと絶望に胸を焼かれ、ヴィオレットは深い闇へと身を投じた。落下する瞬間、彼女の指にはめていた月型の指輪—亡き母からの形見—が不思議な光を放ち始めた。


「全てをやり直したいと願うか?」


どこからともなく響く声。風切る音と共に迫る地面。死を目前にしたヴィオレットの心に、諦めではなく烈火の如き復讐心が湧き上がった。


「望むわ…全てを…やり直したい!」


その瞬間、時間が止まった。指輪の光が彼女を包み込み、世界が逆回転するように歪み始めた。最後に見たのは、バルコニーから身を乗り出し、冷酷な微笑みを浮かべるセレストの姿だった。


「待っていなさい…今度は、私が策を弄する番よ…」


そして全ては白い光に飲み込まれた。

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