美しい日々よ
@pChron
美しい日々よ
僕、日野海里と宮下晶は同じマンションに住み、いつも隣にいるのが当たり前の存在だった。
小学校に入ったばかりの頃の晶は男顔負けのやんちゃな少女だった。
学年が進むごとに女子と遊ぶことが多くなったが男子からも一目置かれる存在であることは変わらなかった。
クラスの中心人物である彼女と、一緒にいることが多いが目立たない僕。周りから見たら彼女の影のようだったかもしれない。
小学五年生の時、晶の一家は引っ越した。
とはいえ、マンションから歩いて十分程度の近所の一軒家だ。
一緒に登下校する距離が少し短くなったなと感じた。
中学一年生
入学式。僕は晶と一緒に登校した。
「セーラー服、あまり似合わない。」美しい彼女にドキリとして思わず言ってしまった。
「髪、伸ばそうかな」と晶は微笑んだ。
クラスは別々だった。
この頃になると、男女が二人っきりでいることは特別なこととして見られるようになり、通学路で晶を見かけても、小学生の頃のように追い掛けて声をかけることはなくなった。
通学路で見る後ろ姿で、彼女の髪が少しずつ伸びているのを知った。
この一年間、晶とはほとんど話をしなかった。
中学二年生
進級したその日。
同じクラスの小林美也子が話しかけてきた。
一年生の頃、晶と同じクラスで仲が良かったそうだ。
晶から僕の話を聞いていたと、美也子(そう呼んでほしいと頼まれた)は言った。
二年生になると、美也子を通して晶と話す機会が増えた。
久しぶりに話した晶は別人のように女の子らしい雰囲気になったように感じる。
美しい顔立ち、明るい性格の彼女の噂は、クラスの違う僕の耳にも届くほどだった。
同じクラスの加藤君が晶に告白したと聞いてから、しばらくの間、僕はなかなか寝付けず、夜な夜な晶のことを考えていた。
後日、晶が加藤君の告白を断ったと美也子から聞いた。
中学三年生
晶と同じクラスになった。
美也子を欠いた僕たちは、どう接すればいいか分からず、距離を置いていた。
結局、二人の間を繋いだのはまたしても美也子だった。
別クラスから晶を訪ねて来る美也子は、僕にも親しげに話しかけてきた。
美也子がいなくても、僕と晶は話せるようになった。
晶は相変わらずクラスの中心にいる。友人グループも違っていたが、二人で話す機会は多く、意識して二人の時間を作ろうともした。
小学生の頃とは明らかに違う感情を、お互いに抱いていたと思う。
それでも僕たちは、次の関係に進むことなく中学校生活を終えた。
高校一年生
近所の中学生は、特別な理由がない限り大抵この高校に進学する。僕と晶もそうだった。
高校でも晶は相変わらず輝いていた。
時折見かける彼女はいつも友人と一緒で、クラスも違う僕が彼女に話しかけることはできなかった。
遠くから、彼女が友人と笑い合う姿を見つめる時間が増えていった。
高校二年生
同じクラスになった美也子は、相変わらず僕を気にかけてくれる。
中学の頃とは異なる人間関係の中で、美也子と晶の仲も以前ほど親密なものではなくなっていた。
夏休み前、美也子が話しかけてきた。
「晶、告白されて受けたらしいけど聞いてる?」
もちろん、僕は全く知らなかった。
晶は加藤君と付き合い始めたらしい。その噂を裏付けるように、二人が一緒にいる姿を見かけることが増えた。
バレンタインデー、美也子はチョコレートをくれた。
彼女は本命とも義理とも言わなかった。僕はどう応えていいか分からず、進級するまでよそよそしい関係が続いた。
高校三年生
新しいクラスに、美也子も晶もいなかった。
美也子は進級してすぐに、「私と付き合ってほしい」と告白してきた。
僕に、初めての恋人が出来た。
夏期講習も一緒に通い、デートで色々な所へ出かけ、様々な経験をした。
この頃には僕は、視界に入る晶を意識の外へ追い払えるようになっていた。
秋も冬も、僕は美也子と過ごした。
僕の進学先は東京、彼女の進学先は神奈川だったが、大学でもこの関係が続くのだろうか、と思っていた。
受験を終えた二月、美也子と僕は別れた。
彼女は、僕が晶への気持ちを整理できていないことを知っていた。
彼女は泣いていたし僕も泣いていた。
彼女には、感謝しかない。
同窓会
就活も卒論も終えた僕は、残り少ない学生生活を怠惰に過ごしていた。
美也子とは、別れた後、連絡を絶ったものの、再び連絡を取り合うようになり、今では良い友人となった。
ある日、美也子から同窓会の連絡が来る。
関東にいる卒業生で、中学二年生の同窓会をやりたいと誰かが連絡を回しているらしい。
「美也子が行くなら行くよ」と返した。
同窓会当日、そこに晶がいた。
彼女の視線から逃れるように、離れた席で美也子と飲んでいた。美也子も晶とは連絡を取っておらず、来るとは知らなかったようだ。
晶のいる方から、驚く声が上がり、そして次々に「おめでとう」の声が聞こえてきた。
加藤君と晶は結婚することになったそうだ。
加藤君が報告も兼ねて晶を連れてきていたのだ。
その後、美也子が気を使って色々話しかけてくれていたようだが僕は上の空だった。
帰り際、晶が話しかけてきた。
「海里と美也子、大貴君と同じクラスだったんだね」
何と返したのかもよく覚えていない。僕は何も考えたくなかった。
お伽噺の終わり
あの同窓会から五年が経った。
ある仕事帰りの日、カフェで晶の姿を見かけて思わず声をかけてしまった。
晶からの結婚式の招待状は僕には届かなかった。
そうとは知らず、晶の結婚式の話を振ってきた美也子には、随分気まずい思いをさせたと思う。
なので、彼女を見るのは同窓会以来だ。
晶に誘われ、カフェで近況報告をし合う。
今度、美也子も呼んで三人で飲もうと約束して別れた。
三人での酒の席で、晶は僕と美也子が心配になるほどに酒を飲んだ。
酔った彼女は泣き始め、言葉の端々から結婚生活が上手くいってないことを匂わせる。
美也子は晶の涙を見て、静かに僕に目配せした。
とても一人では帰せないので、美也子がタクシーに同乗して送っていった。
後日、晶から謝罪のメッセージが届く。
僕は、「気にしないでいい、辛い時は話を聞くよ」と返信した。
優しい言葉を投げかけながら、彼女の特別な人間になりたいという欲望が蠢いていることに気づいていた。
それから、僕たちは二人で会うようになる。
美也子も呼ぼうとは、どちらからも言い出さなかった。
晶は結婚生活や加藤君の話はしなかった。
二人で会うと思い出話ばかりしている。
幼稚園でいつも晶の後をついて回っていたこと。
小学校で男子と女子の対立が起きたとき、僕は晶の仲間だと見なされ男子グループに入れてもらえなかったこと。
中学の入学式、セーラ服が似合わないと僕に言われたことも彼女は覚えていた「髪を伸ばした理由だもの。覚えてるよ」と笑った。
中学二年生、美也子が晶と僕の間で色々気を揉んでいたらしいこと。
中学三年生、美也子がいないとどう話しかけていいか戸惑ったと聞いて、彼女も同じだったのかと笑った。
僕たちは、中学までの話しかしない。
僕たちは、あの美しい日々の続きを描けなかった。
ある日、彼女から急な誘いがあった。
いつもはこちらの都合を聞いてきてから誘ってくるので、何かあったのだとすぐに分かった。
店に到着すると、彼女は既にお酒が入っていた。
二人だけで会う時は決して飲まなかったのに。
加藤君は晶に仕事を辞めて転勤に付いてきてほしいと言ってるそうだ。
加藤君や、その両親への小さな、しかし、静かに晶の心を蝕むような不満が、ポロリポロリと口から零れ落ちる。
脈絡もなく、唐突に彼女の話は高校時代に移った。
なぜ私から距離を取ったのか、美也子とは付き合っていたのか。
今まで避けてきた話題に踏み込んだ。
僕は正直に全てを話した。
晶に対する気後れ、晶を想う苦しさから逃れるために美也子と付き合ったこと、そしてフラれたこと。
僕たちは何も言わず見つめ合い、どちらからともなく手を重ねた。
僕たちは抱き合うはずだった。
あの美しい日々を取り戻せると思った。
だが、見つめ合う僕たちの瞳は、決してお互いを見ようとせず、過去に逃避しているようだった。
彼女の不満は、僕の未練と同じくらい脆く、汚れていた。
僕は手を離した。
「晶、僕たちはあの頃にはもう戻れない」と呟き、店を出た。
タクシーに乗らず、夜の街を歩いた。あの美しい日々は、中学の教室で終わっていた。
お伽噺の続きなんか、見たくなかった。
美しい日々よ @pChron
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます