第4話 《やり直しの予言》

その夜のバーは、珍しく小雨の音がよく聞こえるほど静かだった。


奥の席でグラスを揺らしていたシオンの前に、店主が一人の客を案内してくる。


「シオンさん、相談したいって人ですよ」


現れたのは、スーツの上着を片腕にかけた青年だった。ネクタイは少し曲がり、髪は雨でところどころ乱れている。


「……ここ、座っていいですか」


「もちろん」


青年は礼儀正しく一礼してから腰を下ろした。


「名前は?」


「カズマと言います」


近くで見ると、目の奥に“諦めきれていない何か”が残っている。


「で、何に悩んでいる?」


カズマは、テーブルの縁を指でなぞりながらぽつりと話し始めた。


「仕事の選択を間違えた気がしてるんです。

やりたいことがあったのに、条件や安定を優先して別の会社に入って……。

“やり直したら違う人生になったのかな”って、ずっと考えてしまって」


そこで一度、苦笑した。


「でも、やり直す勇気もない。結局、どの道を選んでも同じなんじゃないかって思う自分もいて……」


シオンは話を遮らず、ただ相づちだけを返していた。

そして、ふと懐から細長い封筒を取り出す。


「じゃあ、一つだけ“実験”をしようか」


「実験?」


シオンは、封筒の中から一枚の紙を取り出し、さらさらと何かを書きつけると、すぐに折りたたんでテーブルの中央に置いた。


「これは“予言”だ。中身は見ないで、そのまま置いておいてくれ」


カズマは怪訝な顔をしながらも、紙に手を伸ばさず、じっとそれを見つめた。


「カズマ。スマホは持っているね?」


「……はい」


「じゃあ、計算アプリを開いて。今からやるのは、君だけが知っている“やり直しの物語”だ」


カズマは言われた通りに電卓アプリを開いた。


「まず、100以上999以下の数字を一つ、自由に思い浮かべてくれ。ただし、“百の位が一の位よりも大きい数”にしてくれ」


「百の位が……一の位より大きい?」


「そう。たとえば、532とか、941とか。

で、その数字をこっそりスマホに打ち込んで。僕には見せなくていい」


カズマは少し考えてから、画面に数字を入力した。


「打ちました」


「よろしい。じゃあ、その数字の“桁の順番を逆にした数字”を作ってみよう」


「逆に?」


「例えば、532なら235。左と右をひっくり返す」


「ああ、はいはい……」


カズマは逆の数字も入力した。


「今から、こうしてくれ。

“最初に選んだ数字 − ひっくり返した数字”を計算する。大きい方から小さい方を引くイメージだ」


カズマは、画面を見つめながら指を動かした。


「……出ました」


「その答えが、君の“やり直した後の数字”だ。

でも、人間は何度でもやり直したくなる生き物だろう?」


シオンは、薄く笑う。


「さっきと同じように、その答えの“桁を逆にした数字”も作ってみてくれ」


「また逆に……はい」


「じゃあ今度は、

“さっきの答え + 逆にした数字”を計算する」


カズマは少し身を乗り出して、画面に集中した。

指を止め、しばらく固まる。


「……え?」


シオンは、表情を変えずに聞いた。


「結果は?」


カズマは、戸惑いながら口を開いた。


「1089……?」


「そうか」


シオンは頷く。


「その1089という数字は、君がどんな数字を選んで、どんな“やり直し方”をしても、必ずそこに辿り着く」


カズマは電卓をリセットし、別の数字を入れ始めた。


「ちょっと待ってください。じゃあ、さっきと違う数字でもやってみていいですか?」


「もちろん。君の人生と同じだ。何度でもやり直してみるといい」


カズマは別の三桁の数を選び、同じ手順を繰り返した。

最初の数、逆さまの数、引き算、新しい数、その逆さま――加算。


「……また1089だ……!」


二度、三度と繰り返す。


結果は、何度やっても同じ数字。


「どうなってるんですか、これ……?

最初に選んだ数はぜんぶ違うのに、何をやっても、1089に……」


そのとき、カズマの視線がテーブルの中央に置かれた「予言の紙」に止まった。


「……まさか」


シオンは、頷きもせずに言った。


「開けてごらん」


カズマは震える指で紙を開いた。


そこには、たった4つの数字が、くっきりと書かれていた。


「1089」


「……本当に……最初から……」


カズマは言葉を失って紙とスマホを見比べた。


「君は“選び直せば違う結果になるはずだ”と思っている。

実際、最初に選ぶ数字は何通りもあるし、途中の計算も違う。

けれど――“ある法則の中”では、何度やり直しても、行き着く先は同じになる」


シオンは、氷の溶ける音を聞きながら続けた。


「人生も少し似ている。

どの会社に入ったか、どの街に住んだか、誰と関わったか。

選択肢は無数にあるようでいて、君の性格、価値観、癖――

そういう“枠組み”の中で選んでいる限り、結局、似たようなところに辿り着く」


カズマは、息を呑んだ。


「……じゃあ、僕はもう、1089みたいに決まった人生を歩いていくだけなんですか?」


「いいや」


シオンは、静かに首を振った。


「このマジックには、もう一つ大事なポイントがある」


「……?」


「1089に辿り着くまでの計算は、全部、君自身の手でやったってことだ」


カズマは、スマホを握りしめたまま黙り込む。


「最初の数字を選んだのも君。

“もう一度やってみよう”と思ったのも君。

そして、同じ結果に辿り着いたときに、

“どう感じるか”を決めているのも君だ」


その言葉は、ゆっくりとカズマの中に染み込んでいった。


シオンは、そっと立ち上がる。


「枠組みを変えない限り、結果は似る。

でも、その枠組みを作っているのは、いつだって自分自身だ。

君は今、“やり直した世界”を、ただ頭の中で計算しているだけかもしれない」


カズマは、テーブルの上の紙とスマホを見つめた。


どちらにも、同じ数字が光っている。


1089

――“どこから始めても、ここに行き着く数字”。


だが、その数字をどう受け止めるかは、誰にも予言できない。


「……少しだけ、考えが変わった気がします」


カズマは立ち上がり、深く頭を下げた。


「1089を、忘れないようにします」


「忘れてもいいさ」


シオンは笑った。


「でも、“自分で計算した”という感覚だけは、忘れないことだ」


バーの扉が閉まると、外の雨はいつの間にか止んでいた。


シオンは空になったグラスを見つめながら、小さく呟いた。


「――さて、次はどんな数字に迷い込んだ客が来るかな」




🔧 この話で使われているマジックのやり方(あなた用)


物語のマジックは、実際にこうやればできます:


1. 相手に、


100〜999の間で、百の位 > 一の位 になる三桁の数を自由に選んでもらう。


2. その数の桁を逆にした数を作ってもらう。


3. 「大きい方 − 小さい方」をしてもらう。


4. 出てきた答えの桁を逆にした数を作ってもらう。


5. その二つを足す。


6. 結果は、必ず 1089 になる。


演出としては、最初に紙に「1089」と書いて封筒やメモを裏向きで置いておくと、かなり強い“予言マジック”になります。

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『深夜の奇術師』ー アルゴマジック ー Algo Lighter アルゴライター @Algo_Lighter

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