第21話

 実里は視線を少し斜め上に泳がせ、指先を顎に添える。

 言葉が出かけた口を閉じ、何かを反芻するように「……いや、待って」と自分に言い聞かせるように繰り返している。


 悩ましい顔で、碌でもないことを考えていないと良いけど……。


「み、実里?」

「あたし思うんだけど、さ」


 やがて一つの考えに至ったらしい実里が、訝しむように目を細めた。

 まるで何か辻褄が合っていないとでも言いたげに、口元に人差し指を添えながら、ゆっくりと私を見つめる。

 その目つきは、好奇心と疑念が綯い交ぜになっていて……。


「それだけ隙を晒しておきながら無傷って、逆に大学生くん怪しくない?」

「え……えぇ? 怪しくないよ。だって友だちで、隣人で。至ってクリーンな関係じゃない?」

「いやいや怪しいって! 最初は水萌の距離感がバグってるだけの話かと思ってたけど……よく考えたら大学生くんもおかしいじゃん? 最初にお詫びクッキーをフックとして家に連れ込んでおいて、その後二度三度やってくるチャンスで手を出さずに泳がせてるなんてさ。海綿体で構成された脳みそでいったい何を考えて……」


 何か企みがあって私に手を出していない。名探偵実里が言うにはそうらしい。

 実里の中の晴翔くん像がなんとなく浮かんで見えた。

 

「ほら、私っていろいろやらかしてるから……仮にもそういう目で見られないとか」

「いやいや、全然見られるから」


 晴翔くんへの不名誉に対し精一杯の擁護をするがあっさり否定されてしまう。自分でも説得力のなさを感じてしまっていた。

 

 多分男の子ってそういう生き物なんだろう。普段は理性で抑え込んでるから気づかないだけで。


 じゃあやっぱり私とえっちなことをしたいとか襲いたいとか、カラダ目当てとか、そういうことも少しは考えてたり?


 求められたらどうしよう……。

 応えられなかったら今の関係も崩壊するのかな……。

 怖い。昨日観たホラー映画よりも、怖い。


 そんな私の悩みを他所に、実里は推理を続けた。


「まさか……ただの紳士? でも……酔って無防備な水萌を前にして冷静でいられる? このお◯ぱいを前に? あたしは絶対無理だ……襲う! 揉みまくる! ヤる!」


 勢いそのままに、私の胸元に手を伸ばし──それを慌てて腕を交差して胸元をガード、実里の変態な手つきを捌いた。


 油断も隙もないんだから……。


「つまり、よ? 手を伸ばせばすぐそこにあるお◯ぱいに手を伸ばさない男子大学生がいてたまるかってこと。やっぱ怪しいわ」

「晴翔くんはそんな見境のない獣じゃないから! ただ誠実なだけ、それだけ……」


 半分願望だ。主観的で、自分勝手な解釈だ。

 経験豊富な実里の言うような子じゃないって、単に理想を押し付けているだけなのかもしれない。都合の良いように逃げているだけかもしれない。

 それでも彼の優しさを、彼と過ごした週末を信じたい気持ちがあった。


「どうだろねぇ。水萌のためにも、これはちょっとあたしが直々に味見しないと……」

「あ……味見ってどういうこと? ちょっと、変なこと考えてないよね……」


 ニヤりと悪戯な笑みが私の焦りと不安を掻き立てる。


「好きとか付き合ってるとか◯フレとか、そういうわけでもない。じゃああたしも晴翔くんと仲良くしたって問題ナシかなーって。親友のダチはあたしのダチ、みたいな?」

「別に仲良くするのは良いんだけど……変なことするでしょ、実里」

「ちょっ、ひどっ!? 心外なんですケドー! シクシク!」


 文句を言って、わざとらしく目元を拭う仕草までしてみせる。


「まるであたしが常にヤる目的みたいな言い草じゃん〜」

「違うの……?」

「違うから! さすがに人は選ぶし! あくまでリサーチよリサーチ。水萌に変な虫が付いてたらヤダし」

「ふうん……」


 昔から私のことをよく心配してくれる実里。

 今だってきっとそうなんだろう。

 優しい子だって、誰よりも私がよく分かっているから、ここは一つ安心させておくべきかもしれない。実際、晴翔くんは変な虫なんかじゃないのだから。


「リサーチって、どうやって?」

「人となりを知るためにもまずは会ってみないとね。あ、触れたときのリアクションも大事。全身で感じ取って、学術的に分析する!」

「結局ヤル気じゃない!? 晴翔くんに手出したら私だって怒るからね! 誰のものとかじゃないけど……ほんと仲良くしてる子なんだから……」

「出さない出さない! あはは、警戒しちゃって可愛いなぁもう! 大丈夫、あたしに任せて? 水萌の恋を全力でサポートするために晴翔くんの気持ちを丸裸にしてあげる☆」

「いつから私が晴翔くんに恋してることになったのよ……」


 実里の暴走に頭を抱えたくなる。

 本当に会わせて大丈夫かな……。


「さて、そうなると何か会うきっかけが欲しい……あっ、良いこと思いついた! この前、海行く用に水着新しいの買いに行こって話してたでしょ?」

「話してたけど……それがどうかした」

「アレさ、晴翔くん誘ってよ」

「うん、どうしてそうなるの?」


 どう考えてもアウトな提案にキレそうになるも、努めて微笑を浮かべながら疑問を返した。

 たぶん今、頭に怒りマークがついているはずだ。


 そんな私を宥めるように、実里は手をパタパタして笑いながら制した。


「まあ聞いて? 男の子の目線ってやっぱ大事! どういう水着にときめくか、水萌も気になるっしょ? 大学生くんはどんなデザインが好きなのかなぁ。露出多め? はたまた控えめで清楚? ターゲットの好みは知っとかないとね」

「ターゲットって言わないの。はぁ……実里と違って海でモテたいわけじゃないのよね」

「聞こえてんぞー!? いいじゃん、目の保養ってことで恩返ししちゃえば。大学生くんのために好きな水着を着てあげれば、大喜び。普段の迷惑もオールオーケー! 水萌がちょ〜っと肌を見せれば、ゲロの一つ軽いもんよ。……ね?」

「そういうもの……かしら……」


 私の水着姿が恩返しになるなら安いものか。

 晴翔くんは友だちみたいな、というか友だちだけど、だからと言って好き勝手ダル絡みをしていいわけじゃない。今は何でも優しく受け入れてくれるけど、いつ辟易とされて離れていっちゃうか……。

 等価交換なんて堅苦しい意識はないけど、ただ晴翔くんにはちゃんと迷惑料を払ってしかるべき。

 

「……わ、分かった。聞くだけ聞いてみるね。でも断られたらそれまでよ、いい?」

「よっしゃー! 必ず成功させるんだ!! あたしが水萌の魅力を存分に活かしたとっておきの誘い方をレクチャーしよう!! まずは〜……ごにょごにょ…………」

「却下。秒で却下」


 実里のノリノリで冗談かと思うようなとんでもレクチャーを軽く受け流しつつ、私はため息をひとつ吐き出した。


 ……さて、どうやって誘おうかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る