偏移
@Fickle
第1話 白庭の血漣
白庭の空気は、まるで凍りついたガラスのように冷え切っていた。一年に一度の「潜流浄化日(Purity Drift Day)」を迎えた第一潜流浄化学院は、完璧なまでに白く静謐な記念碑のようだった。すべての線、すべての光粒子、整列した千人余の師生たちまでもが、黙して従順の荘厳さを語っていた。
念安は、規定の白いドレスを身にまとい、第三列に立っていた。視線を伏せたまま、胸元に下げた銀の共振ペンダント(Resonance Token)をそっと指先で撫でる。そのわずかに震える微細な振動が、感情を緩やかに和らげてくれていた。
——彼女自身も目を逸らしてきた事実。
この都市においては、「感情の潜流(Drift Field)」は常に安定し、常に整列(Alignment)していなければならない。閾値を超えるような、勝手に流れ出す想いや情動は——罪なのだ。
壇上では、張慕言教師が「潜流連続性理論(Continuity Principle of Drift)」を講義していた。細長い激流ペンを使って、宙に流線の光の軌跡を描いていく。銀色の曲線は、まるで冬の夜に凍結した川の脈のようだった。
その声は温かく、完璧な標準語調で、発話の一音一音が都市の監視規格(Standardized Phonetic Alignment)に寸分違わず適合していた。
「潜流は、断裂があってはならない。統一曲率(Unified Curvature)に従わねばならない。」
光の軌跡に指を当て、彼は穏やかに結んだ。
「いかなる異常な震動、いかなる自発的偏移(Self-induced Drift Deviation)も、浄化処理(Drift Purge Protocol)を引き起こす。」
念安は、そっと目を上げた。
その瞬間だった——
ある奇妙な震えを感じたのだ。潜流盤からでも、共振ペンダントからでもない。張慕言本人から発せられたものだった。
彼の「basin核(Basin Core)」が、一瞬だけ——
目には見えない高周波の漂流(High-Frequency Drift)を起こしていた。
直後、白甲監察衛隊(Whiteguard Enforcement)が窓を破って突入。
氷のように冷たい青色の「潜流抑制場(Suppressive Drift Field)」が、庭全体を瞬時に覆い尽くした。
「識別番号P-72-01 張慕言。涟漪偏移の許容値超過(Drift Deviation Threshold Exceeded)。ただちに浄化処理を実行(Immediate Purge Execution)。」
張慕言は、待たなかった。
即座に身を翻し、随身の「潜流盾(Drift Shield)」を抜き取り、庭の端へと駆け出した。
彼のbasinが引いた銀の線は、爆ぜるように直線を描き、僅か五メートルの間に十数個の微小な涟漪(Microdrift Disturbances)を生んだ。
白庭には沈黙しかなかった。
ただ、念安だけが息を潜め、彼が振り返って自分を見た一瞬を見逃さなかった。
その眼差しには、恐れではなく——
深く、燃えるような慈悲の光が宿っていた。
監察隊長が「潜流崩解器(Drift Disruptor)」を構える。
空を裂く純白の斬波(Whitewave Slash)が放たれ、張慕言のbasin軌道を正確に断ち切った。
彼の身体は硬直し、そして——
無数の細かな潜流粒子へと砕け散った。
白く静かな石畳の上に、真紅の血が花開く。
熱を帯びた巨大なバラのように、ゆっくりと、静かに咲き誇る。
張慕言は倒れながら、かすかに微笑んだ。
唇が音もなく動く。
——自由だ……念安、覚えていて——
その瞬間、空気を裂くように、機械仕掛けの女性音声が庭に響き渡る。
「警告:偏移の存在は即ち罪(Deviation Equals Crime)。すべての潜流ユニットに、再整列検査(Re-Alignment Protocol)を即時実施。」
念安の胸の奥、basin核が微かに震えた。
共振ペンダントから、銀の微光がふっと漏れ出す。
彼女はすぐにそれを抑え込み、俯き、唇を噛み締め、
白いドレスの裾の下で、手を固く握りしめていた。
真っ白な庭は無音だった。
彼女の足元に、赤い血の涟漪がじわりと広がっていく。
まるで、殺された自由のように——
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