The Moon …月の光を紡ぐ少女・アストリッドの物語…

菖蒲十郎

時の流れは時に不思議な縁を織りなす。この物語で語られるのは、そうした縁に導かれた魂の旅路である。私がここに記すのは、18世紀デンマークに生きた一人の少女、アストリッドの物語だ。1730年頃、彼女が16歳の時に始まる出来事は、遠く離れた時代と場所を結ぶ糸となっていく。

当時の世界を想像してみよう。日本では徳川吉宗が将軍として政治改革を進め、大岡忠相（後の越前と呼ばれる）が名奉行として江戸の町を治めていた。西洋では啓蒙思想が芽生え、バッハやヘンデルが音楽の世界に革命を起こしていた時代。そして北欧の小国デンマークでは、後に「人魚姫。」や「マッチ売りの少女。」の物語を生み出すアンデルセンが生まれる約一世紀前の出来事である。

デンマーク王国の歴史を紐解けば、17世紀末からの重要な転換期にあった。クリスチャン5世（在位1670から1699）は父フレデリク3世の改革を引き継ぎ、王権を強化するための制度改革を断行した。1671年には伝統的な貴族勢力に代わる新貴族制度を確立し、国家運営の近代化を図った。彼の側近グリッフェンフェルトの助力を得て、1683年には「デンマーク法。」を制定、法の統一を実現。さらに1688年には度量衡の規格化と土地調査に基づく課税制度の刷新を行い、絶対王政の基盤を固めたのである。

フレデリク4世（在位1699から1730）の治世には、デンマークは大北方戦争（1700から1721）に巻き込まれた。ロシアやポーランドと同盟を結んでスウェーデンと対峙したが、バルト海の覇権はロシアに移り、デンマークの影響力は低下した。王の豪奢な宮殿建設や戦費調達により国庫は逼迫し、農村からの若者の流出が社会問題となった。しかし同時に、福祉制度の整備や王立学校の設立など、民衆の生活向上を目指す政策も進められた時代でもあった。

アストリッドの父は、この大北方戦争で命を落とした。デンマークの農村に残された母子は、時代の荒波の中で生きる術を見出さねばならなかった。

クリスチャン6世（在位1730から1746）の即位した1730年は、まさにこの物語の幕開けとなる年である。農村の労働力不足を解消するため、王は兵役義務を廃止したが、別の問題が浮上した。土地を持たない農民たちは地主の厳しい支配下で苦しみ、逃亡する者も少なくなかった。そこで1733年に導入されたのが「土地緊縛制度、stavnsbånd。」である。農民は自分の村から自由に出ることを禁じられ、土地への縛りが法的に強化された。

一方で文化面では、劇作家ルズヴィ・ホルベアの登場が人々に文学的慰めをもたらした。フレデリク5世（在位1746から1766）の時代には「経済雑誌。」の刊行など農業改革が進められ、1754年には美術学校も設立された。しかし、農民の自由を制限する土地緊縛制度は依然として続き、農村の暮らしは苦難に満ちていた。

これがアストリッドが生きた時代の背景である。彼女の住まいはユトランド半島西部、デンマーク本土の中心を成す広大な地域にあるヤンデルプ（JANDERUP）。この半島はデンマーク領土の約60%を占め、北にスカゲラク海峡、東にカテガット海峡、西に北海、南にはドイツとの国境が広がっている。オーフスやオーデンセといった都市が点在する中、半島全域には平坦で肥沃な農地が広がっていた。

アストリッドの暮らした西部地域は、特に厳しい自然環境に晒されていた。北海からの強風が絶え間なく吹き付け、農業を営むには並々ならぬ忍耐と知恵が必要だった。西海岸には輝く砂浜と風に形を変える砂丘が連なり、内陸部には静かな湖と穏やかな丘陵地帯が点在していた。この厳しい環境が、彼女のような強靭な精神を育んだのかもしれない。まるで自然の試練が、人々の魂を鍛え上げるかのように。

そして、この過酷な地に生まれ育った少女アストリッドには、人知を超えた不思議な能力が宿っていた。

「天使の糸を紡ぐ。」と呼ばれるその力は、やがて時代と空間を超えた魂の旅の起点となるのである。

これから語る物語は、一人の少女の記憶から始まり、数世紀を超えて現代へと続く魂の旅路である。時に悲しく、時に美しく、そして深い慈しみに満ちた物語を、ここに記そう。