負け組夫婦の僻地ライフは意外にも快適です

ゆあん

二人が夫婦になった日

第1話

 閉ざされた扉の重々しい音が部屋に響き渡った。それは苦難の始まりを告げる、不吉な鐘の音のようだった。


 ――ここは、いったいどこ?――


 部屋にはおよそ装飾と呼べるものはなく、壁は薄汚れて無数のヒビが走り、隅には蜘蛛の巣が薄く張り巡らされ、窓越しの夕陽は赤らんだ不穏な影を映していた。質素、というよりは廃屋といった風情である。


 そんな薄暗い部屋の中、立ち尽くす女の手元で、蝋燭ろうそくが頼りなく揺れている。身にまとうのは仕立てのいいドレスに、控えめながら質のいい装飾品。誰がどう見ても貴族の令嬢で、実際にそうであった。吹けば消えてしまいそうな光は、その者の最後の希望のようにさえ見える。


 居るはずのない者が、居るべきでない場所にいる。貴族の娘がこんな場所に連れてこられたという事実。


 それはつまり、私の人生がどうなってしまったのかを物語っていたのであった。



 ――どうしてこうなってしまったのだろう。



 自身の行いが招いた結果だとわかっていても、そう自問せずにはいられない。

 神か悪魔か、何かの因果だと言われても信じてしまいそうなほどの急転直下。地位も名誉も金も信頼も、全てを失った。それでも何かの間違いであってほしいと願う己がいた。だがそれもどうでもよくなってしまった。この部屋に私がいる。それが現実であり、全てだ。


――そう、私は負けたのだ。


 部屋の様子を見れば、空き家になってから久しいのはすぐにわかる。ろくに管理もされていない。表舞台から降ろされた敗北者として、ここでつつましやかに暮らせ、ということだろう。


 それにしても困ったものだ。


 それなりに名家で生まれた貴族令嬢である。いきなりここで生活しろと言われても、いったい何から手をつけていいのか見当もつかない。教えてくれる人も、代わりにやってくれる人も、ここにはいないのだから。


 困ったことと言えば、もう一つ。


 ――この薄暗い部屋に、私と、


 そっと目を横に流せば、私と同じように、部屋に足を踏み入れた時のままの姿勢で虚空こくうを見つめる男の、端正な横顔があった。


 ――オラリオ・ジオフリンテ。


 この地方では珍しい青灰色せいかいしょくの髪をで上げた、切れ長の瞳にモノクルが印象的な美形。堅物の異名を持つ実力派で、真面目で誠実、時に情熱的な政治手腕しゅわんは広く知れ渡っている。将来を約束された出世株であることは疑いようもなく、加えてその容姿である、夢中になる令嬢も多いと聞く。私には縁程遠く、直接お会いすることなどないと思っていた――そんな人物が今、私の隣に立っているのである。


 実際にこの目にするとその異名にもうなずける。たたずまいは美しく高潔こうけつであり、それでいて人を寄せ付けない迫力と鋭さがある。窓の隙間から差し込む夕日がかすかにそのほおを照らしているが、その表情を見ても感情が読み取れない。実に貴族らしいり方だった。

 

 しかし彼も同じ人間である。顔には出なくても、きっと私と同じように困り果てているに違いない。


 ――そりゃあそうだ。


 なにせ彼も私と同じで、ここに追いやられたの一人なのだから。


 とはいえ、胸の内が知れたところで、何を話せというのだろうか。ここに来るまでに会話の機会はなかった。生憎あいにく、こんな状況で役立つ世間話など持ち合わせていない。それは彼も同じなのかもしれない。

 そうして私たちはしばらく、ろくに言葉を交わすこともないまま、ただただ立ち尽くし何もない壁を眺めていた。

 

 空虚に時間を浪費しても、現実は許してくれない。私たちには解決しなくてはならないことがあった。それはこの状況と、これからのこと。


「……困りましたね」


 思わずこぼれた私の独り言が、空虚に響く。オラリオの耳にも入ってしまったらしく、彼は浅く長い溜息ためいきをついた。


「ああ。まったくだ」


 彼のんだ声が部屋に響いた。思いのほか低く、つやのある声。


「――とはいえ、すでにさいは投げられた。どう悲観しようとも、この状況で生き抜いていくほかはない。こんな所でのた垂れ死ぬなど、まっぴらごめんだ」


 革のきしむ音がする。手袋をした彼の拳は強く握られ、そしてわずかに震えている。


 ――この人も悔しいのだ。


「同感です」


 そんなもの、私だって嫌に決まっている。

 私は胸に手をかざして言った。


「もしここで命を落としてしまったら――まるで、本当に負けてしまったみたいではありませんか」

「まったくもって、その通りだ。しかし――」


 彼と目が合う。初めて見るモノクル越しの彼の瞳には、私が映り込んでいる。

 彼は私と向かい合い、続けて言った。


「深い事情は存じ上げないが、貴方もこのような事態を望んでいたわけではないのでしょう。今からでも遅くはない。私のつて手を使えば、今よりはマシなところへお送りすることもできるかもしれない」


 その真剣な表情に、誠意を感じる。他の貴族なら体面での発言を疑ってしまうところだが、どういう訳か、私にはそれが本心のように感じた。


「ここなら彼らの目も届かないはず、ならば律儀に言いつけを守る必要もない――あなたはまだ若い。人にはやり直しの機会を与えるべきだ」


 彼は真面目なのだろう。気が触れてしまう者も出るだろう状況だというのに、他人を気遣えるとは。やはり周文に違わぬ殿方だ。


 しかし現実はどうだろうか。この状況を迎えた時点で、その「伝手」の信ぴょう性も怪しいだろう。彼に誠意があったとて、彼を取り囲む者までもがそうとは限らない。事実、この場に彼らはもういない。何より、貴族界において取り決めを守らないことがどういうことなのかを理解できない彼ではないはずだ。そのツケは必ず返ってくる。それも、何倍という重みで。


 それでも彼は、知力を尽くして実現しようとしてくれるのだろうと、その瞳がそう思わせてくれる。


 優しい人なのかも知れない。信じるに足る、いや、誠意を尽くすに足る人だ。


 ――それだけに、その提案を受けることはできなかった。


「お気遣い感謝いたします。ですが、もう過ぎたことです」


 己が行いに後悔はしていない。結果は想像もしていなかったかも知れないけれど、少なくとも今、信念を貫いた己を、過去を、否定したくはない。この状況がその仕打ちだというなら、甘んじて受け入れなければならないとも思う。


「――それに――」


 ならばせめて前向きに。

 それが貴族である私に残された、数少ないモノ――矜持プライドだ。


「これから先、どんなご迷惑をお掛けするのかもわからないというのに、これ以上のお手間をはなからお掛けするという気には、なれませんもの」


 私はそう言って彼に微笑みかける。その言葉がどんな意味を持つのかも、ちゃんとわかった上で。


 彼の鋭い視線が私に向けられる。

 真贋しんがん見定めるような、冷たい目。


「なるほど」


 しかしそれも数秒後には、温度を取り戻した。――真意は伝わったのだろう。


「――お心積もり、理解した。どうやら、あなたはとても強い女性のようだ」


 見直した、と言わんばかりの彼の態度に、私も少し胸を張る。


「肝がわっていなければ、こんなことになったりしていませんわ」

「違いない」


 再び二人の視線が合う。


 お互いの気持ちが確認できた今、それは特別な意味を持っているのだと思う。



 ――今日のこの瞬間を忘れないようにしよう。

 ――なにせ、今日は特別な日になるのだから。



「それでは、あらためて」 


 オラリオは一歩踏み出し、跪いてから手袋を外して、取り出したそれを私の指に嵌めた――


「――オラリオ・ジオフリンテだ。努めよう」

「――エーリン・マクワイヤです。おそばに」


 負け組の私たちに課せられた責務。私の指に嵌められた、間に合わせのマリッジリングに込められた意味。


 ――オラリオ・ジオフリンテとエーリン・マクワイヤは夫婦となり、辺境の地アトラの領主の任に就くこと――


 何の因果か、私は今日初めて会ったこの堅物と共に生活することになったのだ。

 それも、妻として。

 

 見知らぬ土地のボロ屋で行われた、二人だけの結婚式。

 こうして負け組の夫婦の新婚生活が、ひっそりと幕を開けた。

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