第五夜 寄木細工の木箱
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本話は怪談師 伊山亮吉氏に提供のうえ、既に怪談として発表、怪談動画として公開されています。本作での再構築・掲載については事前に承諾をいただいています。
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このお話は、京都府某所にて聞かせていただいた。
出張で訪れた京都での仕事を終えた私は、いつも通り怪談蒐集のため、近場の飲み屋街で一軒のスナックに入った。
接客をしてくださったママさんにいくつか怪談を話したうえで何か体験談はないかと水を向けた所、彼女は「うってつけの人がいてはるわ」と、奥で飲んでいらっしゃった人に声をかけた。
たっちゃん、と呼ばれたこの男性、どうやらその店の常連の一人だそうで、縦にも横にも大柄で、髪を短く刈り込んだ少々強面の男性だった。
おまけにちらと目に入った彼の左手は、グラスを持つ手の小指がないように見えた。
思っていたのとは毛色の異なる怖い話が出てくるのでは、と内心ヒヤヒヤしていたものの、実際に話してみると彼は大変穏やかで気さくな方であった。
お話を聞かせて頂くお礼に一杯ご馳走させていただきたい、と申し入れたのだが、彼は私の申し出をやんわりと断った。
というのも、「自分でもこの話が一体何なのか、全く分かっていない。誰でもいいから腑に落ちる解釈を聞かせてくれるなら、むしろ僕が奢りたいくらい」なのだそうで...
怪談を集めるのが趣味なだけの、学者でも呪詛師でもない私に何の解釈ができようかと、一抹の不安を覚える私をよそに、彼は淡々と話し始めた。
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たっちゃんが幼かった頃、車で一時間ほどの場所に母方の祖父母の家があり、お盆や正月などの長い休みには母親に連れられてよく泊まりに行っていた。
おじいさんもおばあさんも大変優しい方だったそうで、特におばあさんはたっちゃんの事を目に入れても痛くない程に可愛がってくれていた。
そんな優しいおばあさんが、一度だけ酷く恐ろしい顔を見せたことがあるのだそうだ。
彼が小学1年生の夏休みに祖父母の家に泊まりに行った時の事、夜中に便所に行きたくなって目を覚ました。
母親と布団を並べて泊まっていた客間の隣、仏間に続く襖の隙間から僅かに光が漏れ入り、なんとも良い匂いがする。
そっと襖を開けてみると、おばあさんが仏壇の前に座って小さな箱を拭いていた。
この箱、遠目に見ても大層美しい意匠であったそうで、御本人曰く「こんな見た目なのに、昔から可愛らしい小物に目がなかった」というたっちゃんは、大喜びでおばあさんに駆け寄ったのだそうだ。
僕にも見せて、と箱に向けて差し出したたっちゃんの手を、おばあさんはぴしゃりと叩いた。
驚いておばあさんの顔を見ると、見たこともないような恐ろしい形相をしていた。
その表情が怒りであるのか、あるいはまた何か別の感情であるのか、まだ幼かった彼には分からなかった。
何故叱られたのかが分からず唖然とする彼に「子供は危ないから触ったらいかん」とだけ言うと、おばあさんはその美しい箱を仏壇の下段にそそくさとしまいこんだ。
そうして、膨れ面で便所へと向かおうとする彼の二の腕を掴むと「触ったらあかんで」と、真顔で念押しをした。
たっちゃんは子供ながらに、これはちょっと普通ではないと感じ、その日は大人しく床についたのだそうだ。
とは言え、その晩見た箱の美しさはどうにも忘れ難かったのだそうで、たっちゃんは数日後、おばあさんが出かけている隙にこっそり仏壇を開けてみた。
上下二段の観音開きになった下段、小さな扉を開くと蝋燭や線香がしまわれている、積み上げた蝋燭の箱に隠れた奥側に一回り小さな扉のついた、まるで隠し扉のようなスペースがあった。
おばあさんが箱をしまっていたあたり、恐らくあのスペースだろうと覗き込むと、ご丁寧に扉は南京錠が掛けられていて開けることができなかった。
まだ幼かったたっちゃんにはそれ以上どうする事もできず、結局その日は箱を見る事を諦めてしまった。
ところが一年後の夏休み、思いがけずこの箱を手に取る機会が訪れた。
前年と同じようにお泊まりに行ったある日の昼下がり、買い物に出かけていた母親が慌てて家に飛び込んできた。
祖父母宅の近所でボヤ騒ぎがあったのだ。
この当時、おじいさんが病気で寝たきりに近い状態になっており、万が一延焼しそうならばおじいさんを連れて逃げる算段をしなければならないと、火事の様子を見るために母親とおばあさんが飛び出していってしまった。
おじいさんは仏間のさらに隣にある寝室で寝ている。
二人が出ていって急にしんと静まり返った家の中に残され、たっちゃんは少しだけ心細くなった。
テレビでもつけようとリビングへ行こうとしたのだが、その時ふいに鼻先を甘い香りが撫でた。
嗅ぎ慣れた線香の匂いではない、しかしどこかで嗅いだ記憶のある匂い、甘ったるいような、香ばしいような、何とも言えぬ良い香り...
辿った記憶の糸の先には1年前のあの夜の出来事、ハッと仏間を見る。
仏壇の下段、扉が僅かに開いているのが目に入った。
もしやと思い仏壇に駆け寄ると、はたして南京錠が外して置いてあり、奥のスペースの半開きになった扉の隙間から、件の箱が僅かに見えていた。
火事の知らせに慌てていたからだろうか、何れにせよ、今を逃せばこんな機会は二度と無いかもしれない。
そう思い、たっちゃんは仏壇の奥からそっと箱を取り出した。
手に取ると、より一層甘く香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
大人の手掌程の大きさの、平べったい寄木細工の箱。
以前にちらと目にした時の印象は、やはり間違ってはいなかった。
水面の上で干渉し合う波紋のような複雑な模様は、見る角度によって様々に表情を変える。
側面も一枚一枚意匠が異なり、見る向きによって箱全体の印象が変化する。
あまりの美しさに思わず溜息をつき、暫しの間しげしげと手の中の箱を眺める。
底面も見てみようと箱を高く掲げようとした時、かさ、と乾いた音が聞こえた。
中に、何か入っている。
箱の美しさにすっかり魅入られてしまっていたのだろう、たっちゃんの好奇心は既に抑えようがなくなってしまっていた。
蓋をそっと持ち上げてみる。
鍵などはかかっておらず、簡単に開いた。
箱の中を覗き込む。
箱の中には黒茶けた2、3cm程の長さの枝のような物が3本入っていた。
一見してなんだか分からない中身を良く確認しようと顔を近付けた瞬間、形容しがたい悪臭が鼻をつき、たっちゃんは反射的に箱の蓋を閉めた。
箱を開ける前に漂っていた良い香りとは真逆の、とても嗅いではいられない異臭。
何より、こんな臭いが漂っていたいたのでは箱を開けたことがバレてしまうかもしれない。
一年前に見たおばあさんの怖い顔を思い出し、慌てて箱を元あった場所へ戻し、蝋燭の箱をなるべく元通りに戻して仏間を後にした。
幸い、たっちゃんが箱を開けた事がおばあさんに知られる事はなかった。
あの箱が一体何だったのか、どれだけ気になっても聞く訳にもいかず、モヤモヤとした記憶も時が経つに連れ薄れていった。
その年の冬、病気が悪化しておじいさんが亡くなったが、風邪で寝込んでいたたっちゃんは葬儀に参列することが出来なかった。
葬儀に出られなかった気まずさと、また3年生から始まったクラブ活動が忙しくなった事もあり、すっかり足が遠のいていたたっちゃんが祖父母宅を訪れたのは、中学2年の時、おばあさんが亡くなった時だった。
住む者が居なくなった家は処分することになり、めいめい適当に形見分けを貰って帰ろうという話が出た折、すっかり記憶の片隅に追いやっていた箱の事を、ふと思い出した。
あれは何だったのか、誰ぞ詳細を知るものがいないかと母親や親戚に聞いて回ったけれども、誰も箱について詳しく知っている人はおらず、と言うかそもそも箱の存在そのものを誰も知らないようだった。
咎める者がいない事を幸いと、仏壇の下段を開けてみると、古い記憶の通り南京錠の掛かった小さな扉がある。
箱の話に興味を持った親戚が数人手伝ってくれた事もあり、鍵は直ぐに見つかった。
リビングに置いた小さな網籠に、自転車の鍵や納屋の鍵やら何やらと一緒に無造作にしまわれていたのだ。
ドキドキしながら南京錠を外し、仏壇の下段奥、隠しスペースの扉を開ける。
しかし、そこには何も入っていなかった。
祖父母宅をできる限り探してみてもついぞ箱は見つからず、結局謎は何一つ解けないままとなってしまったそうだ。
それからまた月日が過ぎ、高校3年の夏。
たっちゃんにも彼女ができ、地元の小さなお祭りを見に行ったときの事。
二人でフリーマーケットを眺めながらぶらぶらと歩いていたところ、何処からか急に良い香りが漂ってきた。
甘ったるいような、香ばしいような、嗅いだ覚えのある匂い。
あの箱の匂いだ。
慌てて周囲を見渡すと、中年女性が広げた雑貨の中に、件の箱が並んでいるのが目に入った。
見る限り祖母の持っていた箱と同じデザインだろうかとしげしげ眺めていると、店主が声をかけてきて「気に入った物があったら手にとって見たってな」と愛想よく微笑む。
愛想笑いを返しながら箱に手を伸ばし、指先が箱に触れたその刹那、バチンと強い衝撃を覚え、思わず左手を引っ込めた。
強烈な静電気を食らったような感触だったが、季節は夏、何より木の箱だ、静電気のはずがない。
今の痛みは何だったのかと、思わず自らの手を見て、たっちゃんは絶句した。
左手の中指から小指が無くなっていた。
中指の丁度中程から小指の根元にかけて、まるで画像をトリミングしたかのように、きれいな直線で指先が無くなっている。
出血も痛みもないが、もちろん指先の感覚もない。
突然の出来事に呆然と立ち尽くす彼に気付き、何かあったのかと彼女が心配そうに声をかけた。
「俺の...俺の指がいきなり無くなった」と、自らの左手を彼女の眼前に差し出すと、思いがけない反応が返ってくる。
彼女は呆れたような表情で、大袈裟なため息をついてみせると言った。
「あんた、タチの悪い冗談やめぇや。そこの3本、元々ないやんか」
何を言われているのか理解ができない。
半ばパニック状態で固まる彼をよそに、彼女は店主に何度も頭を下げながら、彼の背を押すようにして強引にその場を離れた。
「お店のおばちゃん、ビックリしとったやないの。ほんまあかんで」と、真剣に怒っている様子の彼女。
確かにほんの数分前まで指はあったのだと、どれほど力説してもまともに取り合ってはもらえなかった。
幼い頃に交通事故で左手の指を失ったことを、誰あろうたっちゃん本人から聞いたのだと、彼女からそう説明されると不思議な事に、事故で指を失ったような気もしてくる。
事故の記憶と、指が普通にあった記憶、二つの相反する記憶の間でたっちゃんは途方に暮れてしまったそうだ。
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どちらが本当の記憶なのか、現在に至るまで確信が持てていない。
この状態があの箱に触れたせいなのか、箱の中を覗き見てしまった時点で既に手遅れだったのか、おばあさんはこうなることを知っていたのか...
「良くわからない事ばかりの話だけれど... ただ一つ間違いない事は、僕の左手には今も中指から小指がない、って事だけですね」
そう言って、彼はそれまで隠すように話していた三指の欠けた左手を、私の眼前でヒラヒラと振ってみせた。
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誠に遺憾ながら、私には彼が納得できるようなスマートな解釈は思いつかなかった。
近しい類話は幾つか思いつく。けれども、そのどれもが彼のケースとは僅かに趣が異なるように思えた。
箱は呪物の類で、捏造された記憶と引き換えに指を奪われたようにも思える。
彼が幼い頃の事故のトラウマから逃避するために自らの記憶を改竄した、という考えもできるかもしれない。
おばあさんは箱から彼を守ろうとしたようにも思えるし、逆に彼の指を贄にして箱で何かを成そうとしたが故にわざと彼に箱を見せたと邪推できなくもない。
箱の中に入っていた物は彼の指だったかもしれないし、彼の指を求める怪異だったかもしれない。
あるいはその箱が、彼が指を失った世界と失わなかった世界の交差する特異点だったのかも知れない。
どの解釈に辿り着くにも、パズルのピースが足りていないように思えた。
結局の所、彼自身が言うのと同じように「何一つとして確かな事は分からない」と伝え、とは言え大変不思議で興味深い話を聞かせて頂いたことに謝意を伝えると、彼は少しだけ残念そうな表情を浮かべていた。
いつの日か、彼が箱の真相に辿り着く日が来るのかもしれない。
けれども、真相を知る事が彼にとって良いことであるかどうかは、やはり私には預かり知らぬ事である。
-了-
candleCount -= 1;
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