第三夜 忠告か、脅迫か

怪談蒐集を趣味にしていると、『見える人』あるいは『昔は見えた人』に出会うことも少なくない。

このお話は後者にあたる真理さんという女性より聞かせていただいた。


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真理さんは物心ついた頃から中学2年生くらいまで、霊が見えていたという。

一言に霊と言っても、また一言に見えると言っても、その捉え方は様々であろうと思う。

真理さんはこの世ならざる存在が黒いモヤのように見えていたのだそうだ。


モヤの大きさは様々で、年齢や性別、顔立ちなどはよく分からない、ただ他の人には認識できない存在がいるのが分かるのみ。サイズが小さいから子供かな、腰のあたりから曲がっているように見えるから老人かな、とそんな程度だったという。

加えて彼女は純粋に『見えるだけ』の人だったそうで、黒いモヤに触れることも、意思の疎通をすることもできない、祓うの退けるのといったことも当然できなかった。

しかしながら、真理さんはそれで困った事も不便だと思った事もなかった。

なぜなら、黒いモヤ達は一度も真理さんに干渉してくる事がなかったからだ。

彼らはどこにでもいる、時には賑やかな雑踏に紛れ、時には閑静な住宅街の曲がり角に佇み、時には電車の空席に座り...

そんな風に日常に溶け込んで存在する彼らを、真理さんはいつしか『居る』のではなく、『在る』と認識するようにすらなっていたのだと言う。

その位、彼らは何もしなかったのだ。

動いていることさえ、ほとんど見た記憶がなかったらしい。


幼い頃は当然、自分だけに見えている事が分からなかったから、両親や友人に「黒いのいるよ、見えないの?」などと問うてみたこともあったそうだが、幸いなことに、本当に幸いなことに真理さんの周囲には彼女を気味悪がって疎外したり、虚言癖があるなどと馬鹿にして煙たがる者はいなかった。

それでも歳を重ねるにつれ、『これは普通の事ではないんだな』と気付いた頃には、自分から周囲に話す事が自然となくなっていったのだそうだ。


そもそも彼女自身、見える事をひけらかすような性分ではなかったこともあり、彼女の『霊が黒いモヤとして視認できる』という特殊な能力は、家族やごく親しい友人が知るのみとなった。

それでも時折、真理さんが見える事をどこからか聞きつけ、好奇心に囚われた知人から「ねぇ、真理ちゃんお化け見えるらしいじゃん、それってホントなの?」などと不躾な問いを投げかけられる事はあった。

その様な輩の多くは侮蔑や嘲笑の色を隠そうともしなかったが、真理さんは別段隠すようなこともせず、「見えるよ」とだけ返していたのだそうだ。

彼女にとって見える事は至極当たり前のことなのだから、特に恥じ入ることもなし、堂々と事実を述べるまでだと、そう考えていたのだ。

ある出来事が起こるまでは。


中学2年の梅雨時、真理さんは隣町まで買い物に出かけた。

16時を少し過ぎた頃に乗った帰りのバスは乗客もまばらで、乗客席の列の中央辺りに座る真理さんの前に乗客は誰も座っていなかった。

どちらかと言えば田舎寄りの町であるから、それ自体は珍しい事でもなかったが、そのバスには黒いモヤが一つもいない事が少し気にかかった。

真理さんの経験上、公共の乗り物には大抵一体は彼らがいる事がほとんどで、全くいないケースはそこそこ稀だった。

とは言え、居ても何をする訳でもないのだから、居なくてもどうということもないかと思いなおし、窓枠を肘掛けがわりに頬杖をついてぼんやりと景色を眺めていた。


ふと車内に目線を戻した時、真理さんはバスの前方に黒いモヤが一体居ることに気付き、悲鳴をあげそうになった。

悲鳴をあげずに済んだのは、ソレを視認した瞬間に、金縛りのように全身が動かなくなっていたからであった。


いつから居たのだろうか、彼らはほとんど動くことがないのだから乗客に紛れて乗り込んできたとも考えられない、自分がバスに乗った時に見落としたのだろうかと、様々な考えが頭の中を巡る。

真理さんは金縛りも何度となく経験したことがあったが、それはいずれも眠りに落ちる際、あるいは浅い眠りから覚めた時であった。

今のようにはっきりと目が覚めている状態から、突然身動きが取れなくなる事など経験したことがなかった。


初めて直面する状況に半ば恐慌状態に陥りかけた真理さんに追い打ちをかけるように、黒いモヤはノソリと一歩、足を進めた。

アレは、近寄ってきている。

いっその事目を閉じてしまいたかったが、まばたきの途中で硬直したであろう瞼は微動だにしない、目線を逸らそうにも眼球が言うことを聞かない。

半眼のまま固定された視界の中を、黒いモヤがゆっくりと近付いてくる。


黒いモヤは一歩、また一歩と歩を進め、やがて真理さんに重なるようにして動きを止めた。

自分の顔がモヤの中に半分突っ込んだ状態で、視界が薄いフィルターをかけたように、暗く染まる。

気力を振り絞って体を動かそうと試みるも、指一本動かすこともできず、頭の中でうろ覚えの般若心経を唱えようとした時、左耳の後ろ辺りで低く嗄れた男性の声が囁いた。


「見えてること、言うなよ」


その声を聞いた瞬間、それまで石膏で固められたかのようであった体が、普通に動くようになった。

顔に覆い被さるっていた黒いモヤも、どこにもいなくなっていた。

慌てて左後方を振り返ったが、最後列のロングシートに老婆が一人、ウトウトと舟を漕いでいるのみであった。


その日以来、真理さんは霊が見えることを一切言わなくなったのだそうだ。

見えることを知る身内や親しい友人達には、「いつの間にか見えなくなった」とだけ伝え、誰にも深く追求される事はなかった。

そんな風にしていると、それまではそこかしこに見ていた黒いモヤ達も少しずつ数が減っていき、いつの頃からか全く見えなくなっていたのだと、そう言って彼女は話を締め括った。


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「言霊っていうんですかね、『あたしは見えない!』って宣言すると本当にその通りになるみたいな、そんな感じじゃないかと勝手に思ってるんですけどね。

ちょっともったいなかった気もするっちゃあするけど、どうせ見えたって何の得にもなんないし、何よりあんな怖い体験はもぉしたくないんで、見えなくなって全然OKですよ!


見えるのが羨ましい?

ん〜、じゃ逆に『俺は見えるんだ!』って周りに言い続けてみるのはどうです?

案外そのうち、ホントに見えるようになるかもですよ!


まぁ、バスの中で脅されることになってもあたしは責任持てませんけどねw」


-了-


candleCount -= 1;

console.log("Remain■ing: 97 candles");

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