第1話 光の目覚め

 あの日は、こんなことになるとは思ってなかった…。

 

 

 十月某日。陽奈ひなは、自動運転装甲輸送車「スピアヘッドV-25」の振動に揺られ、暗い車内を見渡した。


 地下深くを突き進む車両の唸りが、胸のざわめきを掻き立てる。車内の小さな光が、彼女の光沢あるスーツに反射し、タイトな生地がわずかにきしむ。

 

「陽奈、もうすぐだね…」


 美咲みさきの声が小さく響き、エメラルド色の瞳が陽奈を捉える。


 陽奈はうなずき返し、親友の笑顔で心の影を塗り潰す。


 だが、膝の上の重厚なボックスを握る手は、目的地が近づくたび震えた。 

 

 仲間たちの気配が車内に漂う。隣の席では寄り添う影が揺れ、モニターを見つめる鋭い視線が光を反射する。絡み合う指の小さな音、静かな吐息が響き合う。


「目標まで7分。システム安定」


 AIの無機質な音声が車内に流れる。


 陽奈はボックスを握り直し、美咲と再び目を合わせた。


 仲間を信じれば、怖くないはずなのに。



 半年前、明光めいこう市の空はただの夕暮れだった――。




 東京都明光市は柔らかな風に包まれていた。

 

 明光学園めいこうがくえん高等学校の三年生、照岡陽奈てるおかひなはセミロングの黒髪とライトグレーのスカートを軽く揺らし、凛々りりしい瞳を夕陽に映しながら、放課後の帰り道を歩いていた。

 

 鞄を肩に掛けた彼女は、いつもの静かな住宅街を抜け、天陽神社てんようじんじゃへの石段が見える角に差し掛かった。

 

 ふと足を止め、階段を見上げると、新緑の香りが漂う中、空気が急に重くなり、背筋に冷たいものが走る。


(…何? この匂い?)


 陽奈が振り返ると、そこには茂みの奥から巨大な野良犬のような怪物が顔をのぞかせていた。

 

 黒いうろこで覆われた皮膚で濡れたように光り、ゆがんだ顔には赤い目が不気味に輝く。口からは悪臭の黒い霧が漏れ、低い唸り声が木々を震わせる。

 

「え、何…これ?」


 陽奈は恐怖に包まれる。


 逃げる間もなく、怪物が不揃ふぞろいな牙をいて襲いかかってきた。


「ひっ…!」


 陽奈が腰を抜かし、地面に倒れ込む。

 

「イヤ! 来ないで…!」

 

 咄嗟とっさに右手を差し出す――すると突然、その手から眩しい光がほとばしり、怪物の顔に当たる。


 光の当たった箇所から黒いガスが血のように噴出する。


 犬の化け物がひるんで一瞬後ずさる。


「ええっ! どういうこと!?」


 陽奈は困惑し、自分の手を見つめる。

 

 怪物はすぐに体勢を立て直し、再びうなり声を上げて迫ってくる。


 陽奈は地べたをいながら近くに落ちていたびた鉄パイプを見つける。


(これしかない…!)


 震える手でそれを掴むと、鉄パイプが金色の光に包まれ、彼女の手に熱を帯びる。


「また光った…!  何なの!?」


 混乱する頭を振り払う間もなく、怪物が赤い目を光らせて襲いかかってきた。


(怖い…ダメだ、動けない…!)


 心臓が跳ね上がり、足がすくんで地面に張り付く。怪物の牙が目の前で唸り、黒い霧が鼻をつく。


(このままじゃ…死ぬ…!)


 その時、祖父の声が頭の奥で響いた。


『剣は己だ、陽奈。恐れてもいい、だが目をらすな』


 小学生の時、両親を事故で亡くし、祖父母に育てられた陽奈は、祖父から剣道を習っていた。


 あの竹刀しないを握った日々、手が震えても構え直した記憶がよみがえる。


(剣道…そうだ、私には…!)


 震える膝に力を込め、陽奈はよろめきながら立ち上がる。息が乱れ、鉄パイプを握る手は汗で滑りそうだった。


(怖い…でも、落ち着いて…目を逸らすな…!)


 怪物が飛びかかると、陽奈は反射的に「すり足」で左に滑るように避け、肩を落として重心を低くした。


「はっ…!」


 短く息を吐き、祖父に叩き込まれた基本を思い出す。


 鉄パイプを両手で握り直し、中段の構えを取る。


 手はまだ震えていたが、光を帯びた鉄パイプがまるで竹刀のように馴染んだ。


(剣は己……生きるんだ…!)


 怪物が唸りを上げて再び突進してきた瞬間、陽奈は目を据え、その勢いを利用して横に踏み込む。


「たぁっ!」


 鋭い気合いと共に、鉄パイプを剣道の「胴打どううち」の軌道で振り下ろす。

 

 光が弧を描き、怪物の側面に炸裂し、黒い鱗が弾けるような音が響いた。


 怪物が歪んだ唸り声を上げてよろめく。


 だが、赤い目が陽奈を睨みつけ、すぐに体勢を立て直して飛びかかってきた。


(まだ…終わらない…!)


 陽奈は息を整え、足を踏みしめる。祖父の教えが頭をよぎる――「一撃で仕留められなくとも、次を狙え」。


「はぁっ…!」


 怪物が爪を振り上げて迫る瞬間、陽奈は「小手打こてうち」の要領で素早く鉄パイプを斜めに振り上げ、前足を狙う。


 光が鋭く閃き、怪物の爪が弾かれて地面に叩きつけられた。


「今だ…!」


 陽奈は一歩前に出て、息を詰め、全身の力を込める。


めんっ!!」


 気合いを込めて鉄パイプを振り下ろす。


 光が怪物の頭部を直撃し、まばゆい閃光が辺りを包んだ。怪物は醜い声を上げ、黒いガスを噴き出しながらぐずぐずと崩れ落ちる。


 その体が地面に沈み、黒い霧となって風に溶けるように消えていった。


「…倒した…の?」


 陽奈は鉄パイプを落とし、地面に膝をつく。光を放った手を見つめ、汚れた制服のスカートが広がる。


「はぁ…はぁ…何…? 何だったの、今の?」


 頭を抱えて困惑しながら、彼女の鼓動の高まりは止まらなかった。

 

(落ち着かなきゃ…でも、全然訳がわからない……)


 その時、彼女の背後から落ち着いた声がかけられた。


「――大丈夫ですか?」


 振り返ると、スーツの上に白衣を着た男性が立っていた。


 30代半ばほどの彼は、黒い前髪を額に軽く下ろし、細いフレームの眼鏡の奥で穏やかな目をしていた。清潔感のある顔立ちにはどこか掴みどころのない静けさが漂う。


 手に持ったクリップボードが、彼の言葉に事務的な響きを添えているようだった。


「私は『健康安全管理センター』の高橋たかはしと申します。大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」


 彼の声は低く、落ち着いていたが、陽奈の動揺した心には、その穏やかさが逆に不思議な重みを感じさせた。

 

「ええ、一応……」


 陽奈は息を整え、静かに返す。


「……あの怪物、何ですか?」

 

「実は、それが今回の調査に関連しています」


 彼の背後では、防護マスクを着けた数人のスタッフが現れ、カメラで写真を撮ったり地面を調べたりしていた。


「明光市では新型ウイルスの調査を行っていて、先ほどの異常事態がそれに関連している可能性があります。念のため、検査にご協力いただけませんか?」

 

「ウイルス……ですか? さっきの怪物も関係が…?」


 陽奈が少し首をかしげて尋ねる。


「その可能性があります」


 高橋が静かに頷きながら、落ち着いて答えた。

 

「近頃、野犬などが突然変異や異常行動を起こす報告があり、その一部かもしれません。詳しいことは病院で調べさせてください」

 

(アレは……とても野良犬には見えなかった…)

 

 陽奈は疑いをいだきながらも呟く。

 

「そう、ですか」

 

 頭の中は混乱でいっぱいだ。でも、自分に言い聞かせる。

 

(――少し落ち着こう)

 

 彼女は穏やかに返す。

 

「分かりました。協力します」

 

 そして、真剣な眼差しで付け加えた。

 

「何か大事なことなら、ちゃんと知りたいです」

 

 鞄を肩に掛け直し、彼女は自分の身に一体何が起こったのかを理解するため、高橋にうながされて歩き出す。


 少し離れた場所に、白い車が停まっており、側面に「健康安全管理センター」と書かれている。


「あそこまでお願いします」

 

「分かりました」


 日はすでに沈み、白い車が動き出すと、陽奈は窓の外の闇を見つめる。


(あれは結局何だったんだろ? ほんとに怖かった…)

 

 あの赤い目と黒い霧の怪物への恐怖が胸を締め付け、震えが止まらない。


(私の手……どうしちゃったの? これからどうなるんだろ…)

 

 自身の手や鉄パイプから放たれた謎の光が頭から離れず、混乱が渦巻く。


 街灯の光が車窓を過ぎる中、陽奈は知らない未来への不安と戸惑いを抱え、車に揺られていた。

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