暗雲が立ちこめる-2
イヴが落ち着くと、クライブは射撃場に行こうと誘った。自分が射撃好きだからというのもあると思うが、もしストーキングされているのなら、ただやられているわけじゃないぞという意思表示ができると彼は考えたのだろう。
自分を守るためにはそういう示威行為も必要だと己を奮い立たせ、イヴはクライブと一緒に射撃場に行き、十数発撃った。
射撃練習を終えて家に帰った頃、クライブが呼んだガラス屋がアンカレッジからちょうど到着して、割れた窓ガラスをさっそく直してくれた。
家は元通りになったが、イヴの気持ちは沈んだままだ。クライブは一緒に料理をしようと言ってくれ、イヴはおひょうのフライに初挑戦した。揚げ物は難しいと思っていたが、温度管理さえしっかりすれば自分でもできることがわかり、ホッとした。揚げたての白身魚のフライはとても美味しかった。
食べ終わり、風呂に入って、クライブと同じベッドで眠る。もうコテージに戻ることはない。それにコテージで1人で眠るのは怖い気がした。
愛しているよ、とクライブはイヴに囁いて枕の上に頭を置く。
イヴも寄り添い、彼に愛していると伝えて瞼を閉じる。
しかしまたガラスが割れる音がするのではないかと考えてしまい、イヴはなかなか寝付けなかった。これではメガロポリスにいたときに逆戻りだと、心の中で泣いた。
幸いなことに次の朝まで再びガラスが割れる音はしなかった。しかしその代わりというわけではないだろうが、SUVのタイヤが全てパンクしており、これにはクライブもかなり鶏冠に来ていた。この小さな街にも車の修理工場はあり、修理工に頼んで修理してもらいつつ、再び保安官の世話になる。
連日このような悪戯が発生するとなると偶然ではないことは傍目にも分かる。保安官が何か心当たりはあるかとクライブに聞くと彼は、ありすぎてと応えた。正義の弁護士ならばそういうこともあるだろう。しかし彼はこの国に3年も住んでいて、今までトラブルがなかった。ならば自分のストーカーの仕業に違いないとイヴは思う。
車の修理工と保安官が帰ってからクライブはイヴに言った。
「大丈夫。君は先輩からの連絡を待つだけでいい。ただ、一旦ここから離れた方がいいとは思う」
「……でも」
まだ彼と別れたくない。自分で決断してメガロポリスに戻るのであればともかく、こんなことで。しかしクライブに迷惑は掛けたくない。
「また遠征に行くのはどう?」
「その間にまた何かやられたり、そもそもゲストの予約も……そっちもキャンセルを考えないとならないかもな……」
クライブは悔しそうだった。
2人一緒に母屋に入り、イヴは考える。今までストーカーのことを忘れることができていたのはクライブのお陰だ。彼のお陰で感情を取り戻すこともできた。感謝してもしきれない。そして愛して貰ったことも人生で忘れがたい出来事になった。
これ以上悪戯が続くようだったら――危害を加えられる前に、彼に迷惑を掛ける前に――すぐにでもこの街を去ろう。あとのことはあとで考えるしかないが、少なくとも今は1人でいるのは危ないと考えた。
クライブの携帯に音声電話がかかってきた。会話の内容から察するにジョージだと思われた。電話が終わると彼は教えてくれた。
「自警団にウチの周りを見回らせてくれるそうだ」
「ありがたいですね」
「小さな街だからこそ住民は助け合わないとならない。次に何か起きたときに助けるのは僕の方だ」
僕ら、と言ってくれないのが辛い。クライブはおそらく自分がこの街を去ろうと考えていることを察しているのだ。イヴは小さく頷いた。もしこの街で困った人がいて、司法の助けを求めていたら、手を差し伸べるのは自分だと思う。
悪質な悪戯が続いたからといって日常が止まってくれるはずもない。クライブは状況がはっきりするまではゲストをキャンセルすることにした。同業者に仕事を肩代わりしてもらえて、クライブは安堵した。
「さて、これからどうするかな」
「まずはお洗濯とお掃除と自炊ではないでしょうか」
「現実的だね。この機会に君の荷物を母屋に移そうか」
「ええ」
イヴはクライブと2人でコテージから自分の荷物を移す。同時にある程度荷造りもしてしまう。当初の休暇終了の予定日は目前だった。
洗濯をし、イヴは自分とクライブの洗濯物を外の物干しロープにかけて干す。その間、クライブは掃除をしている。こうしていると新婚家庭のようだ。自分が男性のパンツを広げてロープに洗濯ばさみで固定する日が来るとは思っていなかった。クライブはきっと働く女性にとって理想的な伴侶になってくれるだろう。しかしそれは自分ではない気がして悲しくなってくる。メガロポリスに戻ってもクライブに会いたくなるだろう。ストーカー問題が解決しても仕事に追われ、
そう想像すると本当に泣けてきてしまった。
二の腕で涙を拭い、洗濯物と青い空を見る。
ここから離れたくないな、と思う。
しかし他人に迷惑を掛けてはいけないのは人として当然のことだ。愛する人であればなおのこと。一旦メガロポリスに戻るにしろ、すぐにまたどこかに避難しなければならないだろう。ボスに相談するにしろ、今度はもっと遠くがいいだろう。北の国はもう十分だ。この山頂に雪が残っている風景を見るだけできっと泣きたくなる。雪なんて降ったことがない国がいい。南の方だ。いっそもうバージン諸島くらいまでいってしまうか。それでも海を見て、シーカヤックを見たらきっと泣きたくなってしまうだろう。
「どうしたの……?」
いつの間にか背後にクライブが来ていて、イヴは涙を彼に見られてしまった。
「すごく素敵な思い出になったなって、思って」
それは嘘ではない。一生のうちで2度とないとすら思える。
「うん……それは僕も同じだ」
「私ね、この思い出で生きていけると思う」
イヴは自然に口元が緩むのが分かる。幸せだな、と思う。
「そんなことを言わないでくれ。この一件が解決したら一緒に住もう。君がここに住んでもいいし、僕がメガロポリスに戻ってもいい。きっと君と僕が折り合える場所があるはずだ」
「クライブ……」
想像していなかった彼の言葉を耳にすると、イブは全身が瞬時に熱くなるのがわかった。感動が脳内物質を氾濫させたのだ。
「……これは2度目のプロポーズだな」
クライブは照れて頭をかいた。
イヴはクスリと笑った。
自分は本当に幸せだな、とイヴは思う。
しかしその思いは長くは続かなかった。
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