初めての朝を迎える-3

 まだ頭がぼーっとしている。

 初めて愛した人が実は人生で最推しの憧れの人だった、だなんてどんな運命なんだろう。鏡の中に映るヒゲがなくなった彼を見てイヴは雷が打たれたようにしびれたあと、おちついてみると自分の察知力の低さに絶望した。しかし想像なんてできなかったのだから仕方ないと思う。

 レストランに向かう間、イヴは1つだけ彼に聞く。

「あなたの方こそ怒ってます?」

「なんで僕が怒るのかなあ? 不思議なことを言うなあ」

 クライブは笑った。しかし笑っていてもそう見えるのだ。

 レストランは普通のレストランだ。ショッピングモールの中にあるのだからそれはそうなのだが家族向けで、今の自分たちにはちょうどいいと思う。たまに読むロマンス小説なんかではこのパターンは2人ともドレスアップして臨むところだが、現実はそうはならない。

 クライブは慣れたもので、スマホで注文する。いろいろ聞かれたのだが頭に入らない。なので彼にお任せしてしまう。スマホを見つめて真面目に考える彼も格好いい。ヒゲを剃っただけでこんなにイメージが変わるとは思わなかった。単なる思いつきだったのだが、これはとても大きいと思った。

「うわ、きれい」

 出てきたのはサーモンのソテーに色とりどりの温野菜が添えられた1皿で、あと小さなトナカイ肉のステーキが別に出てきて、クラムチャウダーにパンというセットだった。

「あとフィッシュアンドチップスならアラスカンビールなんだけどなあ」

「飲酒運転ダメ」

「君は飲んでもいいよ」

「それはあなたに悪いです」

 クライブは何かを言いかけたが、やめたようだった。だいたい想像が付く。自分はメガロポリスに帰る身だから、今、食べた方がいいよ、とでも言うつもりだったのだろう。そうかもしれない。でも1人でビールを飲みたいはずがない。飲むのなら一緒がいい。

「買い出しの時に一緒に買って帰りましょう」

「そうしようか」

 クライブは頷いた。そしてお皿に手を付け、クライブは話し始める。

「何から話せばいいのかな……僕が大仕事をしてマスコミに追いかけられた時くらいか……」

「汚染物質を垂れ流してしまった事故を隠蔽した企業と、癒着した政治家の一件ですね」

 イヴがクライブを知った直接の事件だ。連日報道され、クライブも何度かテレビ画面に映り、マスコミ向けの主張をコメントしたのだった。若くていい男なのでネット上でかなり盛り上がったのをイヴはよく覚えている。

「ああ、そう。クライブはミドルネームなんだ。フルネームはサイラス・クライブ・グッドマン」

「あら、珍しいミドルネーム」

「それは親に言ってくれ」

「ご存命?」

「うん。あの一件以来、僕は鼻高々でその高く伸びた鼻を折られるのを待っていたような迂闊さがあった。僕への依頼料は高騰したし、裁判官の心証もいいし、バンバン依頼を受けた。それでも、まあ、困っている人の依頼を受けたこともある。まだそういう気持ちが残っていたのか、単に正義の弁護士という2つ名を失いたくなかったのかもしれない。まあいろいろどっちもトラブルになって敵をいっぱい作った。そして弁護士の仕事がイヤになった」

「……イヤになりますか。うん。イヤになりますよね」

「自分のせいでもあるんだけどね……」

 クライブは反省しているように見えた。

「そして有名になる前にこの国で過ごした休暇を思い出した。そしてぶらりと逃げてきてジョージの店に行って話を聞いて貰って、何故か以来、クリークタウンに住んでる」

「かなり衝動的ですね」

「自分でもびっくりした。でもお金はあったしね。好きなシーカヤックで遊んで仕事にするまで1年。木工も覚えて家まで建てるようになるとは思わなかった」

 もともと優秀な人材なのだ。そっちに力を入れればすぐにできるようになるのだろう。それにしてもすごいが。

 イヴはふふっと笑った。ちなみに料理はどれも美味しい。サーモンは新鮮で、クライブの家の冷凍庫から出てきたものとはひと味違った。

「どこか私と同業っぽいところがあるなとは思っていたんです。それ止まりでしたけど」

「……メガロポリスから来た君の気持ちはよく分かるよ。だから先輩から話があったとき、悩まず受け入れることにした。先輩から貰った画像を見る分にはきっとコテージに籠もりっぱなしで、食事の準備くらいすればいいかなと思っていたんだけど。現実はだいぶ違った」

「うーん。その想像はあながち間違っていなかったと思います。それにしても遠征の時はどうするつもりだったんですか」

「ジョージの店で食べてくれればいいと」

「そういえば別居中の妻設定はどうして生まれたんです?」

「彼に見合いさせられそうになって咄嗟についた嘘が今まで続いていた」

「なるほど」

「考えてみると先輩が僕に君を預けたのも、君が目標としていた弁護士が僕だったからなんだな。納得したよ」

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