初めての朝を迎える-2

 その日は各々時間を過ごし、翌日はクライブが運転するSUVに乗ってアンカレッジに赴いた。

 クライブはいつもの格好だが、イヴはロングスカートにしっかり目のブラウスで出来るオンナ風のスタイルだ。目にも爽やかで好感が持てる。改めてイヴは美人だなと思う。口にはしないのにそう考えているだけでイヴは満足げな笑みを浮かべた。

 1時間SUVを走らせ、クライブは何も考えずいつも行くショッピングモールに停める。

「そういえばなにが欲しいの?」

「殿方が入りにくいお店ですよ」

 イヴはイジワルそうに笑った。イヴが真っ先に向かったのはランジェリーショップだった。

「確かに」

「実用的なものしか持っていないので、せっかくなので1軍を買い揃えます。使う暇がなかったからお金は十分あるので」

 イヴにランジェリーを買うことを男性に知られることに恥じらいはないようだ。

「……聞くまでもない気がするけど、どうして?」

「あなたがその気になるかどうか、とても大切な要素になるじゃないですか!」

 クライブはぷっと吹き出した。

「行っておいで。コーヒーショップで待ってる」

「直に意見を聞きたいです」

「却下」

「私の提案があなたに断られたのはこれが2度目です」

「今回は僕の楽しみが減るかもしれないから、だから」

「なるほど。それでは行ってきます」

 納得してくれたようだ。危ない。まんまと彼女の策略に乗るところだった。

 コーヒーショップなので入り口で拳銃を預け、中に入る。外が見える席に座り、ぼーっと眺める。この北の国でもアンカレッジの市内は普通の大きな街だ。辺境にいる自分を忘れる。

 ジョージが言っていた怪しい男のことを思い出す。杞憂であればいい。今はただイヴとの大切な時間を穏やかに過ごしたいと願う。

 スマホを見て時間を潰し、小一時間ほどでイヴが店に入ってきて、気付いたクライブは手を挙げて彼女を呼んだ。

「お待たせ」

「待ってない。このあとどうしようか色々考えてたから」

「買うものがあったのでは?」

「生活必需品だけだよ。それよりさ、映画でも見る?」

「映画ですか……いいですね。でもそれより」

「それより?」

「射撃訓練がしたいです!」

「本当に好きだなあ。でもそれは最後だな。帰り道の途中にあるから」

「じゃあ先に食事にしましょう。ご馳走しますよ」

「誕生日のお祝いなんだろうから断れないね」

「このショッピングモールの中にこの州の料理が食べられるレストランがあるって調べたんです」

「あるね。君が食べたいだけじゃないの?」

「あなたと一緒に食べたいんです」

「はいはい」

 傍から見たらこんなやりとりをしていれば恋人同士にしか見えないだろう。でも実際には違う、微妙な関係だ。この関係をなんといえばいいのか、クライブには分からない。でも、このやりとりは喩えようがないほど心地よい。

 2人でそのレストランまで歩いて向かう。その途中に床屋があり、イヴは店の前で足を止めた。

「おねだりしたいんですが……」

「なに?」

「ヒゲを剃ったところが見たいです!」

「誕生日に逆におねだりされるとは……」

 しかし露骨に上目遣いで潤んだ瞳をするイヴに、今の自分が抗えないことはわかりきっていた。もしこれが裁判所の中だったらこのあざとさに負けるかもしれないが、幸いここで負けてもあまり関係がない。もう3年だ。たかがヒゲを生やしたくらいでゴマし続けられるものではない――ジョージがくれた情報が気になったが、クライブは頷いた。

「いいよ。ちょっと待っててくれる?」

「やった!」

 クライブとイヴは床屋の中に入り、早速調髪を依頼する。髪を短くし、前髪をふんわりと膨らませ、ヒゲを全て剃った自分が鏡の中に現れると昔の自分に戻った来した。そう、昔の自分はこんな髪をして、無精ヒゲなどもってのほかで、ノリがぴしっとかかったシャツにアイロンがかかった高級スーツで法廷に乗り込む日々だった。ひたすら懐かしいが、今はそこに戻る気にはなれない。

 鏡の中の自分を見てかイヴは驚いたように目を丸くした。鏡越しに目が合うと彼女は目をそらして口元に手を当てた。

 はて。何が起きたんだろうかとクライブは頭を洗ってもらい、乾かしてもらい、全てが終わってイブの前にようやく立つ。

「お待たせ」

「……見違えました」

「いい男?」

「いい男なのはヒゲを生やしていても同じです」

 イヴは緊張した面持ちでそう言い放ち、先に床屋の外に出る。

 ショッピングモールの中はお昼近くになったからか客が増えていて、通路は少し混雑し始めていた。イヴはクライブを置いてつかつかと1人歩いて行く。

「僕、おかしい?」

「いえ」

「僕、何かした?」

「いいえ。敢えて言うなら、正体を黙っていたことでしょうか」

 その言葉には怒りの語気が混じっていた。

「……君、僕のこと知ってるんだ?」

 イヴは足を止めてクライブを見上げ、言い放った。

「正義の弁護士、ミスター・サイラス・グッドマン。私の最推しの人が、こんな近くにいるなんて思いつくはずがないじゃないですか! 私はあなたに憧れて、がんばってがんばって弁護士を続けてきたんですよ!」

「バレたか」

「……そうでした、そうでした。考えてみれば簡単でしたよ! ボスとミスター・サイラス・グッドマンは同じ弁護士事務所で働いていたんでした。先輩ってそういうことだったんですね。ヒントはあったのにどうして気付かなかったんだろう。ううん。まさか弁護士やめてこんなところでシーカヤックガイドしているなんて、誰が思いつくものですか」

「まあ落ち着いて……食べながら話そうよ」

 通行人が驚いた目でクライブとイヴを見ていた。痴話げんかとでも思われているらしい。しかし実際はちょっと違うのだ。

 イヴはクライブを睨んだ。

「怒ってる?」

「全然!」

「じゃあなんで睨んでるの?」

「睨んでなんかいません。私が、あなたのことを好きになったのが本当に運命だったんだって分かったから、ううん……運命だって信じたいから、その運命を逃がさないように見張っているんです!」

 クライブは自分の視界が狭くなると同時に耳が遠くなるのが分かった。そしてそれは頭の中に何か熱くてしびれる物質が満ちているからだとも分かる。

 これは間違いない。運命だ、とクライブも思う。

 黄金に輝く瞳に見つめられ、クライブは頷く。そして少し落ち着いてから言葉を発することができた。

「ゆっくり話すよ。どうして僕がここにいるのかを」

 クライブは呆然としているイヴの手を取り、レストランへと急いだ。

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