第9話 初めての朝を迎える
初めての朝を迎える-1
遠征から帰ってきて、クライブは放りっぱなしになっていた家庭菜園の手入れをする。手伝うとイヴがいうので手伝って貰っている。ジャガイモを掘り起こした後の畑の掘り返しだ。この北の国は寒いだけあって農作物の多くは輸入品で割高なので始めた家庭菜園だが、今ではクライブの趣味の1つになっている。
鍬で掘り返し、余計な地下茎を取り除き、土の中に空気を入れる。イヴは慣れない手つきで鍬を使い、腰を痛そうにしていた。
「……もうすぐ君は帰るんだなあ」
すっかり夏のこの国には慣れた様子のイヴも、メガロポリスに戻る日が近づいていた。
「いえ。ボスからまだ連絡がないのでもうしばらくいることになりそうです」
「そんな話、先輩から聞いてないよ」
「でも、何も解決せずに戻るのも危険なので」
イヴは悪質なストーカー被害を受けてこの国に避難してきた。彼女は口にこそしないが、被害は相当なものだったとクライブは聞いている。アパートメントのガラスが割られたり、郵便物が切り裂かれたり、簡易な爆発物が送り届けられたり、トドメは猫の生首が送りつけられたらしい。それではイヴも参ってしまって当たり前だ。裁判で恨みを買ったらしいがその裁判について詳しいことは聞いていない。必要になったら先輩に聞くつもりだったが、今までクライブがその必要性を覚えることはなかった。自分と同じような境遇ではあるが、まさかこんなに早くここまで足取りを掴めるほどの能力はイヴのストーカーにはないだろう。問題は……そろそろ自分の方だ。そう考えるクライブだ。
「……君さえよければ夏の間はいつまでもいてもいいんだからね」
「夏の間限定ですか」
「冬は勧められない」
「……それは分かりますが……」
イヴはいろいろ考えてくれているようだ。もし自分と暮らすならばこのクリークタウンになると考えているのだ。もし自分がメガロポリスに戻れるようになったら……と考えなくはない。しかし不確定なことを言ってイヴの心を乱したくないし、そもそもメガロポリスに戻りたいとあまり考えていない自分がいる。
午前中の畑仕事を終えて、たまにはとジョージの店に2人揃ってランチに行くとジョージが笑顔で出迎えてくれる。
「お2人さん揃ってお来しでなにより。もっと頻繁に来てくれればなおよし」
「遠征に行ってきたんだよ。いなかったんだ」
「確かにその話は聞いてたな」
そんなやりとりをしながらクライブはジョージに近況を報告するが、ジョージは遠征の話には興味がない様子だった。
「雑貨屋で1箱買ったことは聞いている。意外とタンパクなんだな」
「ほっといてください!」
この街に個人情報の秘匿などという言葉は存在しない。雑貨屋で何を買ったかなんて街中に筒抜けなのだ。何を1箱なんて考えるまでもなく避妊具のことを指しているのだとわかる。ジョージはニンマリした後、変わったことがあると前置きして真面目な顔をしてこう教えてくれた。
「2度ほど知らんやつがうちに来たぞ。キャンプ客ではないし、この先にいって、帰ってきてまた立ち寄ってくれた、という風でもなかった」
「ありがとう」
ジョージはクライブがこの街に来た理由を知っている。だから気にかけてくれているのだ。
「灰色がかった金の髪、浅黒い肌で、ヘタレたシャツを着て、ジャケット羽織って拳銃を持ったまま店に入ってきたよ」
職業柄、観察眼が鋭いジョージだから、隠し持っていた拳銃に気が付いたのだろう。それは間違いなく怪しい。ジョージの店を気に入ったから、という理由ではなさそうだ。その話を聞いていたイヴは顔色を変え、それに気付いてクライブは気遣う。
「……大丈夫だよ。僕がついている」
そもそも、彼女をターゲットにしているストーカーが来たとは限らない。この街はメガロポリスから5000キロも離れているのだ。
「なぁに。ことが起きたらオレのライフルが火を噴くだけだ」
ジョージは軽く言う。イヴは小さく呆れる。
「……物騒ですね」
「ジョージは本当にそうやってこの街を守ってるんだよ」
「この国らしいといえばこの国らしいですが」
この国は自由の国であり、銃の国でもあるのだ。
今日のランチはトナカイ肉のステーキで軽くサラダとパンが付き、コーヒーは別だった。ありがたくコーヒーまでいただく。食後の一服のあと、再びジョージが来てクライブに聞く。
「ところでお前さん、ここに来てもう3年か。何歳になったんだっけ?」
「ちょうど明日で36です」
「36かあ。まだまだ若いなあ」
「明日……」
イヴはその後、口を噤んだ。まだ別居中の妻設定は生きている。妻なら夫の誕生日を忘れることはないだろう、ということに気付いたに違いない。
「そうか……この街で生きるかどうかはお前次第だからな」
「わかってます」
クライブは頷き、お代を払ってジョージの店を後にする。徒歩2分の家路を歩く中、イヴが聞いてきた。
「明日が誕生日なんですか?」
「この歳になるともう誕生日でもないよ」
「いえいえ、是非お祝いしたいです。好きな人の誕生日を祝うというイベントをしてみたいです」
「イベントか……確かにそうかもな」
いついなくなるかわからないイヴと思い出を作りたい気がする。それはそれで辛くなるかもしれないが。
「どんなことをしてみたい?」
「アンカレッジ市内でお買い物をしたいのでお付き合いくだされば」
「そんなことか。僕も買い出しをしたかったからちょうどいい」
クライブは頷いて応えた。
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