両片思いの解消、ですが-4

 流木で焚き火を作り、夕食を終え、ラジオでニュースや音楽を聞きながら、イヴはクライブと一緒に長い薄暮の時間を過ごす。

 焚き火台の前に折りたたみ座椅子を置き、クライブと一緒の時間を過ごしていると、昔からこうして2人でいたような気がしてくるから不思議だ。

 クライブの方が自分に対して重い気持ちを――いや、真剣と言い直そう――真剣な気持ちを持っていることがわかり、ちらちらと彼を見てしまうイヴである。

 ノンカフェインのお茶を飲み、それぞれのテントで眠る。

 別々のテントでも気持ちが分かったからイヴは安心して眠れると思う。むしろ今度、決断を突きつけられたのは自分の方だと気付くと眠れなくなった。

「……プロポーズされたんだよね……」

 それは男性に告白されることすら人生でなかったイヴに突然発生した、劇的なイベントである。クライブは自分に子どもを産んで貰いたいと思っている。そして別れるのが辛いと言ってくれている。これはプロポーズといっていいだろう。だからこそ彼は自分を抱くのをためらったのだし。

 しかも彼は自分が弁護士の仕事を大事にしていることを分かってくれている。この国ではアンカレッジのような大きな街であればともかくクリークタウンのような小さな街では弁護士が食べていけるような仕事はない。それにイヴの中には正義の弁護士への憧れもある。自分の力で弱きを助け悪をくじくのだ。そのせいでこうして狙われて逃げてきたのはさておき、だ。一緒にクライブと生き、シーカヤックガイドとして食べていくことも考えにくい。それこそ別居中の妻という設定が設定でなくなり、実際に遠く離れて暮らすことになりそうだ。それでいいのか、と思う自分がいる。悩むしかない。

 2日目の夜は無事過ぎ、翌日もシーカヤックの旅が続く。

 3日目には2つの氷河を眺めることができた。誰もいない海に注いでいる氷河の青と海の青が混ざり合い、海面に氷河が映っているのか、氷河に海の青が映えているのか分からない、そしてその上の空はもっと青く、全ての青が溶け合っている幻想的な光景を見ることができた。

 シーカヤックでここまでたどり着かなければこの光景を見ることができなかったのだと思うとイヴは深い感慨を覚える。

 そして氷河とその氷河が何万年もかけて削ったフィヨルドを見て、人間の小ささを思う。しかしこの雄大な、ちょっと人間が暮らすとも思えない土地に、ネイティブの人たちはバイダルカを作って海に漕ぎ出し、獲物をとらえて、少ない資源を使って1万年を生きてきた。それは人間の可能性であると同時に本来の人類が持っているたくましい創造性という力だ、とイヴは思う。

 4日目には折り返し、ちょっと距離を漕いで、1日目にキャンプしたのとは別の国立公園の浜辺でキャンプをした。その間におひょうが釣れ、クライブはご機嫌だった。

 釣れたおひょうを処理していると空に小型の飛行艇が現れ、キャンプ地のちょっと沖合に着水した。そして小さなゴムボートが投下され、パイロットが浜辺に向かっているのが分かった。

 おーい、とイヴとクライブを認めたのか、パイロットが大きな声で呼びかけ、手を振った。

「マギーだ」

 マギーはゴムボートから下りて上陸すると、出迎えたイヴとクライブを見比べ、ふふーんと笑って言った。

「お元気そうで」

「いやいや。君が想像しているようなことにはなってないから」

 クライブは首を横に振る。

「詳細はイヴさんに聞くからいいです」

「よく私たちがわかりましたね」

 イヴは不思議に思うが、マギーは軽く答えた。

「見覚えのあるシーカヤックが上から見えたからさ。パイロットの視力をなめたらいけないよ」

 パイロットの視力があれば上空からでもシーカヤックの判別がつくらしい。クライブがマギーに背中を向けて言った。

「せっかくだ。コーヒーでもいれるよ」

「ありがとー!」

 クライブが焚き火台の方に戻っていくとマギーは小さな声で聞いてきた。

「で、どうだった? 彼、なかなかでしょ。ちょっとタンパクだからあたしには物足りなくてご無沙汰だけどさ」

「……いやあ……本当に何もなくて……」

マジでリアリィ!? あの男、ヘタレだなあ。いや、ヘタレすぎる」

 マギーは本気であきれ顔になった。

「でも、プロポーズされました。たぶん……」

「そりゃ一足飛びで目出度いことだ! おめでとう! セックスなしにプロポーズなんてクライブも古い男だね」

 マギーは一転して笑顔になった。

「でも……本当に別居中の妻になりそうで」

「そっか、メガロポリスに仕事があるんだっけ……あたしも別居中だけど、単に愛想尽かしただけだから参考にはならんな。でもさ、あたしも余所から来た組だから言えるけど、バーンと気持ちを決めてこっちに来てみなよ。なんとかなるもんだよ!」

 マギーはイヴの背中を文字通りバーンと音がするくらい大きく叩いた。

「あたしさ、テキサス出身なのよ」

「テキサスからアラスカとはまた……」

 気候は全く違うし、5000キロ近く離れているだろう。もはや別の世界だ。

「当時惚れた男がアラスカに転勤になってさ、手に職はあるじゃない? ついていったわけよ。別れちゃったけどいい男だったよ。それにこの国も好き。テキサスとは全然違うしね。みんないい人たちばかりだしさ」

 マギーもいい人だな、とイヴは思う。

「参考にします」

 先人の言葉は重い。

 コーヒーがはいったよ、とクライブがマギーを呼んだ。

「ごちそうになるねー」

 イヴもマギーと一緒に焚き火台の方に歩いて行く。

 この恋が実るかどうかは自分の決心次第だ――とマギーの体験談を聞いて心したイヴだった。

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