両片思いの解消、ですが-2
朝食はインスタントスープにパン、そして目玉焼き。卵は常温で保存できる良質なタンパク質だ。
「今日辺り、何か釣れるといいんだけどな」
釣りといってもシーカヤックからルアーを流しているだけだ。ただ漕いでいる距離が長く、流している時間も長いので案外釣れるらしい。
「あんまり大きいのが釣れても食べきれませんよ」
「なに。その辺に残っている氷があれば長持ちするさ」
なるほど。氷河が幾つもあると聞いているからそんなこともできるのだろう。
「もっとも釣る前からそんなことを考えていても仕方ないけどな」
「そうですね」
クライブとイヴは笑った。
キャンプサイトを撤収し、再びシーカヤックの上の人になる。キャンプサイトにいる他の人たちはまだまだゆっくりする様子だった。自分たちのように遠征する人はそんなにいないのかもしれない。
イヴたちは海図とハンディGPSを頼りに東に向かう。プリンス・ウェールズ湾は東に広く開いているからだ。クライブがイヴに言う。
「運がよければ鯨やシャチに会えるよ」
「本当に?」
並走するシーカヤックの距離は2メートルほど。
「うん。こっちがゆっくりだからね。彼らの方が早い。波間に潮を吹いているのが見えたらラッキーだ。近づいてみよう」
「ええ、ええ」
そんなの記録映画の中だけの世界だと思っていた。
「沿岸を行けばラッコやアザラシにも会える。そっちは割と遭遇率が高い」
「すごい」
「でも間近で会うためにはこうやって自分の力で漕ぐ必要がある。観光船でももちろん見られるけど会えるっていう距離じゃない」
「船の上からですものね」
「そう。シーカヤックは自然と距離が近い。アリューシャンの人々はその鯨やアザラシやラッコを穫るためにシーカヤックに乗っていたわけだけど……」
今はもうそういう時代ではない。しかし過去、人類は彼らを狩り、数を激減させたという歴史を忘れてはならないとイヴは思う。彼らは人類に対し警戒感を持っていないのだろうか……と微かに疑問を覚えた。
島と島の間の水路を抜け、広い海に出る。今までとは風景が違う。遠くに白い山並みが見える。今まではフィヨルドの中だったからすぐ近くに山が見えていたのだが、急に沖合に出たように思われてイヴは少し怖くなる。もしも沈したらクライブの助けがあるにせよ。リカバリーして再乗艇するしかない。陸には泳いでたどり着けるような距離ではなくなった。
「ほら……見えたよ」
ちょっと先の海の中をクライブは指さした。
海中に黒い影がいっぱい見える。鯨まはシャチのように見える。大きい。黒い影の群れはシーカヤックを全く気にすることなく、その下を斜めにすごいスピードで横切っていった。
「一生の思い出です」
イヴはシーカヤックの上で震えるほど感動した。メガロポリスで仕事をしているだけだったら、絶対にできなかった経験だ。感動して当たり前だと思う。
「うん。わかる。僕は結局それでやられて今もここにいるし」
「クライブと同じ感動をしているなんて、感動です」
「その発言は難しいな!」
クライブは笑った。
黒い影の群れは遠くに去り、2艇のシーカヤックは更に東に向かう。
観光船の姿は見えないが、たまに空に軽飛行機が見える。水上艇だろう。観光かスクランブルかわからないが、この空の全ては飛行機乗りのものに思えてくる。
青い空に薄く白い雲がなびき、どこまでも高い。その空を映す海もまた青い。
イヴが全く知らない青さだ。
この世界にはまだまだ知らないことがいっぱいあるのだろう。
シーカヤックの上でランチをしながら、40キロ近く漕いだ。再び陸に近づくが、ハンディGPSを見るとここが島だと分かる。
今度は岩場にアザラシたちが群れているのが見えた。クライブはあまり近寄らない。彼らのひなたぼっこを邪魔したくないのだろう。
「ふふ、かわいい。遊んでる」
じゃれているアザラシたちもいる。若い個体だろう。
「人間の世界なんてちっぽけなもんさ」
クライブの言葉には実感が伴っている。
海蝕洞窟を見たり、ラッコが漁をしたりするのを見つつ、上陸できるところを探す。そろそろキャンプだ。
切り立った崖が不意になくなり浜辺が現れる。満潮の時間でも大丈夫そうなくらい奥まで平地が広がっていた。
クライブはここをキャンプ地に決め、シーカヤックを浜辺に停泊させる。
浜辺といっても砂地ではない。砂もあるが、ごろごろと礫が転がっている場所だ。それでもくつろげそうな玉砂利が多い場所を選んで、キャンプ地にした。
クライブが真っ先にバイダルカから下ろしたのは黒いポリ容器だった。20リットル分くらいはありそうだ。艇が不安定になるのに、どうしてそんな重いものをデッキに載せているのか不思議に思っていたので、イヴは聞いた。
「それ、何に使うんです?」
「前のキャンプ地の小川で水を汲んできたからね。かなりの時間、陽の光に当てていたから、触ると分かるけど水温が結構上がってる。ちゃんとしたシャワーを浴びられるよ」
「本当ですか!?」
汗をかいているし、嬉しい、けど。
「こんな何も遮るものがない浜辺のどこでシャワーを浴びろと!?」
「僕がテントの中に入っていれば問題解決」
「それはそうですけど」
「僕以外この十数キロ圏内には誰もいないよ」
完全オープンエアでシャワーを浴びるのか……いや、考えようによってはクライブの煩悩をかき立てられるかもしれない。これはチャンスだ。
「……ありがたくシャワーを使わせていただきます」
イヴは即答に近い早さで返事をし、クライブは笑顔になった。
ポリタンクにシャワーユニットを付けて圧を掛けてから岩場の高いところに置いたあと、クライブは早速テントを立ててその中に引っ込んだ。
イヴは着替えを用意して、シャワーホースが垂れ下がっている岩場へ向かった。
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