モブ令息の誤算~婚約破棄を見に来ただけだったのに~

九重

第1話

 ここは、乙女ゲームの世界だと思っていたが、どうやら違ったらしい。


 転生した俺がそう思ったのは、学園の卒業パーティーだ。

 メイン攻略対象者だと思っていた王太子の後ろには、ヒロインだと思っていた聖女の力を持つピンク髪の少女がいる。

 その周囲には、他の攻略対象者らしき姿も見えて、俺はいつ断罪劇がはじまるかとワクワク……もとい、ドキドキしていたのだが――――なにも起こらなかった。


 もうすぐパーティーも終わる。

 聖女は、焦ったような表情で王太子を見ているが、彼は知らん顔。それどころか、婚約者の侯爵令嬢とにこやかに談笑している始末。

 俺は、彼女を悪役令嬢だと思っていたんだが、違ったんだな。

 いや、婚約破棄なんて起こらないにこしたことはないんだが……なんとも拍子抜けだ。



 俺がそんなことを考えていたのがわかったわけではなかろうが、王太子が俺に話しかけてきた。


「やあ。どうしたのかな? なんだか納得できないって顔をしているけれど」


 それっていったいどんな顔だよ?

 っていうか、王太子は俺を知っているのか?

 あまり関わりはなかったと思うんだが?

 少なくとも「やあ」とか、気安く言われるような関係じゃなかったよな?


 いろいろ疑問は浮かんだが、婚約破棄が起こらなくてモヤモヤしているのは、たしかだ。だったらここは、素直に聞いてしまおうか?

 どうせ今日で卒業だ。

 今を逃せば、王太子と話せる機会はそうそうないだろう。


「あ、いえ。……私は、王太子殿下が聖女さまを特別に思っているように感じていたので、この場でなにか発表があるのではないかと思っていたのです」


 婚約破棄とか、婚約破棄とか、婚約破棄なんかがな。


 王太子は、底の見えない湖のような青い目を瞬いた。


「……それは、いったいどんな?」


「あ~、その、たとえば聖女さまを妃にするとか?」


 俺の言葉を聞いた王太子は、面白そうに笑った。


「ハハハ……妃? まさか、それはないよ。私には婚約者がいるからね」


 きっぱりと否定しながら、王太子は婚約者の侯爵令嬢の腰を引き寄せる。

 侯爵令嬢は、恥ずかしそうに頬を染めた。


 彼の背後で聞き耳を立てていた聖女は、顔色を悪くする。

 彼女の周囲にいる奴らも同様だ。


「どうしてそんなあり得ない妄想をしたのかな?」


 王太子は笑顔を崩さず聞いてきた。


 どうやら怒っている様子はないようだ。

 だから俺は、もう少し深く突っこむことにする。


「いや。だって殿下は、在学中聖女さまをやたらと庇っていたじゃないですか。『彼女は可哀相な人なのだ』とか、『守ってやらなければならない存在なのだ』とかおっしゃって、いつもお側に置いておられていましたよね?」


 聖女は、見るからに儚げな美少女だ。言動も多少幼くて、なんていうか……そう、あざと可愛い感じ。

 まあ、こちらの世界にはあざと可愛いなんていう言葉はないんだけど。


「それならなおさらのこと、守られるばかりの存在が、妃になんてなれるはずがないからね」


 王太子は、バッサリと聖女を切って捨てた。


「え?」


 今の「え」は、俺じゃない。王太子の後ろの聖女だ。


「妃とは、王族を支え共に国を導く存在だ。他者から『可哀相』などと思われる者が、妃になれるはずがないだろう」


 いや、それはそのとおりなんだけど。

 あと、疑問の声を上げた聖女を無視して俺に話しかけるんじゃない!


「彼女は、聖女ですし――――」


「聖女が必要とされるのは神殿だよ。我が国は政教分離を原則としているからね。国の政治を司る王に、聖女は必要ない」


 ますますごもっともなお言葉だった。


 立っていられなくなったのだろう、聖女がその場にヘナヘナと崩れ落ちる。

 しかし、周囲の誰も彼女を助け起こそうとしなかった。

 まあ、勝ち馬と思っていた相手が、王太子に歯牙にもかけてもらえていなかったと知れば、こんなもんなのかもしれない。


 ちょっと可哀相な気が――――いや、しないな。

 だって、この聖女ハーレムエンド狙いだったぽいし。二股三股は当たり前で、王太子の前では猫をかぶっていたけれど、他では貢がせ放題だったって聞いている。




 でも、それならなんで王太子は――――。


「では、在学中どうして聖女さまをお側に置いておかれたのですか?」


 俺が質問すれば、王太子は「ああ」と言って爽やかな笑みを浮かべた。


「私の側近となる人物をためだよ。おかげで優秀なメンバーを集められた」



 ――――この、腹黒外道!



 俺は思わず出かかった舌打ちを堪えた。

 つまりこいつは、聖女に近づく自分を見てどんな反応をするかで、学友たちの選別をしていたのだ。


 聖女が妃になると思い、聖女にすり寄ったり婚約者の侯爵令嬢を貶めたりした者は、もちろん失格。

 俺のような高みの見物をしていた者も、たぶん失格。

 合格したのは、王太子を信じ彼の目論見を見破った者と、自らの進退を気にせずに王太子に注進した者ぐらいだろう。


 あらためてよく見れば、王太子の周囲には身分にかかわらず優秀と言われている学生たちが集まっている。

 きっと彼らが合格者なのだろうな。


 まあ、俺は王太子の側近なんて面倒くさい立場になりたくないから、うらやましくもなんともないけれど。


 反対に、聖女の近くにいた者たちは、絶望に顔を染めていた。結構高位貴族のご令息もいるんだが…………うん、なんていうか、ご愁傷様。


「ずいぶん、いんけ……いや、ごくど……じゃなくて、小賢こざかし…………狡猾こうかつな手段を取られましたね。婚約者に愛想を尽かされませんでしたか?」


 俺の言葉を聞いた王太子は、耐えきれず吹きだした。


「ブッ! ハハハハッ……フフ、何度も言い直したあげく『狡猾』とは。それは君にとって褒め言葉なのかい?」


 まあ、そうだ。少なくとも「腹黒」や「陰険」や「極道」、「小賢しい」に比べればマシなんじゃないか?


 ひとしきり笑った後で、ようやく王太子は表情を繕った。呆れ顔で隣に立つ婚約者をますます深く抱き寄せる。


「嫌われないように、懸命にすがりついたからね。幸いにして婚約者殿は、王太子妃教育で王城に寝泊まりしているから、に日参しどんなに私が彼女を愛しているのかを、言葉と行動で伝えてきたんだよ」


「もうっ! 殿下!」


 侯爵令嬢が真っ赤な顔で、王太子の口を手で塞いだ。



 ――――あ、こいつ、むっつりスケベだ。


 上機嫌で侯爵令嬢の手にキスする王太子を見て、俺は確信する。




 ああ、もう、ハイハイ。わかりましたよ。

 まったく優秀な王太子殿下だ。

 我が国の将来は安泰だな。


「仲睦まじいご様子に安心しました。では、私はこれで――――」


 聞きたいことは聞けたので、俺はその場から離れようとした。

 そこに――――。


「あ、もちろん方だからね。可能な限り早く王太子宮に出仕するように」


 どこか面白そうな王太子の声がかかった。


「へ?」


 思いも寄らぬことを言われて、俺は間抜けな声をあげる。


「君の父君――――辺境伯閣下も了承済みのことだよ。……君と私は性格が似ているから、気が合うのではないかと言われていた」


「はぁ~っ?」


 親父の奴、なんてことを言ってくれたんだ。

 俺とこの腹黒王太子が似ているなんて、あり得ないだろう。


「……私では、王太子殿下のご期待に添えないかと」


「謙遜のしすぎは、いやみだよ。……在学中に隣国の第二王子が急に帰国したのは、君の差し金だろう?」


 訳知り顔で言ってくる王太子に、今度は堪えられず舌打ちが漏れる。

 だって仕方ないだろう。俺の母は隣国の王の従兄妹いとこなんだ。つまり第二王子は俺の再従兄弟はとこ

 従兄妹伯父いとこおじである隣国国王から「息子を頼む」なんて言われてしまったからには、聖女の毒牙にかけるわけにはいかなかったんだ。


「……隠しキャラの第二王子、いないと思ったら国に帰っちゃってたの?」


 呆然としたような驚きの声が、聖女の方から聞こえてきた。

 やっぱりあの聖女、転生者だったんだな。ヒロインの割には性格が悪いと思ったんだ。


「それに、君の家門の学生は誰ひとり聖女に近づく者はいなかった。それも君の指示だと聞いたよ?」


 聖女に気を取られていれば、また王太子が話しかけてきた。


 俺はお前みたいに腹黒じゃないからな。うちの家門の面倒くらい見るに決まっているだろう。


「皆が協力してくれたからです」


「それでも、全員が君に従うということが素晴らしいよ。……学生のうちは、みんな身分は関係ないだとか、平等だとかいう理想論を振りかざし、なにかと反抗的な者が多いのに。……君の家門は統制が取れているよね」


「…………別に、普通です」


 うちの家門なんだ。俺の指示に従うのは当然だろう?


「その普通ができない者が多いんだよ」


 そんな統制の取れない奴らと比較してほしくない。

 ムッとしていれば、王太子は朗らかに笑った。


「なにはともかく、君が私の側近になるのは決定事項だ。諦めて仕えてくれ」




 いやだと言っても聞かないんだろうな。

 あ~あ、卒業後は領地に帰り、親父と兄貴のすねをかじりながらスローライフを満喫する予定だったのに。



「――――承りました。王太子殿下」



 仕方なく俺は頭を下げたのだった。






 十年後。即位して国王になった王太子の後ろに俺は立っていた。

 新国王の信頼篤い無二の賢臣と呼ばれていることは、甚だ不本意である。

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