第3話「記憶の奥に、色がつく」

雨が降っていた。

窓の外では、灰色の空から静かに雨粒が落ちて、アスファルトを濡らしていた。


今日は土曜日。

部活もなく、家で一人、部屋の引き出しを整理していた。

ふと、手が止まった。


奥の方から出てきたのは、くしゃくしゃのノート。

表紙には、子どもっぽい字で「国語ノート」って書いてある。


「……なつかし。」


開いてみると、小学校三年生のころの作文が出てきた。


『ぼくのすきなばしょ』


ぼくは、がっこうのうんどうじょうがすきです。

ひるやすみにともだちとボールをけると、ひかりがまぶしくて、

くさのにおいがして、わらいごえがとびます。

そのとき、こころがかるくなります。


「……なんか、だっさ。」


思わず口に出して言った。けど、本音じゃなかった。


ひらがなばっかりで、言い回しも幼い。

でもその中には、いまの自分がぜんぜん書けない“何か”があった。


目に浮かぶ。

まぶしい光、草のにおい、友だちの声──

たった三行に、色と音と気持ちがちゃんと入っていた。


なんで、あのころは書けたんだろう。

今は、「ふつうによかった」とか「マジ神」しか出てこないのに。


「それは、“感じたまま”を、そのまま書こうとしていたからです」


スマホが光って、AICOが起動していた。

AIのくせに、ちょっとタイミングよすぎる。


「あのころの晶さんには、まだ“上手く書こう”というブレーキがありませんでした。

だから、素直な感情が、言葉としてそのまま外に出ていたんです」


「今の俺は、感じても、言葉にならないんだけど」


「では、こうしてみましょう。

“感情を色に置き換えてみてください”」


「色……?」


「たとえば、今の気分は何色ですか?」


窓の外の雨を見ながら、晶は答えた。


「……灰色、かな」


「灰色=無気力、停滞、思考の霧。

色には、意味があります。

逆に言えば、色を使えば、感情を遠回しに表現できるんです」


──遠回し、だけど伝わる。

それは、感情を守りながら、ちゃんと届ける方法かもしれない。


「じゃあ……昔の運動場は、オレンジかな。あったかくて、元気で、まぶしくて」


「いいですね。オレンジは“希望・活力・友情”を象徴します。

そこに描写を加えれば、次のようにリライトできます」


「昼休み、オレンジ色の空気のなかで、

僕は友だちの声と草の匂いに包まれて、心が少しだけ軽くなるのを感じた」


「うわ……すご。」


なんか、世界が色づいていくみたいだった。


色って、ただの視覚じゃなくて、

気持ちそのものを映してくれる“フィルター”みたいなものなんだ。


部屋の明かりが、夕焼けに少しだけ染まった。

窓の外の空が、ゆっくりとオレンジに変わりはじめている。


晶はもう一度、古い作文を見つめた。


あのときの“ことばの芽”は、

ちゃんと今の自分にも、残っていた。


ほんの少しずつだけど、

言葉が、色を取り戻しはじめている気がした。


🔜次回:🌱語彙の芽〈第3話編〉

「感情を、色で言い換える方法って?」

灰色、青、赤、オレンジ――色と気持ちをつなげる“感情色マップ”を使って、ことばに奥行きを与える技法を紹介します。

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