第21話 焚き火の静寂と問いかけ
リーゼが火打石で火をつけたとき、それはほんの小さな光だった。
けれど、それは確かに薪に宿り、ゆっくりと、しずかに火を育てていく。
誰もがその炎をじっと見つめていた。
まるで長い旅路の終わりを見届けているような、深い静けさがあった。
その沈黙を最初に破ったのは、ラセルだった。
「なあ、そろそろ教えてくれよ、じいさん……あんた、何者なんだ?」
ぱちり、と火の粉がはじける音。
赤い光が、老人の顔を浮かび上がらせた。
その隣に座っていた鍛冶屋のガロウが、くくっと笑う。
「なんじゃ、やっぱり黙ってたか。別に隠す必要もなかろう? 教えてやれ……ザカリア」
その名が落ちた瞬間――風が止まり、火までも音を失った気がした。
「……その名で呼ぶな、ガロウよ」
「へっ、わしにとっちゃ今でもその名が一番しっくり来るんじゃよ」
戸惑ったように、リーゼがラセルの方を見やる。
ラセルは何かを思い出すように目を見開いた。
「ザカリア……って……まさか……ザカリア=フェルナード? 魔法医師会を作った、あの……?」
ぱちり、と今度は大きく火がはぜた。
それはまるで、名前の重さを示すかのように。
老人――ザカリアは、ゆっくりとうなずいた。
「その名で呼ばれていた頃もあったな。魔法医師会を創ったのは確かにわしじゃ。だが、今はただの旅人じゃ。会の運営は、もう若い者に任せてある」
「じゃあ……どうして俺たちと? どうして、紬と一緒に旅を?」
ザカリアは焚き火の奥を見つめたまま、静かに語り出した。
「――わしとガロウが出会ったのは、まだ若い頃。あれは、ノルフェ王国に仕えていた時のことじゃ」
若き日のザカリアは、王宮に仕える宮廷魔法医師だった。
人の言葉にならない苦しみを“魔力の流れ”として感じ取り、治す異能の持ち主だった。
一方のガロウは、若き鍛冶師。
鉄や火の温度だけでなく、素材の“声”を聞き分け、持ち主に最も馴染む武具を打つ名工だった。
「お互い、変わり者じゃったからな。妙に気が合うてな」
だが、時は戦乱に向かっていた。
「わしらは自国を守るために力を尽くした。わしは魔法で傷を癒し、ガロウは武具を作り続けた。……守りきったと思っていた。だが――」
焚き火の炎が、大きく揺れる。
「勝ったその後じゃ。王たちは、今度は“外”を求め始めた。手柄、領土、名声……守るための力が、奪うための力に変わっていった」
ザカリアは、苦しげに目を伏せた。
「わしは嫌になって国を離れた。治すべき傷を、今度は“作る側”になるのがどうしても納得できんかった」
そこからザカリアは放浪し、敵味方の別なく人を癒すようになった。
気づけば、志を同じくする者たちが集まり、自然に“魔法医師会”が生まれていった。
今度はガロウが、焚き火を見ながら口を開いた。
「……あの頃からじゃ。打ち直しに戻ってきた武具の声が変わった。前は誇っとったのに、今は泣いとる。助けを求めるような音ばかりでな……」
だから彼も、国を離れた。
「今じゃ日用品専門の鍛冶屋じゃ。包丁とか、鍬とか――静かな声を持ったもんばっかり作っとる」
そう言って、ガロウは少し笑った。
「火打金のときなんか、“なんでわけの分からんもんを打てたんだ”って焦ったもんじゃよ」
ザカリアは、また火を見つめる。
「魔法でもなければ、権威でもない。ただ“声を聞く”力。それが、わしらを支えてきたんじゃ」
ガロウは「物の声」を、
ザカリアは「人の声」を聞いてきた。
まったく違う道を歩きながらも、根底にあったのは――「耳を澄ませる」という生き方だった。
「わしはこの旅で、今の医師会の様子を見てきた。何が真実で、どこで道を誤ったのか……事実は、悲惨じゃった」
そう語ったザカリアの目が、まっすぐ紬を見つめた。
「――お前に、次の会長になってもらいたい」
ぱち、と薪が小さくはぜた音が、夜の静寂に響いた。
紬は何も言わなかった。
ただ静かに焚き火を見つめていた。
目に見えない何かが――
心の奥に、そっと届いてくるようだった。
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