第19話 見るべきもの
川沿いの野宿地を後にし、四人はさらに森の奥へと歩みを進めた。
「鍛冶屋なんて、どこにあるんだ?」
先頭を歩く老人の背に、ラセルが問いかける。
老人は足を止めずに、少し微笑みながら答えた。
「わしの古い知り合いがおる。ここからそう遠くはないところにな。わしの案内に従って着いてきなさい」
森の中は薄暗く、木々が生い茂る道は細く頼りない。
だがやがて、木々の間から煙が立ちのぼるのが見え始めた。
そこは小さな集落のような場所で、森の奥にひっそりと存在していた。
目当ての鍛冶屋の工房は、古びた木造の建物だった。
煤けた板壁、風に揺れる鉄製の風鈴、軒下に積まれた黒く鈍い鉱石。建物全体から、時間の重みと熱の匂いが漂っていた。
老人が戸を叩くと、中から筋骨隆々の男が姿を現した。
顔に浮かんだのは驚きと、そして懐かしさに満ちた笑みだった。
「おお、お前か……久しぶりだな」
鍛冶屋は老人の顔を見て、くしゃりと目元を緩めた。
「頼みがあってな」
老人は迷うことなく本題を切り出す。
「火打金というものを作ってほしいのだ」
その言葉に、鍛冶屋の眉がわずかに動いた。
「……火打金? そんな得体の知れんものを、簡単には作れんぞ」
重いふいごを押しながら、面倒そうな声を返す。
すると、黙っていられなかったラセルが口を挟んだ。
「なんだそれ? 魔法の道具か?」
鍛冶屋はふっと笑みを漏らし、かぶりを振った。
「魔道具じゃない。今どきの若いもんは、魔法で剣を打つこともあるがな……わしは、魔法なんぞより自分の腕と技術に誇りを持っておるのじゃ」
老人はそっと鍛冶屋の肩に手を置いた。
「昔からの付き合いじゃ。どうか、頼まれてくれんか?」
しばし沈黙が流れたのち、鍛冶屋は静かに息を吐いた。
「……わかった。ただし、すぐにはできんぞ」
紬とリーゼは、無言でそのやりとりを見守っていた。
ラセルは、二人の言葉の奥に流れる何かに気づき始めていた。
目に見えぬやりとり――それは言葉以上に深く、静かな絆のようにも感じられた。
鍛冶場には火花が散り、熱と鉄の匂いが満ちていた。
ふいごが唸り、炉の中の火が勢いを増してゆく。
鍛冶屋と老人は、無駄な言葉を交わすことなく、呼吸を合わせるように動いていた。
その姿は、かつての時間をなぞるようでもあった。
やがて鍛冶屋はふいごを押す手を止め、赤く燃える炉を見つめたまま、ぽつりと語り始めた。
「今じゃ魔法に頼る奴ばかりでな。腕も心も、錆びついていくばかりじゃ」
火の粉が弾け、ぱちんと音を立てる。
「この火の粉の返事が聞こえるか? 人と同じで、この世のすべてのものには心がある。火の中で弾ける木の音、鉄を打ったときの金属音……それらは皆、声なんじゃよ」
鍛冶屋はそっと鉄を金床に置き、その表面を指先でなぞるように触れた。
「大事なのは、それを聞いてやることじゃ。耳を傾ける。目を凝らす。言葉じゃなくても、心の声は聞こえる。鉄も火も、そして――人間も同じじゃ」
彼の声は熱気に紛れながらも、炉の奥底から響いてくるようだった。
「嬉しい時、辛い時、怪我や病気で苦しんでいる時……見るべきなのは、傷でも病でもない。その人間の――心じゃ」
そしてふと、鍛冶屋は隣に立つ老人の顔を見た。
その目は、問いかけるでも詰め寄るでもない。ただ、静かに確かめるような色を湛えていた。
「……そうだろ?」
老人はその視線をしばし受け止めたのち、目を伏せる。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「……この話は、やめておこう」
鍛冶屋は何かを言いかけたが、それ以上は言葉にせず、再びふいごを押し始めた。
吹き出した空気が火を煽り、赤々と炉が唸りを上げた。
紬とリーゼは、交わされたやりとりの重みに言葉を失っていた。
それが何を意味するのか、すべてを理解していたわけではない。
だが、確かにそこに大切なものがあったと感じていた。
ラセルは――その気配の中に、まだ語られていない何かを強く感じていた。
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