第13話 私ができること

朝の光が、木々の隙間から柔らかく差し込んでいた。


前日に野営した森の外れで、紬たちは静かに旅の支度をしていた。老人は焚き火の傍で膝をさすりながら、何やら空を見上げて物思いにふけっている。ラセルは水袋を整え、リーゼは荷を軽くしていた。


紬はというと、ひとり少し離れた場所で本を手にしていた。昨日のことが、心に残っていた。


あのとき、自分にできることは限られていた。ただ、本に書かれた応急処置をなぞるだけ。アロエを使ったときもそうだった。火を起こしたときも。


「私の力じゃない――ただ、本が助けてくれただけ」


そんな思いが、胸の奥に重く沈んでいた。


「……そろそろ出ようか」


ラセルの声に紬は顔を上げ、そっと本を閉じた。




昼も過ぎたころ、小さな村が丘の向こうに見えてきた。家々はまばらで、畑には春の作物が芽吹き始めたばかり。村の入り口に立っていた老婆が旅人たちに気づき、手を振って近寄ってくる。


「もし、旅の方々。すまないけど、手を貸してくれんかのう」


老婆はそう言って、村の奥へと案内した。


小屋の前には、村人たちが集まっていた。中に運び込まれたのは若い男で、倒木に巻き込まれ、足を強く打ったらしい。


紬は顔をしかめ、無意識に老人の方を見た。


「あの……おじいさん、お願いします……」


しかし、老人は首を横に振った。


「すまんのう。昨日の無理がたたったのか、今日はどうにも身体が重くてな……。手が、ふるえてしまうんじゃ」


穏やかな声だったが、何かを隠しているようにも聞こえた。


紬は目を伏せ、それから決意するように本を開いた。


「リーゼさん、手伝ってもらえますか?」


「……うん、もちろん!」


二人は膝をつき、怪我の具合を見ながら処置を始めた。木片を取り除き、清潔な布で傷口を覆う。簡易の添え木で足を固定し、紬は湿らせた薬草を包帯に巻きつけた。


周囲の村人たちは口々に囁きあう。


「魔法か? いや、術式もないぞ……」


「大丈夫なのか? 本当に治るのか?」


その声に、紬は手を止めずに答えた。


「……治るかどうかは、わかりません。でも、見過ごすわけにはいかなかったんです」


静かで、でも確かな声だった。


その時、若者の呼吸が少しだけ落ち着いた。眉間に寄っていた皺が、すこし和らいでいく。


「……息が、楽になったような……」


誰かが呟いた。


村人たちはどよめきながらも、次第に感謝と安堵の表情に変わっていった。


「……さすがじゃのう」


老人が紬の背後でぽつりと呟いた。


紬は振り返り、驚いたように見上げる。


「わ、私なんて、ただ私ができることをやっただけで……」


「それをできる者が、どれほどおると思う?人の命を預かるとはそんな簡単なものではない。それを実行に移す胆力、それが何よりの力じゃよ」


紬は、すこしだけ頬を赤くして目を伏せた。


その横で、リーゼが小さく笑った。


しかし。


ラセルはそのやりとりをじっと見ていた。


(本当に……動けなかったのか? あの老人は、自分に魔法をかけるほどの力を持っていたのに?)


疑いは、静かに、しかし確実にラセルの胸に積もっていった。





処置を終えたあとも、怪我人はまだ浅い眠りにあった。傷口の痛みに顔をしかめながらも、呼吸は穏やかで、危機はひとまず去ったように見える。


けれど紬は、その場を離れようとしなかった。そして、集まっていた村人たちに向かって、少し緊張した面持ちで口を開く。


「すみません。もし、よければ……私たち、今夜は村の近くで泊まらせてもらえませんか?」


村人たちが顔を見合わせる。紬は視線に耐えるように続けた。


「処置はしました。でも、夜のあいだに何かあったらと思うと……。やっぱり、もう少し、そばで様子を見ていたくて……」


沈黙が落ちた。見慣れない術に、見知らぬ旅人たち。不安が去ったわけではない。


だが、そのとき、年配の男がぽつりと呟いた。


「助けてもらっておいて、野宿させるわけにはいかん。夜露に打たせるのは、あまりに恩知らずというものだ」


その一言に、他の村人たちも渋々ではあったが頷き、使われなくなった集会小屋の鍵を貸してくれた。


こうして四人は、村の一角で一晩だけ休むことになった。


集会小屋は、埃をかぶってはいたものの雨風はしのげた。木の床は軋み、窓には簡素な布がかかっている。中に干してあった干し草を敷いて、四人は荷物を下ろした。


紬はほっと息をついて座り込む。しばらくして、隣にいたリーゼが口を開いた。


「さっきの処置……本当にすごかったです。あんなふうに手早くできるなんて思わなかった」


「え、そんな……わたし、本に書いてあることをなぞっただけで……。震えてたし、迷ってばかりだったし……」


「でも、あのとき手を出せたのは、紬さんだけでした。」


リーゼの言葉はまっすぐで、あたたかかった。紬はそのまま顔を伏せ、静かに笑った。


「……ありがとう。ちょっと、うれしい」


リーゼも笑う。


「私、魔法が使えないでしょ?だから小さい頃からみんなに欠落者って呼ばれてて。ずっと自分はダメだっておもっていたの……。でも、今日は少しだけ、欠落者でも何かできるかもしれないって思えました。紬さんのおかげです。」


「私こそ。リーゼさんがいなかったら、何もできなかったよ」


ぽつぽつと語られる言葉は、夜の小屋に溶けていった。


そのやりとりを、壁際で座っていたラセルは黙って聞いていた。彼の目は静かで、どこか考え込むように細められている。そして隣では、老人が目を閉じたまま腕を組んでいる。


──本当に、ただ疲れていたのだろうか。


ラセルの視線は、眠ったように動かない老人の表情を見つめたまま、そっと息をついた。


外では風が木々を揺らしていたが、小屋の中は、ひとときの静けさに包まれていた。


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