第9話 火が出せない娘
「ねえ、あの……ちょっと、お願いがあって来たんだけど……」
ある日、焼き菓子を作っていた紬のもとに、一人の女性が声をかけてきた。
肩には穀物の袋、手には少し古びた布の包み。年の頃は、紬の母よりも少し上くらいだろうか。柔らかく日焼けした手が、気恥ずかしそうに布包みを差し出す。
「いつも子どもたちがお世話になってるから、お礼に。よかったら使って」
中には干した果実と、細かく刻まれた乾燥根菜。それは保存食としても重宝される、貴重な食材だ。
「ありがとうございます……こんなに、いいんですか?」
「いいの。ほんとに助かってるから」
そして、その女性はおずおずと、言いにくそうに口を開いた。
「実はね、うちの娘のことで……。あの子、魔法がまったく使えなくて。火もつけられないし、村じゃ“欠落者”だなんて、ささやかれてて……」
その言葉に、紬の胸が少しだけ締めつけられる。
「嫁にもらってくれる人なんて、ぜんぜんいなくてね。せめて……せめてあの子にも、“火”が使えるようになったらって思って」
欠落者――魔法が一切使えない人々に対する、村の静かな偏見の言葉だった。
でも、それはどこか、自分の姿と重なる気がした。
知らない土地で、何も持たず、何もできず、ただ周囲に馴染めない自分。
そんな彼女に、紬はどうしても「放っておけない」と思った。
「わかりました。わたしにできることなら、考えてみます」
そう答えると、女性は何度も頭を下げ、娘を連れてくると去っていった。
翌日、小柄でおとなしい少女がやってきた。年齢は紬とあまり変わらないように見える。目を伏せがちで、時折何かを恐れるように、びくっと肩を揺らす。
「リーゼです……よろしくお願いします」
小さな声でそう告げた彼女に、紬はにっこりと笑って答えた。
「じゃあ、まずは見るだけでいいから」
火起こしは、簡単ではない。
だからこそ――ラセルがやってみせることにした。
ラセルは、村はずれから拾ってきた乾いた木の枝を使い、以前と同じように弓のような道具をつくる。
器用に、すばやく。しゅっ、しゅっという音とともに、枝がこすれ、煙が上がり……やがて、ぽっと火の種が生まれた。
少女は目を見開き、小さな声で息を飲んだ。
「……すごい……」
火を見つめる瞳に、確かに光が宿っていた。
それでも、実際に少女が自分でやってみると、うまくいかない。何度も力が足りず、手元が滑る。
一時間、二時間と繰り返しても、煙すら出せなかった。
そして、少女はそっと顔を伏せて、つぶやいた。
「……教えていただいて、ありがとうございます。でも……これ、すごく時間がかかるし、わたしには……難しすぎて……」
無理もない。これは非常時の火起こし法であり、日常の調理や生活には現実的ではなかった。
それでも、あきらめのにじむ声に、紬は小さく首を振る。
「大丈夫。じゃあ……もっと簡単な方法、探してみよう」
そう言って、紬は荷袋から数冊の本を取り出した。
料理の本、道具の本、そして古い図鑑。そこに――見慣れた写真が載っていた。
「これ……“火打石”っていうんだ。石と石を打ち合わせると、火花が出るって」
ページをのぞき込んだ少女とラセルは、またもや目を丸くする。
「それが、次の魔法なんだな?」
「ちがうってば、もう……」
だが、ラセルの目はすでに次の冒険に向けられていた。
ページの横に描かれた、小さく光る黒い石を指して、彼は興味津々に言った。
「オレ、この石見たことない。でも、たぶん……“声”を聞けば、場所はわかる」
「声……?」
「森や動物たちに聞いてみる。そうすれば、どこにあるか教えてくれるかもしれない」
ラセルの魔法――自然との会話。
それは、紬にとってはやっぱり“魔法”のように見えた。
「……よし、じゃあ探しに行こう。わたしも、協力する」
「わたしも……行っても、いいですか?」
火を知らなかった少女が、そっと顔を上げる。
その瞳には、ほんの少しだけ、自分を信じたい気持ちが宿っていた。
そして三人は、まだ見ぬ火打石を探す旅に出ることを、心に決めた。
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