第5話 咳を鎮める葉
「しばらく、ここに滞在してはどうかの」
村の広場が夕日に染まる頃、白い髭をたくわえた村長が紬のもとにやって来てそう言った。
「村の連中、皆あんたに興味津々でな。火をつけたり、触っただけで怪我を治したり……まあ、よかったらでいい。寝る場所ぐらいは用意する」
知らない世界、知らない人たち。けれど、追い出されなかったことが少しうれしくて、紬は小さくうなずいた。
案内されたのは、小さな空き家だった。一部屋だけの質素な家だけれど、雨風はしのげそうで、布団らしきものもある。リュックをおろしてほっとした、そのとき――
「ごめんください!」
戸が勢いよく叩かれた。
「うちのばあさんが、咳が止まらなくて……苦しそうで……魔法医師は高すぎて無理だし、せめて、あんたの“魔法”で、なんとかできないか……」
昼間見かけた男のひとりが立っていた。肩には痩せた老女がもたれかかっている。顔は青白く、胸元が小刻みに上下していた。
「……ご、ごめんなさい。私、お医者さんじゃないんです……だから、責任あることは……」
そう言いかけて、紬は思いとどまった。
(でも、放っておくの?)
目の前の人を助けたい。でも自分にできることなんて、本の知識くらいだ。それだって、正しいとは限らない。けれど。
「少しだけ見せてください。できることがあるか、わからないけど」
老女の背を撫でて呼吸の浅さと湿った咳に気づいた。紬はリュックから本を取り出し、ページをめくる。持ってきたのは、図書室で何度も読んだ“食べられる野草”についての図鑑だ。
やがて、ある項目に目が止まる。
《ビワの葉:咳や痰、喘息などを和らげる効果があるとされる。葉を煎じたり、エキスを背中に塗布する民間療法がある》
(びわの葉……でも、この世界に、あるのかな)
図鑑の葉の絵を見つめていると――
「何してんだ?」
不意に戸口にラセルが現れた。
「この葉っぱ。咳を鎮めるって本に書いてあって……でも、どこにあるかわからなくて」
ラセルは図鑑をのぞきこみ、ふんと鼻を鳴らす。
「この形、たぶんあそこだ。村の南の崖のふち。変な葉っぱが生えててさ。**実が甘くて、他のやつには内緒にしてたんだ。**だから、覚えてる」
「ほんとに? 教えて!」
「ついてきな」
日が暮れかけた空の下、ふたりは村を出て、森の中を駆けた。崖のふちに近づくにつれて風が冷たくなっていく。その中に混じる、かすかに甘い匂い。
「これだろ?」
ラセルが指さした木に、紬は思わず息をのんだ。厚くて光沢のあるギザギザの葉。間違いない。
「ありがとう、ラセル!」
急いで村に戻ると、紬は葉を数枚ちぎって火にかざし、柔らかくなったところで指でもみ、汁を出した。強くて、けれどどこか落ち着くような匂いが立ちのぼる。
「すみません、背中を見せてもらえますか?」
老女は弱々しくうなずいた。服をめくって背中を少しだけ見せてもらい、紬はびわの葉の汁を、静かに、丁寧に塗っていく。
(気のせいかもしれない。でも、さっきより少しだけ呼吸が楽そう……)
「これ、すぐには効かないかもしれません。数日は様子を見てください。何か変化があったら、また来てください」
男は神妙な顔でうなずいた。だがその表情には、どこか半信半疑の色も残っている。
(当然だよね……私だって、信じきれてるわけじゃない)
けれど、ほんの少しでも苦しみが和らいでくれたなら。そう思って紬は頭を下げた。
「本当に、ありがとうよ……」
男と老女が去ったあと、戸を閉めてからも、紬の手のひらにはびわの葉の感触が残っていた。
この世界には、魔法がある。でも、それだけじゃない。
もしかしたら、まだ誰も知らない“何か”があるのかもしれない。
その“何か”を、私は――
見つけていける気がする。
※この物語に登場する治療法(びわの葉の外用など)は、古い文献や民間療法を元にしたフィクションです。実際の病気やけがの際は、医師や専門家に相談してください。
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