第4話 魔法医師

「おーい、ラセル。そっちの子、旅の魔法使いか?」


村の広場に足を踏み入れたとたん、野太い声が飛んできた。

鍬を担いだ中年の男が、田畑から戻ってきたばかりといった格好で立っている。

その隣には、小柄な老人がいて、背には幼い子どもが負ぶわれていた。

子どもの足には汚れた布が巻かれており、その隙間から赤く腫れた肌がのぞいている。


「まぁな。ちょっと変わった術を使うんだ。火も起こせるし、本から力を出す」


ラセルが胸を張って言うと、男は目を細めてふむとうなずいた。


「嬢ちゃん、悪いが……この子に、ひとつ“癒し”を頼めねぇか?」


「えっ……?」


突然の頼みに、紬は目を瞬かせた。

だけど、子どもが布の下で足をわずかに動かすたび、苦しげに顔をゆがめるのが目に入る。


「……あの、お医者さんには診てもらえないんですか?」


すると男はきょとんとした顔になり、それから口元をゆるめた。


「医者? ……ああ、魔法医師のことか?」


(魔法医師……?)


聞きなれない言葉にとまどう紬に、男は言葉を重ねる。


「そりゃ診てもらえりゃ一番いいさ。けど、ここいらじゃ無理だ。診察だけで銀貨二枚、治してもらうとなりゃ十枚以上って話だぜ。村の誰が払えるんだってのよ」


銀貨十枚――それがどれほどの価値か、紬にはわからなかった。

けれど男の語り口から、その金額が現実的でないことだけは伝わってきた。


(じゃあ、こういう怪我は……放っておくしかないの?)


「……ちょっと、やってみます」


声に出した瞬間、自分でも驚いた。

でも、誰も笑わなかった。誰も否定しなかった。


ラセルに背負ってもらっていたリュックを下ろし、中から昨日拾った薬草の束を取り出す。

柔らかい葉に指先をあて、ゆっくり揉んでいく。

形と匂いは、日本で見たヨモギに似ていた。


(本には、すりつぶして貼るって書いてあった。たしか消毒には水……)


小石と灰を借りて簡易的な道具をつくり、薬草をすりつぶす。

それを水で湿らせた布に載せ、そっと子どもの足に当てた。


「ちょっと、しみるかもしれません。……ごめんね」


子どもは小さくうなずいた。

紬はその足を丁寧に包み込むように巻き、息を吐いた。


「これで、たぶん少しずつ……良くなると思います。すぐには無理なので、数日様子を見てください」


沈黙が落ちた。


「……詠唱してなかったよな?」


「魔力の流れも、ほとんど感じなかったけど……あれが“癒し”か?」


「……本を開いてたな。やっぱあれ、魔導書なんだろ」


「まさか無詠唱で、しかも触れるだけで癒すなんて……上位魔法じゃねぇのか?」


村人たちはざわめきはじめた。

誰も“薬草”という概念を口にしない。

それはきっと、この世界に「自然の力で治す」という常識がないからだ。


(まただ……火のときと同じ。私のやったことが、“魔法”だって思われてる)


紬は否定しかけたけれど、言葉を飲み込んだ。

否定したところで、説明しきれる自信はなかった。

だってこの世界には、薬草の名前すら存在していないかもしれないのだ。


「ありがてぇよ、嬢ちゃん」


ふと、子どもを背負っていた老人が頭を下げた。

その子も、少し顔を上げて、ぽつりと「ありがとう」とつぶやいた。


「い、いえ……そんな……」


かすれた声で返しながら、紬は胸の奥が少し熱くなるのを感じていた。

魔法なんて使っていない。けれど、誰かの痛みに触れて、何かをしてあげられた――

それが、ほんの少しだけ誇らしかった。


「治る……のか?」


「わからねぇな。あんなんで効くのかよ」


「俺はまだ信じねぇぞ。やっぱ魔力がなきゃダメだろ」


「まあ、数日様子見だって言ってたしな。明日になりゃ分かる」


ざわざわとした声の中に、疑いと期待が混ざり合う。


「葉っぱで怪我が治るなら、魔法医師なんかいらねぇじゃねぇか!」


「こらこら、それ魔法医師に聞かれたら怒鳴られるぞ」


「でも見たろ? 本から術を使ったんだぜ。あれはただの草じゃねぇ。……やっぱ、魔法だよな」


信じる人、信じきれない人。

けれどそのどちらもが、紬の存在をただの“外から来た変な子”ではなく、「何かできる子」として見はじめていることに、彼女自身が一番驚いていた。


(魔法じゃない。でも、意味はあった。たぶん、少しは……)


紬はリュックを背負い直し、息を吐いた。

知らない世界の中で、少しずつ踏み出していくように。

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