わかった
やまこし
わかった
おばあちゃんが死んだ。
死んでから五日も経ってから、おばあちゃんは灰になった。
母親は憔悴しきっていて、葬儀の間ずっと隣にいてあげなければならなかった。妹は全然役に立たなくて、告別式の時間以外はずっとインスタグラムを見ていた。父親は、母方の親戚からの質問責めに参っていた。精進落としの席が終わった時には、あたしは完全に干からびてしまった。気疲れというやつだ、と口に出していたかもしれない。実家に泊まっていくようにすすめる父親を尻目に、喪服のまま電車に乗り込んだ。
干からびた心の中でも、なんだかドロドロした液体のような感覚がある。
おばあちゃんは多分、もう少し生きたかったんじゃないだろうか。
最後は話すこともできなくなっていたけれど、きっと生きたかったのだと思う。心の中にずっしりと感じるそのドロドロからは、そんなおばあちゃんの思いを汲み取ることができる。
昔からそうだ。葬儀がおわると、エネルギーを持て余してしまってしんどい。故人か、その家族が抱える行き場のない魂の力。どこにも放り投げられなくなった感情が、あたしの心の中に迷い込んでくる。それはあたしが、弱いからだ。そうしてあたしは、いてもたってもいられなくなる。
「おもろいセフレができるんだよ」
と友達に勧められたアプリを適当に右にスワイプする。お前でいい、お前だっていい、お前もいい、お前はダメだな、お前こっから近いな。電車の揺れに合わせるように、次々とスワイプする。これだけ右側にスワイプしていたら、すぐマッチングするだろう。
目的地に着いたかと思って、スマホをスリープモードに切り替えて立ちあがろうとする。車窓にあまり見覚えがない。間違えた。あと2駅だ。
もういちど座り直して、スマホを開こうと思ったら、真っ黒の画面に真珠のネックレスをつけた自分が映り込む。
ああ、ネックレスだけでも取ってから電車に乗ればよかった。でももう遅い。首にたれさがったネックレスを見ていたら、無性に腹が立ってきた。何かに怒っているわけじゃない。誰かが悪いわけでもない、ましてや、死んだおばあちゃんが悪いわけでもない。
ネックレスに手をかけて思い切り引っ張る。金具が首にめり込んで痛い。でもそんなことは無視して引っ張り続ける。すると、ブチンととても大きな音を立ててネックレスが切れる。バラバラと真珠は床にばら撒かれる。私はそれを一粒一粒、思い切って踏み潰す。でも、踏んでも踏んでも、真珠はつぶれそうにない。そう、だってこれ、フェイクだから。はたから見たあたしはちょっとおかしな人だろう。近くの乗客はそっと離れていく。何も言わない。通報もしない。知らん顔をして離れていく。これこそが、あたしが好きな東京の優しさだ。みんな、他人なんだ。
マッチングした音で我に返る。
もう一度暗い画面に自分を映すと、そこにはちゃんと本物の真珠のネックレスが座っていた。
「渋谷、今から会えますよ」
マッチングの通知と共に送られてきたメッセージをタップする。
「わかりました。あと2駅くらい。どこかで待っていてください」
今までマッチングしてきた人は確かに変な人だった。
夢十夜のうちの一つを音読させてくる人、逆立ちの練習を一緒にした人、チェックアウトまでほとんど全ての時間をアプリの麻雀対戦に費やした人、いろんな人がいた。ちなみに麻雀をやった人は、本当に一瞬だけセックスをした。せっかくだからね、という謎の合意がそこにあって、そんな形の関係性もあるなと笑ってしまった。ただ、どのセックスもどの出会いも平等に、愛の一つだと思った。ただお互いに欲をぶつけあっただけだと思った夜は一つもなかった。
その日マッチングした男は、「レイ」と呼んでほしいと言った。あたしは、その時目に入った色を言うことにしている。
「じゃあ、あたしはミドリ」
「じゃあ?」
「そう。じゃあ、ミドリ」
「わかった」
レイは、一度は聞き返しても、最後に「わかった」という。それは物分かりがいいとか、諦めているとかじゃなくて、ほんとうに「わかっ」ているのだと思う。
勢いをつけるためだけの酒を飲みに、格安の居酒屋チェーンに入る。平日の、まだ夕方の時間帯だから店内は空いている。お互いにビールを煽る。そういえば精進落としの席でも瓶ビール一本開けてきたんだっけ。
「ミドリは、その、それ、喪服だよね」
「あ、そうだよ。ネックレスとるわ」
「だれかの葬式にでも行ってきたの?」
「そう。大好きな、おばあちゃんの葬式」
「そう」
レイは、ご愁傷様ですとも言わなかったし、なんでまた、とか薄っぺらい疑問も吐き出さなかった。ただ、わかりもしなかったらしく、「わかった」とも言わなかった。ただだまって、ビールを一口飲んだ。
外したネックレスを眺めていたら、また無性に腹が立ってきた。どこから湧き出てくるのかわからない、怒りのような、悲しみのような、欲のような、ただの空腹のような、ドロリとしたもの。ビールジョッキが割れそうなくらい握りしめていたら、それはすぐにバレた。
「ぼくには何もわからないけれど、とりあえずホテルに行かない?」
レイはやっぱり、わかったときにだけ「わかった」という人だった。
会計を呼ぶ前に、無言で卓上の塩をあたしにふりかけてきたとき、思わず大きな声で笑ってしまった。そのときあたしは、五日ぶりに大きな声で笑ったことを思い出した。
「その塩、除霊に効くんかな?」
居酒屋から一番近いホテルの、これまた一番安い部屋が空いていた。ラブホテルにいる人間たちのうち、どのくらいが交際しているというステータスなんだろうか。おそらく交際している二人ないしは三人の方が少ないだろう。なのに、こういうときにはいつも彼女のふりをしてしまう。誰に対しての気遣いだかわからず、そんな自分を自分で眺めておかしくなる。
レイは手慣れた感じではなかったが、その温もりがなんだかグッときてしまって、あたしは勝手になんども果ててしまった。それを咎めることもなく、息を大きく吸って吐くあたしの髪をそっと撫でた。なんどもなんども、あたしが果てた数以上に撫でた。そして一度だけ聞いた。
「どうして今日、僕と会おうと思ったの?」
「葬式があるとね、セックスしたくなるの。よくわからないけど、たまらなくなって」
「わかった」
やっぱり、こういうときの「わかった」は本当にわかっているのだな、と目の奥まで見つめて思う。レイの瞳の中の自分と目が合う。
「ごめんね」
意味はないのに、思いだけこもったごめんね、が口をついて出た。
「謝る必要はない、絶対に」
いたたまれなくなって目を背けたら、床に脱ぎ捨てられた下着が目に入る。
その下から、黒いドロドロとした液体が出口に向かって出ていった。あたしの心の中にいた何かの正体を見たのかもしれない。そうしたらまた、意味はないのに思いだけこもった涙が出てきた。
「ごめんね」
「わかったよ。わかってるから」
(了)
わかった やまこし @yamako_shi
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