落ちこぼれ悪役令嬢、辺境の地で覚醒する~冷徹公爵令嬢、荒廃領地を立て直し、いつの間にか溺愛されてました?~
藤宮かすみ
第1話
「お帰りなさいませ、お嬢様」
馬車の扉を開け放たれた先、見慣れたはずの館の入り口に立つ老いた執事、セバスチャンの声に、エミリア・ロゼンクロイツは安堵とも脱力ともつかない息をついた。王都を出て数日。慣れない馬車の揺れと、それ以上に心の消耗が、全身を疲弊させていた。
「ただいま、セバスチャン」
掠れた声で応じると、セバスチャンは変わらぬ丁寧な所作で一礼した。彼の変わらない姿だけが、この世界で唯一、自分を受け入れてくれるもののような気がして、エミリアは胸の奥が締め付けられるのを感じた。
数日前、エミリアは王都で華やかな生活を送る公爵令嬢だった。王太子アルフレッド殿下の婚約者として、将来の王妃候補と目され、多くの羨望と嫉妬の視線を集めていた。しかし、それは全て偽りの姿だった。
学園の卒業パーティでの出来事を思い出し、エミリアは奥歯を噛み締める。地味で目立たない伯爵令嬢、リリアン・シュワルツ。彼女がアルフレッド殿下に寄り添い、涙ながらにエミリアの「悪行」を告発したのだ。曰く、リリアンへの陰湿ないじめ、王太子への不敬な態度、そして何よりも許しがたいことに、国外の勢力との内通疑惑。
身に覚えのないことばかりだったが、アルフレッド殿下はリリアンの言葉を鵜呑みにし、証拠と称して突きつけられた捏造された手紙や証言により、エミリアは公衆の面前で婚約破棄を突きつけられ、「悪役令嬢」としてこの国から追放されることを言い渡されたのだ。
反論する機会すら与えられず、ただ罵詈雑言を浴びせられた。あの時の、アルフレッド殿下の冷たい視線、リリアンの勝ち誇ったような顔、そして周囲の貴族たちの嘲笑が、今も脳裏に焼き付いている。
「もう、王都には戻りたくない…」
小さく呟いたエミリアの言葉は、セバスチャンに届いていたかどうか。彼は何も言わず、ただエミリアの荷物を受け取った。
館の中も、王都の邸宅のような華やかさはなく、質素でどこか寂しい雰囲気が漂っていた。以前はもっと活気があったはずだが、記憶にある風景とは少し違っているような気がした。
「お父様は?」
「旦那様は、奥の間に。しかし、最近は床に伏せられている日が多く…」
セバスチャンの言葉に、エミリアは眉をひそめた。父であるロゼンクロイツ伯爵は、以前から体が丈夫ではなかったが、そこまでひどい状態だとは聞いていなかった。
父との再会は、エミリアの予想以上に痛ましいものだった。痩せ細り、生気を失った父は、以前の威厳ある姿とは似ても似つかなかった。
「エミリア…無事だったか…」
掠れた声で絞り出された言葉に、エミリアは思わず父の手を握った。冷たく、骨ばった手に、父がどれほど苦しんでいるのかが伝わってきた。
「お父様…私です、エミリアです」
「大きくなったな…」
父は、まるで幼い頃のエミリアを見ているかのような目で、優しく微笑んだ。その微笑みに、エミリアは涙が込み上げてくるのを抑えきれなかった。
父は病に伏せ、領地の運営は滞っているという。さらに、セバスチャンの話を聞くにつけ、領地の状況はエミリアの想像以上に深刻であることがわかった。
「凶作が続いております。気候が不安定で、作物が十分に育たず、領民の暮らしは困窮しております」
「それに、隣国であるルーメン王国との小競り合いも頻繁に…国境付近の村では、不安が広がっています」
セバスチャンの言葉に、エミリアは愕然とした。王都での華やかな生活の裏で、故郷がこれほどまでに苦しんでいたとは、全く知らなかったのだ。
「どうして、もっと早く教えてくださらなかったのですか?」
「旦那様は、お嬢様に心配をかけまいと…それに、王都でのご活躍を聞くにつけ、この辺境の地の苦境など、些細なことだとお考えになられたようで…」
セバスチャンの言葉に、エミリアは胸が締め付けられた。自分は王都で浮かれ騒いでいた間に、父は病と闘い、領民は飢えに苦しんでいたのか。
「私に、一体何ができるというの…」
絶望が再びエミリアを襲った。王都では「悪役令嬢」と罵られ追放され、故郷に戻れば、自分にはどうすることもできないほどの深刻な問題が山積している。自分は、どこにも居場所がない、無力な存在なのだと、エミリアは改めて痛感した。
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