リリィと奇妙な幼馴染〜当然の価値観で孤児を召し抱えようとした王女様を添えて〜

徘徊

第1話

 リリィは王都の歓楽街を、身体強化を駆使した異常な速度の早足で歩いていた。


 如何わしいお店とそのスカウトが蔓延る歓楽街も、自らの出身でもある貧困街も、どちらもあまり好きではなかったが、自らの住まいとしている宿から目的地へ向かおうとすると、どちらかを通らなくては凄まじい遠回りをしなくてはいけなかった。


 どちらかを通るなら貧困街よりは歓楽街だろう。


 最近、王都に繋がる街道を占拠した魔物の群れの問題を解決して、最年少D級昇級を勝ち取った新進気鋭の冒険者という評価をされているリリィでも、貧困街を歩くのは敬遠する程度には危険、というのが王都の貧困街で、そんな場所の孤児院でリリィは育った。


 リリィにはそこで共に育った二人の幼馴染がいる。


 二人ともリリィよりも三つ歳下の男の子で、一人はリリィが幼い頃にお世話をしてあげた弟のような存在だ。


 大体六歳になった頃、リリィは幼い子供達のお世話係に立候補した。


 理由は単純で、孤児院の院長の事が大好きだったリリィは、彼女の手伝いをしたかったのだ。


 だが、そのお陰で今も姉弟のように付き合っている幼馴染と、そしてもう一人、リリィが運命と信じてやまない彼と出会った。


 リリィが運命の相手と初めて喋った時は、お世話をしていたもう一人の幼馴染が、魔法の天才だとわかってすぐの話だった。


 孤児院の裏庭で、三歳にして数々の炎の球と水の球を操って踊らせ、御伽話の魔法使いのように幻想的に魔法を使ってみせた無垢の天才が、リリィがお世話をしている子供だった。


 天才幼児が翌日になると急に、同い年の男児に魔法を教わったんだ、と言って彼と話したがったのだ。


 その話に興味を持ったリリィが着いていって、そこで初めて喋ったのがキッカケだった。


 最初の頃は本当に最低で嫌な奴だとリリィは思っていた。


 三歳のガキの癖に、お世話掛りも付けずに一人で生活している異常な幼児で、話しかけても徹底的に無視してくるわ、偶に口を開けば、三歳児が言った言葉でなければ正論っぽい理論で反論してくるわで、言い負かされ続けて本当に大嫌いだった。


 一度彼に、なぜ私に対してそんなに偉そうなのか、と聞いたら、テメェが偉そうだからだろ、と言い返されて、素直に納得してしまった。


 その頃のリリィは、貴族のお嬢様に間違って憧れてしまい、謎の上から目線で話すようにしていたから、心当たりが有りまくりだったのだ。


 だからリリィはすぐに謝った。自分にも魔法を教えて欲しい、と言う打算がそこにあった事は否めない。


 するとその男児は本当に最低で嫌な奴から、普通に嫌な奴位まで態度を軟化させた。


 案外良い奴かも、とその時は思ったが、それが最初の内に余りに酷い態度を取られ続けていた落差による幻想で、普通に嫌な奴の態度だと幻想が解けるまでに二日ほど掛かった。


 ちなみにリリィは幼馴染達のように自在に魔法を使う事は出来なかったが、運命の彼からは身体強化の魔法を教えて貰う事が出来た。


 それが今のリリィの冒険者としての活躍を支えているのは言うまでも無い。


 後になって振り返れば幾つか、幼馴染への愛を深める出来事があったが、愛はこの頃から既に全て彼だけに向けられていた、と自信を持って言い切る事がリリィには出来た。

 

 そして今のリリィにとっては、一刻も早く目的地へ、あの冷たい幼馴染の元へ辿り着く事が、至上の命題だった。


 それは今日の朝、定宿にしている宿屋で朝食を摂っている時に急に現れた、最近やけに絡んでくる冒険者仲間の男が教えてくれた情報が原因だった。


 ――幼馴染だって言ってたあの錬金術店、最近はずっと閉まってたけど、今日は開いてるみたいだよ。


 その言葉を聞いた瞬間、返事をする事も無く瞬時に身体強化の魔法を起動させたリリィは、前日の長引いたクエストで、遅い時間に食べていた朝食を目にも止まらぬ速さでカウンターにいた主人に返却して、風のような早歩きで部屋に戻って出かける準備をし始めた。


 リリィが消えると、その場に残された冒険者の男と宿屋の主人は、顔を見合わせてお互いに首を横に振った。


 部屋に戻ったリリィは猛スピードで髪を巻き、化粧をしながら、微笑むような笑顔の練習をした。


 身体強化の魔法を使って化粧をしているので、化粧をするリリィの手が残像を生んでいる。


 もう十四日と十時間四十三分三十二秒も会っていないあの幼馴染にこれから会えると思うと、リリィの顔は花のように綻び、心は期待でどうしようもなく跳ねた。


 よし、今日も私は可愛い。リリィはそう心に言い聞かせると、普段着を脱ぎ捨てベッドに放り投げる。


 そして王都中で大流行しているハスハ商会の花柄の生地のワンピースに着がえると、幼馴染が自分の為に作ってくれたローブを羽織り、身体強化も使用したまま部屋を出て入り口に向かい、階下の食堂でリリィに声を掛けたそうにしている冒険者の男には目もくれず、凄まじい速度を一切落とす事無く扉を開き、風の様に宿屋を飛び出した。


 こうしてリリィは身体強化を駆使した驚異的な速さの早歩きで、宿屋を出てから歓楽街をあっという間に通り抜け、貧困街と歓楽街の境目に幼馴染が開いた錬金術店を目指した。


 


 同じ孤児院でずっと一緒に育ってきた運命の彼が、十二歳の頃に加入してしまった暴力を生業としているギャングを抜けて、自らの錬金術の技術を売る為の店舗を開いた時、リリィは本当に嬉しかった。


 本当に小さい頃から良く知っているのに、未だにどんな事が出来るのか良くわからない程度には底の見えない彼の能力は、ギャングなんかに収まる器ではないと彼に関わる人間の誰もが信じていたし、何よりも暴力を生業としてしまって会う度に荒んでいく、言動や態度とは裏腹な心優しい幼馴染を見ているのが辛かったからだ。


 それに加えてリリィにとって何よりも大事な事だったのは、『幼馴染が経営する店舗があるから、そこに行けば必ず幼馴染に会える』と言う事だった。


 これは、今まで自宅とされている場所には何故かいつも居ない幼馴染に会う為に、夜な夜な貧困街やもう一人の幼馴染の場所などを訪問して探し回っていたリリィにとっては、心の底から神様に感謝出来る位、革命的で素敵な変化だった。


 その幼馴染の店は開店して暫くはちゃんと毎日営業していたし、彼が錬金術で作成して販売開始した洗髪料リンスという商品は、販売を開始してから暫くして女性を中心に空前の大人気になり、店舗の客足が途絶える事の無い程の人気商品になった。


 これは一般の市民にはもしもの時のポーション位しか馴染みの無い錬金術店としては異例の事態で、店番の若造の態度が悪いが全ての商品の品質が良いから困ったら行ってみると良い、と巷で評判になる程だった。


 ちなみに幼馴染しか店員の居ない店舗で、店番なんて人間は存在しないので、態度が悪いと言う評判は全て幼馴染の日頃の行いの賜物だった。


 彼の態度云々はさておき、リリィはその評価やお店に客が入っていく様子を、にまにまと微笑みながら見ていた。


 あの陰険で偏屈が故に誤解されやすく、その上に世間の評価なんて全く気にしていないという、ある種タチが悪いほどに飄々とした幼馴染が、ようやく世間に認められた事も、店舗に行けば毎日幼馴染に会える事も、どちらも嬉しかった。


 それにお客さんがピークの時なんかは、回り切らない店舗の手伝いとしてカウンターの中に入り、商品を魔法陣の上に一瞬かざすだけと言う誰でもできる仕事ではあったが、幼馴染と二人で一緒に働く事すら出来たのだ。


 彼の城とも言える錬金術店のカウンターの中に入った事のある女性が自分だけだと知っていたリリィは、彼の経営する錬金術店の客足を二人で協力して捌くなんて、そんなのもはや結婚じゃないか、と心を躍らせたし、彼とのあんな事やこんな事まで妄想して子供は二人がいいなぁ、なんて鼻息を荒げた。


 客足が絶えないので忙しくしている日々の中で、何故かみるみる機嫌を悪くしていった幼馴染は、それに比例するように店を開けない日がどんどん増えていった。


 求められているのに閉めている日ばかりだから、開けた時は反動で凄まじく忙しくなる。


 忙しいだけではなく客層の八割が女性だった事も、相手が女性と言うだけで異常な警戒心でもって心の扉を閉めてしまう幼馴染の機嫌を損ねる理由だったかもしれない。


 とにかくそうして幼馴染はまたも機嫌を損ねて、尚更に店を閉める日が増えていった。


 商品が買えない!と客が騒ぎ出すまであまり時間は掛からなかった。


 王都の女性の美に賭ける熱量は、彼が店を閉めようが収まるものでは無く、店の郵便受けには客からの嘆願書や署名の束が届くようになっていた。


 それでも幼馴染は頑なに店を開ける事なく、姿を眩ましたままだった。


 このままでは暴動が起きると本気でリリィは心配したが、幼馴染が店を閉めて暫くするとハスハ商会が洗髪料リンスの開発に成功して、そちらの方で安く販売され始めた。


 女性が暴動を起こす心配は無くなったのだが、リリィは幼馴染の功績がハスハ商会に取られた気がしてモヤモヤしたし、騒ぎが沈静化してからも幼馴染はお店を閉めたままにする事が多くなってしまっていた。


 そんな彼が十四日ぶりに店を開けた今日は、リリィにとって十四日と十時間四十七分二秒も会っていない幼馴染に、やっと会いに行けると言う記念すべき素敵な一日になるはずだった。


 しかしリリィにとって待ちに待ったそんな日に限って、通りの遠くに見える幼馴染の錬金術店の前には、いかにも高級そうな真っ白い馬車が止まっているのだった。


 その馬車に座っている御者は、御者服を丁寧に着こなしまっすぐに背筋を伸ばしたまま前を向き御者席に鎮座しており、全身で私は上級貴族の従者です、と主張していた。


 それは幼馴染を良く知るリリィにとっても、初めて見る光景だった。


 訝しげな視線を向けながらとてつもない速度の早歩きで馬車に近づいていったリリィは、その近くでお店に正面から入るのか裏口から入るか一瞬だけ迷った。


 正面の入り口の前にはほとんど隙間なく馬車が鎮座しており、上級貴族様のお買い物の為に中に人が入らないようにしているように感じたリリィは裏口に回る事にした。


 リリィは歩きながら、幼馴染の店に高貴な方が何の為に来ているのか、と疑問に思った。


 そこで洗髪料の効果を思い出して、出かけてくる前に巻いた自らの髪を撫でて、そして心の底から納得した。


 幼馴染のお店『エルメス錬金術店』では洗髪料はハスハ商会より高価な値段で販売されているが、効能はハスハ商会よりも良いし、綺麗なガラス細工の入れ物で売っている。


 きっとその辺りが原因でこっちに来たのだろう。


 洗髪料を買う為にわざわざ馬車で入り口を塞いで人払いするなんて、貴族のお嬢様も大変だなぁ、と考えた所で、幼馴染が高慢な貴族のお嬢様に対してブチギレている姿が、リリィの頭をよぎった。


 想像して思わず血の気が引いた。


 あの幼馴染は三歳の頃には既に上から物を言われるのが大嫌いという筋金入りの捻くれ者で、自らが年上でお姉さんであると言う自負を持って幼馴染と接してきたリリィとは、それが原因で何度か喧嘩をしていた。


 そんな幼馴染が上級貴族のお嬢様と関わってしまえば、何が起きるかわからなかった。


 リリィは慌てて入り口を通り過ぎ、角を曲がり細い通りに入った。


 幼馴染の錬金術店の壁に手を当てながら少し進むと、壁に見えるのに手が飲み込まれる部分を見つけた。


 この現象は最近起き始めた現象で、幼馴染の仕業なのは聞いて知っていたが、視界と実際が整合しない状況に、リリィは未だ慣れていなかった。


 壁に見えている通路の幅を手で確認しながら、壁をすり抜けて通路を進むと裏口が見えてくる。ここまで来てしまえば、もう何度も裏口から入っているので慣れた物である。


 幼馴染が中にいる時は、裏口の鍵は開いている。例え閉まっていたとしても身体強化を使っているリリィの力なら鍵ごと扉を引きちぎれるので関係ない。


 リリィは貴族と揉めてしまう幼馴染を想像して、急いで鍵の掛かっていない裏口の扉を開けて店内に入った。



 

 リリィが裏口から廊下を進んで店内、カウンターの内側に出ると、視界に広がる店内、そのカウンターの中にいる愛しの幼馴染の後ろ姿が見えてきた。


 その視線の先には、まるで天使のように美しい美少女が腕を組んで、小さな体を精一杯大きく見せるかのように胸を張りながら立っており、その後ろにはこれまた恐ろしく美人で切長の瞳が印象的な侍女が目を伏せながら付き従っていた。


 三人にはリリィに気付いた様子は無い。と言っても、今までの経験上、この幼馴染は確実に気付いているはずだが。


 リリィがざっと室内の様子を把握し終えてから、もう一度眺め始めた幼馴染の後ろ姿に、濃紺の癖っ毛についた寝癖で跳ねた一房の髪の毛を見つける。


 可愛いなぁ、なんて呑気な事を思っていたら、美少女がイラついた様子で口を開いた。


「もう一度言うぞ。妾はミドガルドアルド王国第七王女、シャールロッテ・マゴストラスト=ミドガルドアルトである。


 これ、大事じゃぞ?王女じゃ。この国の。


 よくわかったか?その上でもう一度申し伝えるぞ。其方を召し上げ、妾専属の錬金術師として活動させる事にした」


 リリィは美少女の口から出てきたとんでもない名前に驚愕しながら、幼馴染がそんな殿上人に能力を認められた事の喜びを感じた。


 幼馴染の事を良く知るリリィからしたら、それも当然の事だと思えたが、それが一般的にはとんでもない成功物語な事も、同時にきちんと理解していた。


 貧困街で生まれた一人の孤児が、錬金術を修め、その腕前で国の王女様に召し抱えられる。吟遊詩人が好きそうな成功物語だ。


 そして私はそんな王女付きの錬金術師の奥様になるのだ、とリリィがうんうんと頷いていると、幼馴染が長い溜息を付いた。


 それはリリィが何度も聞かされてきた溜息だった。


 その場の空気が溜息の続いた分だけ凍りついていき、それと同じだけ自分の顔面から血の気が引いていくのがリリィにはわかった。


 永遠のような一瞬で溜息を吐き終えた幼馴染が口を開いた。

 

「断る。帰」


「ちょおぉぉぉ待ってブルー!なんで断るのよぉぉぉぉお、お、王女様王女様、本当にすみません。


 こいつ本当にバカなんで敬語も使えないんです。どうか、どうか処刑だけはお許し下さいぃぃぃ」


 バカな幼馴染ブルーが全てを言い終える前にリリィが叫びながらすごい速さで割り込み、王女に謝る。


 それ自体が不敬であると言う事には思い至れなかった。突然の闖入者に王女が驚いて目を見張るが、ブルーはちらりとリリィを見やるだけで全く驚いていない。やはり気付いていたのだろう。


 ブルーはそのまま王女様に向き直ると、今度はリリィが聞いた事のないとても丁寧な口調で王女に対して話し始めた。


「お久しぶりにお目に掛かります。浅学な孤児故に作法の無知をお許し下さい。ファッキン王女殿下におかれましてはご機嫌も麗しゅう」


 優雅な仕草で立礼を披露してペラペラと喋り出すブルー。こいつはいつそんな儀礼を身につけたのだろうか、ふと幼馴染の来歴を思い出して不思議に思ったリリィの思考とその幼馴染の発言を遮り、王女が鷹揚に喋り出す。


「ふぁっきん?まぁただ確かに、召し抱えたクソ孤児が口の聞き方も知らないバカではないのがわかって、妾はご機嫌じゃ」


 空気に比してかなり陽気に響いた王女のその発言の後は、誰も何も喋らない空間だけがその場を支配する。


 リリィが沈黙に耐えられなくなって幼馴染の顔を覗き見るが、ブルーは無言のまま感情の読めない顔で王女を眺めているだけだった。


「何故、断るのだ?戸籍も持っていなかった孤児の立身出世としては申し分ないと思うが」


 幼馴染と同じくらいだろうか、リリィより少し年下であろう王女がそれまで顔面に貼り付けていた笑顔の仮面を脱ぎ捨てて、自らが上位であるのに、というイラつきを隠さずに上から目線でブルーに問いかける。


 イラついている王女に、リリィは心の中で、その上から目線は彼の地雷なんだ、勘弁してくれ、と苦情を言いながらも、その問いかけの内容自体は、リリィとしても気になっていた部分だった。


 そっとブルーの表情を盗み見ると、ブルーは口だけで嗤っていた。


「……アンタみたいに孤児だからなんて理由で人を見下しているクソ人間の誘いを断るのに、理由が必要かい?」


 しばらくの沈黙の後に、イラついている王女を嘲笑うようにブルーがニヤニヤしながら答える。


 その答えにメイドがピクリと肩を揺らすと、部屋の空気がより一層張り詰めた。リリィは心がはち切れてしまいそうな程の緊張感を感じた。


 王家の人間と会うだけでも一般市民のリリィには荷が重いと言うのに、隣の幼馴染にはそんな事など関係無いようで、なんて言うか、もう、ヤバい。


 リリィは白目を剥いて気絶してしまいたい位追い詰められていたが、このままでは愛する幼馴染が不敬罪で処刑されてしまいそうで、安易に気絶する事も出来ない状況になってしまっていた。


「見下す?孤児が王族と対等だとでも言いたいのか?」


 勝気で強気な態度を崩さない王女が、自らの優位を主張しながらブルーに問いかける。


「その発言がセンスないんだよねぇ」


 が、ブルーはまるで相手にしていない。


「下々の戯言を優しく聞いてやるのも上に立つ者の仕事じゃ、続けろ。


 ただし、あまりにも不敬な発言の数々。己の言葉が少しでも筋を違えれば命の保障はせぬからな」


 ブルーが右手を左腕の裾に突っ込んで舐めた態度で口にした返事に、全くイラつきを隠さなくなった王女が荒い口調で告げる。


 メイドがブルーの怪しく見える動きに反応して一歩前に出て来る。部屋の空気はドンドンと張り詰めていく一方で、リリィは元凶であるメイドの目を真っ直ぐ見つめた。


 ピリつくなんて物では無いその場の空気を美味しそうに吸い込んだブルーが、そのまま楽しそうに話し始める。


「センス抜群の俺様が、俺達が平等だって事、よぉく噛み砕いて教えて差し上げよう。アンタさぁ」


 ブルーが王女の事を再度アンタと呼んだ瞬間に、一瞬だけメイドがブルーを見つめる視線にハッキリとした殺意が混じった。


 リリィはちゃんとそれに気付けた自分を褒めてやりたかった。


 いつの間にかブルーが裾から取り出していた右手には、手に収まるほどの金属製の棒が握られている。


 ブルーが作成したらしい他では見た事もない不思議な形の魔道具で、液体を煙にして吸引する魔道具との事だった。


 煙を吸うその姿に嫌悪感があるから私の前で吸うのはやめろと、あれだけ言ったのに、とリリィは密かに憤慨した。


 メイドが不審な棒を見て、警戒の為に王女のすぐ後ろまで近づいてきている。


「神様って信じる?」


 友達に聞くような気軽さで王女に話しかけるブルーが、口元に棒を持って行く。その腕をリリィが掴んで止めた。


「当然だ。我がミドガルドアルド王家は創世神より王権を授けられておる」


 王女の返事を聞きながらブルーが左手でリリィに触れてくれる。おそらく放せ、と言いたいのだとリリィは悟ったが、わからないふりをしてその腕に自分の手を重ねた。


 不安だった。


 リリィは今でも創世教の敬虔な信者だ。


 創世教では創世神様が、光と闇を生み出して世界を作り、そして人間を生み出した、とされている。


 そして、神界から慈悲の心、つまり私達を見守って下さっている、と言う教義が主流で、リリィもある時期までそれをずっと信じていた。


 しかし自らの宗教観が少し変わってしまった出来事がある。


 六年ほど前の話になるが、ブルーを教会へ誘った事があるのだ。創世教の神様は世界を作った偉い神様だよ、と誘った。


 迂闊だったと、今は後悔している。


 あんなに飄々としていて、休息日にお祈りにも行かないブルーの中に、確固たる神とは何か、なんて言う論理が存在するとは思ってもいなかったのだ。


 それからしばらくはブルーと会う度に、神とは何か、という題材で喧嘩に近い大激論を交わしたのだ。


 大きく纏めるとブルーの主張は『神に人格や意思などあろう筈がない』と言う話で、それに対してリリィは『創世神様はその慈悲の心で持って私達を見守って下さっている』と主張した。


 お互いにそれを曲げずに大喧嘩になったのだ。


 ブルーの話は難しすぎて、もうあまり覚えていないが、ブルーは神に人格や意思などない根拠として、沢山の話をしてきた。


 そしてリリィが反論で神様の所業として話した事はただの眉唾の物語か、自然現象の一つだ、と懇々とリリィに浴びせ聞かせてきた。


 そんな話を幼馴染に散々に聞かされたリリィも、今では神様に人格は無いと思っている。


 それでも創世教の信者でいるのは、ブルーも世界を創った神様の事を信じているようだからだ。それ以外に理由など無い。


 話を現在に戻して、王女とブルーの今までの会話を考えると、ブルーはあの時と同じ位、過激な話も余裕でするだろうとリリィは思った。


 そう思うと、また顔から血の気が引いていった。


 ましてや今までの王女の発言に依れば、創世神様が意思を持って王権を渡しているし、それを根拠にブルーの事を見下して彼の意志を曲げようとしている。


 それに王女は可愛らしい女性だ。


 状況を見れば、はっきりとブルーの性格に埋め込まれた地雷を何個も一気に踏み抜いている。


 そうなると話が過激、程度で済めばいい方で、ブルーの性格を考えれば、身分など関係も無く果てしない悪口で罵倒し尽くす事だって十分に考えられた。


 事態がとっくにコントロール出来る範囲を超えている、という事実に気付いてリリィは唖然とした。


 そしてそれに気付いたリリィは、即座に開き直って全てを諦めて、凄く久しぶりに触れているブルーの感触を楽しむ事に決めた。


 リリィが無言でブルーの腕をモミモミし始めると、腕の持ち主が王女の言葉に言い返し始めた。


「故に我は生まれながらにして特別である、ってね。創世神、この世界を作りたもうた神様が、ねぇ。


 ま、どちらにしてもアンタは今、王家の血を根拠に自らを優位であるとした。それがキモいってわからないのがセンスないんだよね。


 生まれながらにある物は不平等だけだ。


 それは優劣じゃない。


 ましてやその不平等を根拠に無条件で人に言うことを聞かそうだなんて、人間が小さい、趣味が悪い。そんな奴に従えだなんて片腹痛いね」


 孤児にこれ程に舐めた口を叩かれるとは、毛ほども思っていなかったらしい王女が、目を丸くしている。


「それにさぁ、王家は神に選ばれた、ってそれマジ?仮に本当だとしても、いやごめん、本当だよねグフフ。神様に選ばれましたって言われたらソンケーするけどさっ」


 声音がニヤニヤと笑っているブルー。嫌な予感がしたリリィが腕に力を込めてブルーを静止しようとした瞬間に、ブルーが口を開く。

 

「選ばれたのはアンタの先祖であって、アンタじゃねぇのよ」


 そうブルーが告げると、慌てて王女が反論しようとした。


「そんな事はないっ!創世神様は」


「じゃあ創世神様は、ここで貴女を殺したらお怒りになるのかな?」


 自らの発言に激昂する王女の言葉を遮ると言う、不敬の重ね技を披露しながら、口にするだけで不敬な凄まじい仮定の話を、似合わない気軽さで口にするブルー。


 部屋の空気は言うまでもなく最悪だった。


 リリィは、倒れないで済んでいる私じゃないとブルーの奥様は務まらないんだから、と開き直って心を奮い立たせた。


「きっとお怒りになって頂けると信じておる」


 王女がブルーの仮定に対して、何も気にしていない風を装って答えた。


 リリィはその返事を聞いて、自らの過去と王女様の現状を照らし合わせながら、同情を隠せなかった。


 ブルーと言い合いをしている時にきっと、なんていう曖昧な言葉で言い返してはいけない、と言うのはリリィが十三年掛けて何度も学んできた事だった。


 リリィはそれとなくメイドの表情を伺う。一見動いていないように見えるが、それは何を考えているか分からない、と言うだけで内心が穏やかでないのは足先や指先の所作で見て取れた。


「ふぅーん、どぉいう風にお怒りになるわけぇ?」


 上辺だけは優しい語尾が伸びたような粘っこい声音で、王女に気軽に問いかけるブルー。


 リリィにはその声音がまるで蜘蛛の糸の様に空間に張り巡らされた何かに思えて、元々最悪だった部屋の空気は、より重くて、粘度があって、呼吸がし辛い物に変わってしまったように感じた。


 王女が言葉に詰まりながらも何とか反論を重ねる。


「き、貴様に天誅が降るぞっ」


 王女の答えに冷笑を浮かべたブルーが鼻で嗤う。


「天誅って?何?具体的には?」


「神の怒りじゃ。貴様も一度くらいは見たことがあろう!天から降り注ぐ炎の矢を」


 あ、それダメ。


 リリィは過去の自分をハッキリと思い出した。


 神様はいるんだよってブルーに教えてあげようと思ってしまって、迂闊に喋り始めて物凄い喧嘩になったあの日の事だ。


「えぇ、何?もしかしてただの電子の移動を神様だと思っちゃってる人?その程度なら俺に物言うのやめてくれる?」


 リリィが神様の実在の証明を雷に頼ろうとした際と、同じ言葉で王女を煽るブルー。


 これの事だろ?そう言いながらリリィの手を振り解き、ブルーがカウンター越しの王女の見やすい位置に右手の親指と人差し指を差し出す。途端にパチィッと音が鳴り、ブルーの差し出した指の間で小さな神の怒りが再現された。


 ガタッと音を立てて後ろに下がる王女と、王女とブルーの間に割って入るメイド。


 慌てふためいている二人を見てリリィはつい微笑ましく思ってしまった。過去の自分を思い出したのだ。私にも、いちいちブルーのする事に驚いていた時期があったな、と。


 リリィはブルーが無詠唱で魔法を使う事は見慣れていたが、今の魔法自体は初めて見る物だった。

 

 身体強化以外の魔法が得意ではない為、魔法にはあまり詳しくないリリィだが、神の怒りとされているそれが、こんな風に無詠唱で簡単に披露されるような物では無い事は、なんとなくだけど分かった。


 ちなみにリリィがそれの事を神の発露だと言った時は、それが雷と呼ばれる自然現象だと言う事をコンコンと説明されたのだが。


「この程度が神だとか抜かす愚物が俺を使う?何様なわけ?」


 今、ブルーが吐き捨てたのは、感情の抑揚のない冷たい言葉だった。


「き、貴様ぁっ。あ、怪しげなっ!貴様の様な邪教徒のぉ」


 初めの頃の強気な態度はどこかへ消え失せて、慌てふためいてしまっている王女。


 小さな女の子が好きなリリィは、王女様の可愛い一面を見れてほっこりした。


 いや、ほっこりした、と自分に言い聞かせて不敬罪を働いている幼馴染から現実逃避をしていた。


「ふふっ。俺が邪教徒か。


 それはちょっと予想してなかったなぁ。だけどさぁ、アンタの言う神って、邪神なんてそんな偽もんが現れちゃう程度な存在な訳?


 よく考えてみろよ。神だぞ?アンタの言う神って創世の神なんだろ?奇遇だよな、俺がしたい神さんの話も、この世界を作りたもうた神の話なのさ」


 邪教徒扱いしたブルーに神の偉大さを説かれて言葉に詰まってしまう王女。それに迷わず追撃を仕掛けるブルー。


「アンタが創世の神から王権貰ったって言うから、こっちはわざわざ噛み砕いて話してんだ。存在しない邪神なんて作り出して、神を貶めるのも良い加減にしろよ。クソ背信者が」


「なっ!」


 王女の大きく見開いた目にうっすらと涙が溜まり始める。それを見たリリィは、王女様は蝶よ花よと育てられてきて、きっと今まで口喧嘩なんてしたことがないんだろうな、と感じて、王女が可哀想になった。


 そんな王女の涙など意にも介さずに早口で捲し立て始めるブルー。


「そんな邪教だとか、中途半端な神の話にゃ興味ないって事。で?もう一回聞こうか。


 仮に今ここであんたを殺すと、ここに神の怒りが降り注ぐのか?そんな都合のいい事、今までに起きたのか?神様に王権を授けられた王家が神に守られているなら、この前、国家反逆罪で指名手配が掛かった連中には神罰が降ったのか?


 はるか昔の侵略戦争の時ですら帝国を追い払ったのは、勇者の遺産だ。神じゃない。神の奇跡を感じた事があるか?神話の話とかそんなんじゃねぇ。信頼のおける観測の結果だけを喋れ」


 神を観測するなんて相変わらず不敬だなぁ、とリリィが思いながら、王女の方を見ると、王女は何も応えられず黙り込んで俯いてしまっていた。


 悔しさを堪える王女のその姿は、整った顔立ちや、身に付けている品物の流麗さと相まって最高に可愛いかった。


 リリィには最初にお店に入った時に王女に感じた緊張感など、もう微塵もなかった。どうとでもなれ、と思っていたから。


 ブルーは先程までの激しさとは打って変わって、穏やかに話を再開させる。


「そう、誰も見たことがないんだ。神の起こす奇跡なんてのは、普通は神話の中でしか語られない。


 そして神様に現実的に何かして貰った人間なんていうのも現代には居ない。この王都で神を見たなんて宣ってる奴は大体が脳味噌お花畑な連中さ。


 じゃあ神は居ないのか?死んでしまった?果たして死を迎えるような有限の愚物を神と呼べるのか?いや、呼べない」


 この場にいる人間はブルー以外誰も喋らなかった。


 リリィはまた始まった、と呆れていたし、王女とメイドは、なんだか奇妙な物を見る目でブルーを見ているだけだ。そのブルーも王女に話している事など忘れたように部屋の中を歩き回りながら、虚空に向かって言葉を紡ぐ。


「では神は今もどこかにいるのか。いるのならば、魔素なんて都合のいい素粒子があるで、神話の中のように御力を発揮されないのは何故か。


 俺は神の存在を確定させる為に世界の真理を探ったんだ。なんでか分かるか?」


 急に問いかけられた王女はブルーには目を合わせなかった。


 リリィはずっとブルーを見つめているがずっと無視されている。


 誰も答えない質問の答えをブルーが話し始める。


「世界の真理を解き明かして、この世の中にある『奇跡』なんて巫山戯たモノを一つ一つ消していってしまえば、残った部分は紛れもない神の所業だからだ。


 俺は神の奇跡だなんて呼ばれる物は何一つ残すつもりはなかった。全て、全てを否定してやろうと考えた。


 魔素がある世界で、奇跡の存在を否定していく事は始めるまでは不可能な事のように思えたが、そんなものはその魔素が齎すメリットに比べれば微々たる物だった。


 超出力を可能にする魔素と物の概念にまで手を加えられる魔法陣による実験と観測で、一つ一つ丁寧にほぼ全ての奇跡を潰し終えて、あることに気付いたんだ」


 くるりと振り返ったブルーの表情はリリィも何度かしか見た事がない本当に楽しそうな邪気のない笑顔だった。


「世界が、美しすぎる、って」


 その前の話は難しすぎて良くわからなかったが、最後にブルーが発したその言葉の明るい響き、まだ成人したてのブルーの年相応の曇りのない笑顔はリリィには変え難い宝物のように映った。


 基本的に感情を表に出さないブルーが、こうしてたまに見せる感情の発露がリリィは大好きだった。


 それと同時に強い不満を覚えた。私とのデートでもそれくらい笑ってくれてもいいじゃない、と言う思いを抑える事が出来なくて、ブルーを見つめる視線に力を込めた。


 そんなリリィの視界の端で、王女は何かを考えている表情でブルーを見つめていた。


の始まりも、本当に目に見えない程の極めて微少な空間の揺らぎだったはずだ。


 だがその極めて微少な揺らぎの、全てがほんの少し違うだけでこんな世界にはならなかった。


 ほとんどの場合で生物が生息できない地獄のような空間になるはずだったんだ。


 だが世界は水が水として存在できる環境をこの星に与えた。そんなまさしく奇跡と呼べるファインチューニングの結果、出来上がった、星、大気、水、大地、草木。


 人間原理という奴で済ませていい物なのか分からない程に、調べても調べても全てが完璧で、あまりにも美しすぎた。


 それを思い知らされた時、同時に気付いたんだ」

 

 世界の始まりや、その成れの果てをまるで見てきたかのように話すブルー。


 目を輝かせながら、大袈裟な身振り手振りを交えてよくわからない事を話す姿は、リリィからしたらいつも通りの光景だったが、王女がブルーに向ける眼差しは完全に狂人を見るそれに変わっていた。

  

「これこそが神の奇跡と呼ぶのに相応しいじゃないかって。俺は神を否定するためにずっと神を探っていたらしい。


 世界の真理とは神そのものであり、神とはつまり世界そのものなんだって」


 一通り話し終えたブルーが、しばらくの沈黙の後にふっと我に帰りいつもの無表情に戻る。


 先程までの興奮し切った様子が嘘のように落ち着き払った態度で、王女を見つめていた。


「そしてそんな世界の真理は世界の始まりから現在に至るまで寸分の狂いもなく、俺にも貴方のようなクソ小娘にも、そしてそこらに転がる石ころにすらも、遍く全ての人、物に平等に働いているのでした。


 以上、私と貴方が神の前で平等である証明とします。お帰り下さいファッキン王女様」


◆ ◆ ◆ 

 

「ねぇ、断ってよかったの?」


 王女様御一行が出ていった室内で何も喋らずに魔法陣を書き込んでいるブルーにリリィが話しかけた。


 普段だったら、魔法陣を弄っているブルーに話しかける事は禁忌中の禁忌だったが、わざわざここで書いている事や、その場の雰囲気から、ブルーもリリィに話しかけられる事を待っている気がした。 


「断るだろ普通」


 魔法陣から目を離さずにブルーが答える。本当に何とも思ってない風に答えられたので、リリィはちょっと驚いた。


「普通は受けるわよ。第七だろうが王女付きの錬金術師なんて、名前を上げるチャンスなんじゃないの?」


 ブルーの顔を上げさせたいリリィがわざと彼が好きそうな表現を使うと、その思惑通りにブルーはニヤけながら手を止め、顔を上げた。


「お前、ギリギリ王族相手に不敬だぞ」

 

 だがブルーのその返事に、リリィは理由を詳しく聞きたかった事も忘れて、つい言い返してしまった。


「あんたに言われたくないのよっ!あ!ん!た!に!」


「俺はちゃんと敬意払ってたって」


 ブルーが楽しそうな笑顔で言い返してくる。それだけでリリィは心が踊って自分の顔がニヤけるのがわかった。


「どこがよどこが!言ってみなさいよ」


 リリィが強気に尋ねると、ブルーが答えるように左のローブの裾に手を突っ込んだ。


 取り出した右手には頭の天辺に獣人の耳にも見える尖った膨らみが着いた、妙な形の毛糸の帽子が握られていて、それをブルーが被ると、帽子の右耳の部分から肩程まで伸びた紐に結ばれた丸の中に十字が走っている銀のレリーフ、ブルーが自らのシンボルとして好んで使うマークが揺れた。

 

「ちゃんと脱帽してた」


 いけしゃあしゃあとそう言い放ったブルーに何を言っていいのか分からず、リリィは口をパクパクさせる事しか出来なかった。

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リリィと奇妙な幼馴染〜当然の価値観で孤児を召し抱えようとした王女様を添えて〜 徘徊 @bida7313

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