第2話 出会い その2


 一度目を閉じて、しばしの沈黙を挟んで彼女は語った。


「母は、交通事故に遭いました。命は助かったんです。ただ……ただ、意識が戻らなくて」


「うん」


 震える彼女の手を握る。わたしは味方だと、安心してと。


「私の受験も終わって、一緒に暮らし始めたんです。母の再婚相手と、その連れ子と。みんなでごはんを食べに行った帰りです。突然車が突っ込んできて。…………母は私を押して、私の代わりに……」


 堪えきれずに涙が零れる。鼻を啜る音に嗚咽も混じる。……無感動の仮面で隠していたものが、溢れ出した。


 立花さんの手を握ったまま、わたしは立ち上がった。涙に濡れた顔で、立花さんがわたしを見る。机を回って立花さんの傍へ行く。


「あ……」


「大丈夫、大丈夫だからね。泣いていいんだよ」


 立花さんの頭を抱き抱える。わたしは立っているのに、座っている彼女の頭を胸に抱くには彼女に背を少しこごめてもらうほかなかった。


「がんばったね。もう、無理しなくていいんだよ」


 こんな言葉は気休めにしかならないかもしれない。当事者からすると、部外者からの不躾な軽いものかもしれない。それでも、彼女に伝えたかった。泣いてほしかった。


「ひっぐ、……ふぐ……おかぁ、さん……」


「……立花さん、あっち行こっか」


 部室の奥、窓際には畳が敷いてある。そこに場所を移す。そこなら、少しは楽な体勢になれるだろうから。


 畳の上で、彼女を再び抱きしめる。


「うぅ……あぁあ……」


「よーしよし。たっぷり泣いていいからね」

 

 しがみつくように立花さんはうずくまる。そうしてしばらくすると、規則的な呼吸音が聞こえてきた。寝息だ。


「話してくれてありがとね、立花さん」


 膝の上に彼女の頭を乗せて、彼女のさらさらな髪を撫でながら呟く。絹糸のように滑らかで、いつまでも触っていられるくらい手触りがいい。


 ……わたしになにができるだろうか。助けると、力になると決めて行動したのなら、そこには責任を持つべきだ。話を聞いて途中でほっぽりだすようなことはあってはならない。とはいえ、なかなかいい案も浮かばないものである。所詮わたしにできることなんて、今日のように彼女の話を聞いて相談に乗ることぐらいなのだろうか。


 遠く野球部のボールを打つ音にサッカー部の声援、吹奏楽部のバラバラな個人練の音色が聞こえる。それらの外界から切り離されたような静けさがこの部室にはあった。

 静かに寝息をたてる立花さんにつられたのか、いつの間にかわたしもうつらうつらと舟をこぎ始めていた。








「先輩、先輩、起きてください」


 呼びかける声に、微睡まどろみから意識が浮上する。


「あ、れ?」


 目の前に上下逆さになった立花さんの顔がある。濡羽色の髪がほっぺにこすれてくすぐったい。

 視界を巡らすと、カーテンの隙間から覗く外は随分と日が傾いていた。そして、もう一つ気づいたことがある。


「ひざ、まくら……?」


 立花さんに膝枕されていた。え、どういう状況?


「そうですよ、先輩。なんか重いなって目が覚めたら、先輩が私にのしかかって眠っているんですもん。なので先輩の寝顔、堪能させていただきました」


「びぇっ」


「なんですかその悲鳴。かわいいですね」


 恥ずかしい。真顔でそんなこと言わないでよ。照れるぞ? てか、きみは誰なんだい。 相変わらずの無表情だけどなんかすっきりした感じだし、さっきまでと全くの別人レベルでその口から出る言葉の内容も質感も柔らかいんだけど?


 あと、できればその端正な顔を少し離してくれると嬉しいです。後輩に膝枕されているという事実だけでも恥ずかしくて照れてしまうのに、顔まで近いのはとても耐えられない。


「私だって恥じも外聞もなく先輩の胸で泣いたんですから、これでお相子です」


 なんて、わたしの思考を見透かしたように彼女は言う。


「先輩、この部活って、先輩一人しかいないんですか?」


「あー、そうだね。他に名前を貸してくれてる子が一人いるけど、実質的にはわたし一人だね。うん」


「そうですか。活動内容を伺ってもよろしいでしょうか」


「放課後に集まって本読んだり、だべったり、勉強したり? もちろん作品も作るけどね」


 そこまでやり取りして、やっと彼女の顔が離れてくれた。そのままなにか考えを纏めるように瞑目する。


 目が覚めてからこの方、未だにわたしの頭は立花さんの膝の上だ。


「先輩、ありがとうございます。きっと、私をここに連れて来たのは私の悩みを聞くためですよね」


「まあ、うん」


「知り合いとはいえほとんど関わりのなかった私にここまでしてくれるなんて、お人好しが過ぎますよ」


 黒曜のようにきれいな瞳がわたしを見つめる。真っ直ぐなその物言いに、思わず顔を逸らしていた。


「先輩のお陰で落ち着きました。もう大丈夫、とは言えませんけど」


 そこで彼女は一呼吸置く。


「ですから、また今日みたいに一杯一杯になったときは、抱きしめてくれますか?」


「……うん」


 それしきのことで立花さんの力になれるなら、お安い御用だ。


「あと、もう一つあります」


 後輩に膝枕されながら、抱きしめる約束を交わして。今は、何でも受け入れられる気がする。


「この部に、入ってもいいですか?」


 なんだ、そんなことか。そんなのもちろん。


「大歓迎だよ」


 最後まで膝の上で、締まらない気もするけども。


「これからよろしくね、立花さん」

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