立花さんの膝の上。
かさかさ
第1話 出会い その1
春。桜が宙に踊り、新入生を祝福する。
新学期が始まり三日目の帰りの
「
「わたしは元気だよ」
「どこが?」
「あいたっ」
ぺしっと頬を軽く
わたしのキューティクルなほっぺたに痛みを与えた下手人を睨む。
「部紹介で失敗したからっていじけないの」
「……別にいじけてないもん」
なんて言うと、樹はじーっとわたしの顔を見つめる。わたしに惚れでもしたか?
「先輩たちが卒業したんだから、文芸部を守ってくのは心だろう? 新入部員を早いとこ捕まえないと同好会に降ろされちゃうんだからさ。なんせ、部員は心一人だし」
うぐっ。この友人は痛いところを突いてくる。だから苦し紛れの抵抗をする。
「わかってる。それに部員は一人じゃないよ、二人」
ひらひらと二枚の入部申請書を振る。きちんと印鑑も押してある。
「あたしじゃねえか。まあ、名前ぐらいは貸すけどさ」
樹の呆れたような声。わかっている。
この学校では部として認定されるのに五人の部員が必要だ。それ未満の人数では同好会という扱いで、部費も部室も与えられない。新しく部を作るには年度初めの部結成までに五人揃えて生徒会に申請しなければいけない。一方、部であったものが部員の人数が足りなくなった場合、同好会への降格には一年の猶予が与えられる。
先輩たちが昨年度卒業したため、現在の文芸部はわたしと名前を貸してくれている樹の二人。今年度の部結成までにあと三人集められなくても、今年はまだ部として存続できる。が、来年度の部結成までに集められなければ、来年度からは同好会になってしまう。
ぶっちゃけた話、今年は新入部員を獲得できなくとも問題はないのだ。ただ、今年できなかったことを来年できるかというと……。少なくとも一人は新たに部員を獲得したい。
同好会になると部室がなくなるわけで、そうなると歴代の文芸部部員が残していった蔵書や作品の行き場がなくなる。つまり、廃棄されてしまう。それだけは、だめだ。
「で、ちょっとは元気になったな」
「……うん」
樹曰くいじけていた(断じてわたしはそんな子どもっぽいことはしない。ただ落ち込んでいただけだ)わたしは立ち直った。
放課後の部勧誘も頑張ろうと、気合いを入れて両の手で頬をパシッと
◇
昇降口付近は人でごった返していた。入学したてでまだもの珍しげに周囲を見渡す一年生に、彼らを自分たちの部に引き込もうとあの手この手で勧誘する二、三年生。聞こえてくるコントラバスの伸びやかな音色は樹のものだろうか。外で演奏する彼女の周りに、早速人集りができていた。そこをうまいこと他のマンドリン部員が部活体験に誘導している。
マンドリン部だけではない。ビラ配りに留まらない勧誘がそこら中で行われる。音楽系の部活が楽器を持ってきて演奏するように、それぞれの部活がそれぞれの方法で新入生の気をひくためのパフォーマンスを行っていた。
濁流のような人混みに目が回りそうになる。人垣で一年生の姿を拝むことも難しい。このときほど自身の背丈のなさを恨んだことはないだろう。
もがくように人同士の隙間を縫って歩く。やっとの思いで昇降口周辺の人混みから抜け出した。小さな体が役に立ったが、そもそも体が大きければこんな目に遭っていないのだ。ちょっと複雑な気持ち。
そして、視界が開けた先に彼女はいた。
「あ、」
目が合った。
艶やかな黒髪と白い肌のコントラスト、それに顔立ちも整っているのだから笑顔でいればもっとかわいいだろうに、退屈そうな、つまらなそうな顔をしている。もったいない。
そして、その顔には見覚えがあった。
「……九重先輩?」
しばしの沈黙の後、彼女は口を開いた。どうやら人違いではないようだ。
彼女とは中学のときに少し関わったことがある。といっても、互いに顔と名前を知っていて、少し喋ったことがあるぐらいの間柄だったが。
それでもわかることがある。以前の彼女はこんな顔をしていなかった。退屈そうな、つまらなそうな、あるいは無感動を装った
何かあったに違いない。わたしが中学を卒業してから、今日までの間に。その確信が、わたしを後押しした。
「ねえ。よかったら、文芸部見学してみない?」
◇
ところ変わって文芸部部室。ポットで湯を沸かしてお茶の準備をしながら、彼女の様子を伺う。
部室内を見て回っている。そうしているうちに、何か琴線に触れるものがあったのだろうか。棚に収まった本を取り出して読み始めた。過去の文芸部部員の作品が保管されたコーナーだ。
「お茶、入ったよ」
「わかりました。ありがとうございます」
テーブルにお茶を並べると、彼女も読んでいた冊子から顔を上げてやってきた。二人で向かいあって席に着く。
勢いで誘ってしまったが、どう切り出そう。悩むわたしを尻目に、彼女はお茶を口に含む。
「っ、あつ……」
猫舌みたいだ。かわいい。なんて思っていたら、反撃を食らう。
「先輩、すごく噛んでましたね」
ぽつりと、涼やかなが沈黙を破った。
「あまり言わないで〜っ」
今日の五限にあった部活動紹介での失敗を思い出して、頬が熱くなる。人前に出ての部活紹介に噛みに噛んで、一年生からは生暖かい目で見られた。というか、最終的に「がんばって」「かわいい」などと応援される始末だ。おい、わたしは一学年上だぞ?
「それで、どこか入りたい部活とか決めた?」
話題逸らしを試みる。彼女も自分から部活動紹介の話を振っておきながらさして興味がなかったようで、こちらに乗ってきた。アイスブレイクにさっきの話題を出しやがったな、こんちくしょう。
「決めてないですね。入るつもりもありませんし」
「そっか」
「それとですね、先輩」
彼女は居住まいを正す。真剣な声音に、少しばかり空気が張るのを感じる。
「母が再婚して、苗字が
「へ?」
「立つ花、と書いて『立花』です。一文字の『橘』ではないので気をつけてください」
青天の霹靂とは当にこのこと。驚きの余り思考が止まる。
はは、ハハ、母。
彼女の母には一度お世話になったことがある。パワフルで、お茶目で、頼りになる素敵な方だったことを覚えている。
「そ、そうなんだ」
対面に座る落ち着き払ってすまし顔な彼女と対照的に、わたしは脳で情報を処理しきれずにいる。タチバナといえば、昨年まで文芸部にも橘先輩がいたな、とか。でも字が違うみたい、とか。
「さ……、立花さんのお母さんって、ええと、看護師やってた人だよね?」
纏まらない頭で、言葉を紡ぐ。
再婚。立花さんの変化もそれによるものだろうか、とか。母親の再婚相手や、あるいは新しくできたかもしれない義兄弟姉妹とうまくいっていない、だとか。
「はい、そうです」
淡々と受け応えする彼女の顔は、やはり冷たく固い。中学時代の記憶にある彼女も決して表情が柔らかかったわけではない。それでも感情は表に出ていたし、暖かみもあった。
「お母さまは元気にしてる?」
それは何の気なしに口にした言葉。頭の中を整理したくて、ちょっとした時間稼ぎの意味合いもあったかもしれない。
ただ、それは。
「お母さんは、……母は」
立花さんの顔が今日初めて崩れる。ほんのわずかに眉根が寄って、ほんのわずかに目が開いて、ほんのわずかに口元がしまって。……ほんのわずかに顔が険しくなって。
言葉は続かない。立花さんの中で葛藤が起こったのがわかる。言っていいのか、迷惑にならないか。言ったとしてそれが何になるのか。拒否されないか。否定されないか。話せば楽になるのか。……渦巻く思考に溺れるような錯覚を抱いているかもしれない。
「ねえ、立花さん」
人様の、それもあまり関わりのない相手の家庭の事情に踏み込むことは、お行儀は良くないし、褒められたことでもないかもしれない。そうなのだとしても。
「わたしなんかでよければ話してくれる? 少しは役に立つかもよ」
目の前にいる、今にも決壊しそうな感情に蓋をして隠した――平静を装って、自分は大丈夫なのだと言い聞かせている、傍目にも無理していることがわかる少女。そんな彼女を放っておくことなんて、わたしにはできなかった。
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