魔力濃縮症
リリは少女の症状がひとまずこれが細菌から起こっているものなのかを確かめるために優しく声をかけ、心音を聞こうとした。
「ちゃんと治してあげるから、ちょっと見せてね」
少女は自分とそう変わらない年齢のリリにそう言われたので困惑しながらもコクリと頷くとそれに従った。
服をめくった時にミリアムたちはとあることに驚く。
――これは……。
服をめくって見えた腹部には強い魔力を過剰に受けることによって起きる斑の黒い痣があった。
その痣は転移前の世界では濃い魔力を体内で薄くすることの出来ない非魔術師に見られたものだ。
痣は濃縮された魔力が肌に現れているのだがその濃い魔力のせいで身体の働きが阻害され衰弱し死に至る。
――病名『魔力濃縮症』
魔導大戦当時のミリアムにはこれはどうしようもなかった症状だ。
だが今は違う、テーナを初めとした様々な分野を得意とするホムンクルスたちがいる。
リリは痣を確認して、すぐに肩に掛けていたリリの研究室の薬品保管庫と繋がっている魔導具のバックから小瓶を取り出す。その小瓶の中では琥珀色の液体がゆっくりと揺れている。
――魔力中和液。
それは、過去に助けられなかった人たちの記録をミリアムがリリと読み返し、研究と幾多もの失敗の末にたどり着いた薬だった。
リリはその薬を手にしてミリアムを見る。
体内に吸収される程度の量の濃い魔力であればその魔力を大気から吸収し成長すること見つけた薬草『浄化草』を組み合わせ、体内に濃縮された魔素を中和するという理論上の薬液。
まだ人に投薬されたことのないものだ。人工生命体であるホムンクルスはこの症状は出ないし、ミリアムは魔術師なので魔力に強い耐性がある。この少女のようにこの薬を必要としている人がいなかった。
このまま使わなくてもこの少女は死んでしまうが、薬を使ったせいでもしかしたら何かの副作用が起きてしまう可能性もある。
だからリリはミリアムに最終確認を取ったのだ。
「リリちょっと心配かも」
それを聞いたテーナが眉をひそめた。
「リリ、貴方はミリアム様を疑うのですか? ミリアム様がこれで完成だと仰ったのです。間違いなどあるはずがありません」
毅然とした声音には、ミリアムへの絶対的な信頼がにじんでいた。彼女の忠誠は、理屈ではない。存在そのものへの信仰……狂信に近い。
(ありがとう、テーナ。君の信頼は、いつだって僕を支えてくれる。けど……)
ミリアムはリリの目を見る。そこにあるのは恐れがないとは言えないが、命を前にした真剣な責任感だった。
(僕も正直、リリの気持ちに近いよ。君がこの薬にどれだけの想いを込めてきたか、知っているからこそ……。失敗して優しい君が傷つくのが嫌なんだ)
ミリアムは黙ってリリの手に添えた。小瓶を、二人の手が同時に包む。
「一緒に責任を持とう。これは君一人のものじゃない、僕たちの薬だよ。どういう結果になったとしても……まあ、失敗する気はしないけどね」
リリはミリアムの覚悟を見て腹を決めたようでこくんと頷いた。そして小瓶の液体を数滴、少女の口元に垂らす。
少女の喉が小さく動き、液体を飲み込む。
一瞬の静寂。
だが、すぐに少女の表情が苦しげに歪んだ。
「あついよぅ、身体が……燃えるみたい……!」
少女はもがき、熱に浮かされたように身をよじった。リリが慌てて手を伸ばす。
「やっぱり……だめだったの!?」
その瞬間――ミリアムは冷静に観察する。
(違う。これは、中和反応……体内の魔力が急速に変質し、分解されている反応だ)
やがて、少女の呼吸が落ち着き、瞼が静かに開いた。
「……あれ? く、苦しくない……?」
少女はきょとんとした表情を浮かべて、自分の胸に手を当てた。
リリはその様子に、ふっと肩の力を抜いて安堵の息を漏らした。
「よかった……!」
少女は嬉しそうに話し出す。
「やっぱり、バーナードさんが呼んできてくれくれたお医者様だったんだ。足音が聞こえたからつらかったけど、家から出てきて良かった」
リリとミリアムは目を合わせ、頷き合う。そしてミリアムが少女に優しく尋ねた。
「他にも、こんなふうに苦しんでる人はいる?」
少女は顔を曇らせ、小さく頷いた。
「うん皆、アンリみたいに痣が出て倒れちゃって。お母さんも、お父さんも……」
ミリアムが立ち上がり、早速他の村人も治そうとすると少女が慌てて言った。
「早くみんなも助けてあげて! 案内するから!」
そう言って少女は立ち上がろうとしたが、足元がふらつき、そのまま倒れかけた。
その身体をミリアムがすぐに抱きとめる。
「無理しないで。案内は大丈夫だから、君はもう少し休んでて」
ミリアムはそう優しく笑いかける。
胸に抱かれながら少女は少し赤くなると恥ずかしがりながら小さく頷いた。
魔力中和液が確かに効くと分かった今、あとは一刻も早くすべての村人に薬を行き渡らせるだけだ。
「リリ、テーナ、分担してくれ。僕はこの子の家に行ってこの子の両親を診てくる」
ミリアムはアンリを抱えたまま、彼女の案内した道を辿る。ふらふらとしながらも指さしてくれた家の扉は、きしんだ音を立てながら開いた。
その家には布団に横たわるアンリの両親がいた。
アンリの両親は、もはや意識すらなくただ浅く苦しげな呼吸を繰り返していた。その顔はげっそりと痩せ、まるで数日の間、ろくに水も飲めていなかったかのようだった。
それに痣が着ている服からはみ出しているほど広がっているのが分かる。
一分一秒を争う事態だ。
この魔力濃縮症は体積の大きい大人ほど濃い魔力を溜めやすく症状が重くなる。
(大丈夫だ、今助ける!)
ミリアムは迷わず、懐から取り出した小瓶を両親それぞれの口元に運んだ。
琥珀色の液体が喉を通る。
アンリよりも痣が広がっていたため中和反応も大きく、時間もかかったがそれでも数分も経たぬうちに痣が薄くなり呼吸が穏やかになっていく。
ミリアムはそれを確認して、アンリを優しく布団の隣に寝かせるとそっと彼女の頭を撫でた。
「もう、大丈夫。両親とゆっくり休むんだよ」
アンリの目に涙が溜まり、ぽろぽろとこぼれた。
「うん……うん……ありがとう……!」
その声に、目を開けた両親が、ゆっくりとこちらを見た。
「貴方が治してくださったのか……」
弱々しいながらも、しっかりとした声が漏れる。
ミリアムは軽く微笑むと、立ち上がりながら言った。
「あなた方の命は、娘さんが繋いだんですよ。よく頑張ってくれました」
「ありがとう……ありがとう……!」
両親はアンリをしっかりと抱きしめながら、ミリアムに繰り返し礼を口にした。アンリもまた、両親の腕の中で声を上げて泣いていた。
温かな空気に包まれた室内でアンリの父がふと、思い出したように口を開いた。
「申し遅れました私の名はサンソン、この村の村長です。この度はありがとうございます。私と同じ村の者もこの病に倒れていますどうか助けてやってください」
「貴方様はバーナードが呼びに行った騎士爵様の医者とお見受けします。私、サンソンの妻のマリーです。私からも本当にありがとうございます」
サンソンは深く頭を下げ、それに続いてマリーが感謝を述べる。
「いえ、僕は自分に出来ることをしただけですので。僕は騎士爵の医師ではなく、とある事情があってこの村に立ち寄っただけなんですよ」
それを聞いてサンソンは目を見開くと俯き、言葉を詰まらせながら懇願するように話す。
「村はもうボロボロです。畑は荒れ、仕事が出来る状況でもなくとても貴方方に謝礼を払える状況には……。ですがお礼は必ず、だからどうか村民をお助けください」
ミリアムはそれを聞くと、軽く首を横に振って微笑む。
「気にしないでください。命の価値に代金なんて要りません」
「ありがとうございます……」
サンソンのその目には、深い感謝の色が滲んでいた。
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次回『原因』
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