第2話 2/4 雨

 キューズモールのエレベーターで四階にまで上がれば、ちょっとした勉強スペースがある。


 五席ほどあるカウンターに座れれば大きな窓から外を眺めることができ、鞄を置く棚も別で用意されているから貴重品だけ身の回りにおいて勉強すればいい。


 広く使いたいなら空いていれば四人掛けの机も四~六席ほどあったかと思う。壁や机、棚、全体的にベージュと茶色のカラーで落ち着いた雰囲気。


 特に誰の顔を意識することもなく一人でそこでじっと本を読めるし、大学の授業の宿題もできる。まだまだ必須の授業があるし、必須の授業は難易度こそ低いけど高校の授業と同じ。


 出席確認も取れば確認テストもあるし、宿題もあったりする。お姉ちゃんと違って最近は家であまり勉強をしたくならない。


 ボーッと考えてしまうから。後はお姉ちゃんが勉強終わっていたらお姉ちゃんと遊びたい。


 今の私はモヤモヤしていてボーッとしてくるので……悪くないその気持ちも多すぎるとしんどいので、お姉ちゃんと寝る前に話したり、じゃれたりする一時間はとても癒される時間なのだ。


(……あ)


 勉強スペースが、学生でいっぱいだった。


 勉強であるがゆえに、しばらくは空きそうにもない。


(しょうがないかあ……)


 とりあえずその場を後にした。


 地下のフードコーナーで座って勉強してもいいけど、雰囲気がザワザワしすぎているからちょっとそういう気分にはなれない。


 とりあえず一階でエレベーターを降りて外に出る。またムシっとした湿気の含んだ重たい空気とどんよりした天気が私を包む。


(鬱陶しいなあ……)


 これは本当に嫌な鬱陶しいの方。あのモヤモヤとは違う。現実は分厚い雲が私の頭上を覆っている。


 とはいえ、ここで突っ立っていても仕方ない。


 私は家の方角である帝塚山のほうへ歩き出した。家に帰るつもりはない。どこかしらテーブルがある公園があればいい。


 そこでノートと教科書やレジュメを開いてちょっとだけ勉強できればいい。


 梅雨前のどんよりとした今にも落ちてきそうな空の下、私は歩き出した。まだ梅雨には入らないから大丈夫でしょ、と高を括っていた。


 どんどんと歩いていく途中……ポツリ、ポツリと雨が私のツインテールの頭頂部や頬の辺りに落ちてきた。


 ――あ、やばいかも……


 それでもまだ大丈夫だろうと早足にはなるけど歩き続ける。


 最悪は松虫あたりで駅に駆け込んで電車に乗ろう。そして今日は諦めて家で勉強しよう。そう思っていたのだが……



 あっという間に視界が白くもやがかるような、篠突く雨が降り出した。

「だめじゃん……」


 今日はこんな雨が降ると天気予報で言っていたのだろうか。言ってなかった気がするし、言ってたとしたら全く聞いてなかった。


 私はかつては小さな商店が中央を走る路面電車の両サイドに立ち並んだであろう街を走っていく。


 私はあまり知らないけどかつては店前のテントがずっと並んでいたと思われる。


 今はところどころシートが無くなって骨だけになってしまったものや、二度と開かなくなった折りたたみ式のテントだけがある。


 こんなときだけ都合良くここら辺のお店が健全にやっていたらと思う。


 いくら立派な分譲マンションが立ち並んでも、中に入らせて雨を凌がせてはくれないし、車を運転する人間にとって便利なコインパーキングがあったとしても雨を防いでくれる便利さはない。むしろ雨ざらしだ。


「あうう……」


 どんどんと着ていた白の刺繍フリルブラウスはボトボトになっていく。


 松虫まで走り抜ける? いや、それは無理。こないだのお姉ちゃんの臭くないバージョンになる。


 じゃあ阿倍野の駅まで戻る? いや、ダメだ。あそこの駅は屋根がない。


(どうしよう……)


 薄雲りする視界の中、一軒だけしっかりとしたテントを張り出している商店を見つけた。


(あそこだ!)


 私は最後のダッシュで地面の水を跳ね上げながらテントの下に駆け込んだ。肩で息をする。


 私はお姉ちゃんみたいに体力モンスターではない。肩で息をしながら呼吸を整える。心臓はドキドキして脈は激しく打ち、身体が熱くなる。


 それでなくても蒸し蒸ししているのに余計に蒸されたような、まるで蒸し風呂に入ったみたいに汗が流れ出る。


 額も背中も、どこまでが汗でどこまでが雨による濡れなのかもう分からないぐらいぐしょ濡れだ。


 とりあえずタオルハンカチを出して、顔や腕、拭けるところを拭いていく。


 この雨は完全に想定外だった。ちょっとでも可能性があったら折りたたみ傘を忍ばせておくのに。


(はあ……ついてないなあ。ボーっとしてて抜けてるなあ私、最近)


 ――モヤモヤしてボーっとしている先に思い浮かぶのは、あの人の顔……こないだも会った。


 会うたびに、次はもうないなあ、と自分に言い聞かせる。仕方ない、仕方ない、私の人生に関係ない人。


 けれど、なぜかまた会ってしまう。会ってしまえばもっとその人のことを知りたくなってしまって話したくなる。


 そしてまたすぐにお別れが来てしまって、また私は主演女優にはなれない。そして、ああ、もう会えないなあ、と思う。


 ――開き直って会わなくてもいいとしよう。お互いにたまたまその場にいて通りすがりの人同士がたまたまちょっと仲良くしただけのことに似ている。


 そんなもんだと思うのだけど、またなぜか会えてしまう。会えばまた……会えば──会いたい?


(え?──まさかそんな。だってあの人はお姉ちゃんのと……)


「こんにちは」

「…………??」

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