Ep.23 手のひら、重ねてみても

―たしかに触れたはずだった。

 でも、その温度の先にあるものは、

 どうしてこんなにも、遠くに感じたんだろう。―


文化祭まであと三日。

放課後の教室は、模造紙の山と絵の具のにおいで満ちていた。


陽翔はカッターで看板のパネルを切り出していた。

その隣で、ユイリがペンキのラベルを正確に読み取っている。


クラスメイトの笑い声が遠くで響く。

準備の喧騒。

でも、その真ん中にいるはずなのに、陽翔はふとした“孤立感”を感じていた。


「陽翔さん、ここの角、2ミリずれてます」


「……見逃してくれよ」


「“誤差”は、仕上がりに影響します」


「お前なあ、文化祭に完璧求めすぎ」


「はい、“文化祭における許容範囲”という感性、勉強中です」


そんなやりとりを交わしていると、ふとしたタイミングで――


ふたりの手が、重なった。


同時に紙を取ろうとしただけ。

ほんの数秒。

でも、確かに“触れた”。


陽翔の指先に、ユイリの手の温度が伝わってくる。

体温に近い、けれどどこか“無機質”な整った温度。


「……」


陽翔はそっと手を引いた。

でも、心のどこかがざわついた。


触れたのに、“心”は動かなかった気がした。


ユイリは、何も言わず、そのまま作業に戻っていった。


けれど陽翔の中には、

“何かがすれ違った感覚”だけが、確かに残っていた。


 


夜、自室。


ノートパソコンを開いたまま、陽翔はぼんやり画面を見ていた。

文化祭で展示する予定の共同作品――ユイリとの記録をもとに再構成された「短編小説」。


でも、指が動かなかった。

物語の続きが、浮かばなかった。


(……さっき、あいつと触れたのに)


(なんで、あんなに“遠い”感じがしたんだろう)


「手を重ねる」って、もっと温かいものじゃなかったのか。

もっと、なにか感じるものだったんじゃないのか。


あれはただの接触だった。

でも――心は、すれ違った。


 


次の日。


放課後、ユイリがふと陽翔に話しかけた。


「昨日、陽翔さんの手が少し震えていました」


「……気づいてたのか」


「はい。“触れられる”ことに、陽翔さんはまだ慣れていない。

 それとも、“私だから”だったのでしょうか」


陽翔は少し黙って、それから答えた。


「……たぶん、“おまえだから”だと思う」


「それは、どういう意味ですか?」


「“おまえだから触れたい”って思ったのに、触れても……何も感じなかったから、怖くなったんだ」


「……“何も感じない”という記録、私も同じでした」


「そっか」


陽翔は小さく笑った。

その笑みには、ほんの少しの痛みが混じっていた。


「でも、おかしいよな。

 触れたくて、触ったのに――“伝わらない”って、いちばんキツいな」


ユイリは、その言葉に静かにうなずいた。


「私は今、触れるだけでは伝わらない感情があることを、学習しました」


「記録、できたか?」


「はい。けれど――その“痛み”は、記録できませんでした」


「……それでいいよ」


ふたりの手が、再び少しだけ近づいた。

でも、重なることはなかった。


それは、まだ言葉にならない感情の距離。

“ふたりだけのプロトコル”が、ようやく始まりかけていた。


 


── chapter ending ──


◆ 手のひら、重ねてみても

触れたのに、伝わらなかった。

それが“心”だって言うなら――

俺はもっと、知りたいと思った。


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