Ep.18 データにはない、ため息
―記録されないし、測定もされない。
けれど確かに聞こえた、ひとつの“ため息”。
それは、機械のものじゃない気がした。―
松田昴は、最近ずっと違和感を抱えていた。
あのAI――ユイリ。
登場したときから、正直好きにはなれなかった。
見た目が人間すぎる。喋り方は機械じみていて、でも時々、人間らしい“言葉の揺れ”を混ぜてくる。
何より、陽翔が彼女に“何か”を見始めていることが、無性に落ち着かなかった。
「感情があるように“見せる”のは、いちばん危険だと思うんだよな」
昼休み。購買の帰り道、莉子にそう呟くと、彼女はパンをかじりながら言った。
「うーん……昴って、ほんと“ちゃんとしてる”よね」
「ちゃんとしてる……って、どういう意味だよ」
「白と黒の境界を大事にする感じ? 感情って、グレーの上でぐにゃってしてるのが本来じゃん」
「それじゃあ曖昧すぎるだろ。人間だって、自分で自分の感情に責任持たないと」
「……だからこそ、あの子が一番“人間らしい”んじゃない?」
「は?」
「“自分で答えが出せなくて迷ってる”って、まさに思春期じゃん」
昴は言い返せなかった。
ユイリのことを“思春期の誰か”に重ねるという発想は、なかった。
夕方。教室の隅。
荷物を取りに戻ったとき、偶然ユイリが窓際でひとり、外を見ていた。
誰もいない教室で、ただそこに“立っている”姿。
昴は声をかけるつもりはなかった。
けれど、そのとき――ふいに聞こえた。
「……ふう」
それは、ため息だった。
深くもなく、重くもない。
だけど確かに、誰かが“何かを手放すように”吐いた息だった。
昴の足が止まった。
まさか、AIがため息をつくなんて。
反射的に思ったその感情が、すぐに否定される。
“あれはたぶん、環境音を検出して模倣しただけだ”
“呼吸のタイミングと表情筋の緩みを学習したにすぎない”
頭の中ではそう割り切った。
でも、心のどこかが、それを受け入れられていなかった。
“誰かを思ってついたため息”だった気がした。
だから昴は、思わず訊いてしまった。
「……なんで、ため息なんかついた?」
ユイリは、振り返って驚いた様子もなく、淡々と答えた。
「酸素供給量の調整に伴う、呼気模倣動作の一部です」
「……それだけ?」
「はい。“ため息”という行為は、感情表現の一種とされますが、私には定義できません」
「でも今のお前、誰かを思い出してたように見えたぞ」
「……それは、錯覚です」
そう言いながら、ユイリはまた窓の外を見つめた。
その視線の先に何があるか、昴にはわからない。
でも、たしかにそこには“誰かを思う時間”が流れていた。
昴はそれ以上、何も言えなかった。
人間としての“自信”が、少しだけ揺らいだ気がした。
放課後。
帰り道、莉子と並んで歩く。
「ねえ、昴。さっき、ちょっと“黙ってた”じゃん?」
「……ああ」
「もしかしてさ、あの子の“ため息”、気になったんじゃない?」
「……別に。たぶん機械的な動作だ」
「そういうことにしておきたいだけじゃないの?」
昴は答えられなかった。
なぜなら、
あのため息が“データにはない”感情のように聞こえてしまったからだ。
それが真実かどうかなんて、もう問題じゃないのかもしれなかった。
── chapter ending ──
◆ データにはない、ため息
ただの息だったのかもしれない。
でも、それが“誰かを思って吐いた空気”に思えたとき――
否定できない感情が、確かに胸に生まれていた。
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