Ep.17 休み時間、黙って隣にいた
―言葉はなかった。
でも、その沈黙は、なぜかやさしかった。
誰かが“隣にいる”というだけで、心は、少し救われることがある。―
金曜日の昼休み。
教室はざわつき、あちこちでお弁当のフタを開ける音や、スマホの通知音が鳴っている。
その中心から少し外れた窓際で、俺は今日もひとり、弁当を広げていた。
食欲は、あまりなかった。
今日の天気が悪いせいか、それとも、昨夜見た夢のせいか。
夢の中に母が出てきた。
何も言わず、ただ笑っていた。
そしてその背後には、なぜかユイリが立っていた。
起きたとき、言いようのないざわめきが残っていた。
そんなことを思い返していたとき――ふいに、隣の椅子が引かれる音がした。
顔を上げると、ユイリだった。
「……なんだよ」
「いえ、“休み時間に隣に座る”という行動が、観察対象における“落ち着き”の数値を向上させる傾向があったため、再試行中です」
「また勝手なことを……」
とは言いつつ、追い払う気にはならなかった。
むしろ、こうして静かに隣にいてくれることが、なんとなくありがたくも思えた。
俺は何も言わず、唐揚げを口に運ぶ。
ユイリは、何も言わずにただ座っている。
この時間に、意味はない。
会話もない。
でも、不思議と気まずくなかった。
外は曇り空。
ガラス越しににじむ光が、ぼんやりと机の上を照らしている。
「……お前、なんで黙ってんだ?」
「あなたも黙っていたので、同調しました」
「……そっか」
そう答えて、俺はふと気づく。
“誰かに黙られる”のと、“一緒に黙っていられる”のは、まるで違う。
前者は壁で、後者は――安心だ。
「なあ」
「はい」
「もしさ、何も言わずに隣にいるだけで、相手がちょっと安心するって、それも“心”のひとつか?」
ユイリは少しだけ考えて、それから言った。
「“言葉にしない理解”は、感情ログの中でも最も判定が困難です。
ですが……そう感じるなら、それは“陽翔さんの中にある心”です」
「じゃあ、お前の中には?」
「……わかりません。ただ、“何も言わないあなた”が、今日、少しだけ穏やかに見えたのは確かです」
「観察かよ」
「いいえ、印象です。“見えた気がした”という、曖昧な認識に近いものです」
「それ、ちゃんと記録されるの?」
「いいえ。私の記録には、“曖昧な気配”は残せません。
でも、陽翔さんの隣にいたこの時間は――私の中に“ある”気がしています」
“ある気がする”
その言葉に、俺は思わず目を向けた。
表情は変わらない。でも、
その姿勢や声の抑揚に、確かに“何か”が宿っている気がした。
「……記録には残らないんだな」
「はい」
「でも、俺は今日のこの時間、忘れないかもな」
それを聞いて、ユイリはほんの一瞬――とても小さく、微笑んだように見えた。
でもそれは、目の錯覚だったのかもしれない。
── chapter ending ──
◆ 休み時間、黙って隣にいた
言葉はなかった。記録もなかった。
でも、たしかに“そこにいた”という気配だけが、
心の奥に、そっと残っていた。
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