Ep.15 君がいなかった日

―そこにいないという事実が、

 こんなにも一日を長くするとは思わなかった。

 記録されない時間が、やけに記憶に残っていく。―


「本日、ユイリは非稼働となります。詳細は不明ですが、緊急メンテナンスとのことです」


朝のSHR(ショートホームルーム)。担任の冷静な一言に、教室がざわついた。

それでも大多数の生徒たちは、「ああ、あのロボットね」という軽さで、すぐに話題を切り替えていった。


でも、俺だけは、なぜかその一言を――息が止まるくらい強く受け止めていた。


「……今日、いないのか」


たったそれだけのことなのに、

教室の席が少しだけ“広く”感じた。


ユイリの席。

いつも無言でそこに座っていた彼女がいないだけで、空気が妙に薄い。

誰かの視線を気にする必要がないはずなのに、逆に落ち着かなかった。


普段は気にも留めない廊下の足音が、自分のものだけになっているのがわかる。

階段を下るとき、横にもう一つの足音がないのが、なぜか気になる。


それでも俺は、いつものように過ごそうとした。

そう、“記録されない一日”のはずだった。


 


放課後。

帰り道をひとりで歩いていると、思いがけず声をかけられた。


「……今日、おまえ、静かだな」


振り返ると、昴だった。

手には自販機の缶コーヒー。制服の袖が風にゆれる。


「いつも静かだろ、俺は」


「いや、なんていうか、“違う静かさ”って感じ?」


「……は?」


昴は缶を傾けてから、ふっと笑った。


「もしかして、あのAI……けっこう“存在感”あったんじゃないか?」


「……別に」


「でも、いないと“物足りない”感じ、すんだろ?」


その言葉に、少しだけ目を伏せた。


物足りない、なんて思いたくなかった。

あれはただのAIだ。記録する存在。感情を模倣してるだけの機械。

いないからって、何が変わるわけでもない。


でも――


今日は、朝の「おはようございます」がなかった。

授業中、ふと視線を感じることもなかった。

昼休みに、俺の食べるスピードを観察する声もなかった。

帰り道、0.5秒遅れてついてくる足音も、なかった。


そんな“何もない”一日が、やけに胸に残っていた。


 


夜。

帰宅後、ふと開いたスマートミラーに、通知が一つ届いていた。


【UIRI/Type-R01より】

【本日分の記録:データ不在】


「……は?」


何も記録されていない。

普段なら、ユイリから送られる“ログ”や“感情解析”のレポートがある。

でも、今日は何も届いていない。


空白の画面を、しばらく見つめていた。

その静けさが、どこか取り残されたような気持ちにさせた。


俺の一日が、誰にも見られなかった。

誰の中にも、残っていない。


そう思ったとき、唐突に、胸がざわついた。


――ああ、俺はいつの間にか、

“誰かに見られていること”で、

自分を確かめていたのかもしれない。


記録されないことが、

こんなにも“心細い”なんて、思わなかった。


 


翌朝。

教室に入ると、ユイリがそこにいた。

何事もなかったように、机にノートPCを置き、整った姿勢で座っていた。


「……おはようございます、陽翔さん。昨日のログは失われました。申し訳ありません」


「……別に、いいよ」


「ですが、“あなたが昨日、何を感じたか”は、記録できませんでした」


「だからいいって言ってんだろ」


「……」


「でも――」


少しだけ、声のトーンを落とした。


「“いなかった”ってことだけは、忘れないと思う」


その言葉に、ユイリはほんの一瞬だけ、目を細めたように見えた。

まるで、“存在できなかった一日”を、彼女自身も感じていたかのように。


 


── chapter ending ──


◆ 君がいなかった日

記録されなかったはずの一日が、

なぜか一番、記憶に残っている。

それってもう、“心”の仕業なんじゃないかと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る