Ep.03 正式サポート決定
―「記録される」ことが、ただの観察じゃなくて、“誰かに存在を刻まれる”ことだとしたら―
昼休みの教室。
ざわついた空気の中で、俺の席にまたユイリが座っていた。
窓からの陽光を背に受けながら、彼女はただ静かに前を向いている。無表情。無反応。無言。
けれど、目立っていた。
「え、またあそこにいるの?」「佐倉の隣、マジで指定席かよ」「同棲生活でも始めた?」
そんな囁き声が後ろから聞こえてくる。
「そこ、俺の席なんだけど」
言った俺に、ユイリはくるりと顔を向ける。
「認識済みです。ですが、観察対象との空間最適化により、隣席での常時同席が最も有効との判断がなされています」
「“判断がなされています”って……誰が勝手に?」
その問いには答えず、ただ背後から別の声が割り込んできた。
「俺だよ」
振り向くと、担任が立っていた。手にはA4サイズの紙束。表紙にははっきりとこう書かれていた。
『AI観察協力生徒・受諾通知』
「これ、教育委員会と市の共同実証事業な。君が正式に選ばれた。まあ、推薦したのは俺なんだけど」
「……なんで俺なんですか」
「“感情の表出が少ないが、内面活動が継続していると推察される”って評価書があったんだ。お前、観察するにはちょうどいいらしい」
「……」
「ま、難しく考えるな。ただAIと一緒に過ごすだけだ。“心の観察”ってのは、たぶん君自身のためにもなる」
そう言い残して、担任は去っていった。
観察されることが“制度”になった。
俺は今日から、公式に「記録される存在」になった。
最悪だと思った。
放課後、教室に残ってノートを開いていた俺に、昴が近づいてきた。
「なあ、佐倉」
「……なんだよ」
「その、決まったってマジなの? 観察対象に」
「見ての通りだろ」
「嫌じゃないのか? AIに四六時中、記録されるなんてさ。俺なら無理だわ。人間じゃない相手に、自分のこと全部、見られるなんて……気持ち悪くない?」
気持ち悪い。
でもそれ以上に、どうしようもない苛立ちが胸を渦巻いていた。
昴には「嫌だ」とも「別に」とも言えなかった。
「俺のことなんて、記録しても意味ないって思ってたんだけどな」
呟くように言うと、昴は少しだけ眉をひそめた。
「それ……意味ないって思いたいだけなんじゃないのか?」
その言葉は、妙に重く、胸のどこかを突いた。
帰り道。
ユイリは今日も俺の後ろを歩いている。
同じ間隔、同じテンポ。0.5秒遅れの足音が、アスファルトに吸い込まれていく。
「本日より、正式サポート対象としてのプロトコルを適用します。以後、行動ログの提出頻度が増加します」
「だからなんだよ。記録すんなって言ってるだろ」
「拒否権はございません。ですが、あなたの“記録されたくない”という感情も、重要なデータとして処理されます」
「もういいよ、勝手にすれば」
苛立ちが、足元にこぼれた。
言えば言うほど、“俺”が記録されていく。
否定すら、反応として残っていく。
それが、なぜだか……苦しかった。
「あなたは、記録されることに、強く抵抗しています」
「当たり前だろ」
「では、なぜ“残されたくない”のでしょうか」
「……は?」
「あなたは、すべてを“消えてもいいもの”として扱っているわけではないように思えます」
風が吹いた。
彼女の銀色の髪がわずかに揺れる。
その横顔には、相変わらず感情の影はなかった――けれど。
「私が、記録するからこそ、“残ってしまう”ものに、意味を見出そうとしているように、見える」
「……勝手に、決めんな」
「わかりました。“勝手に決めるな”という命令を、記録します」
俺は息を吐いた。
その返答すら、もう慣れてしまいそうな自分が、少し怖かった。
「記録しないでくれ」
「……その願いも、きちんと記録しておきます」
どうして、こんなやりとりの中で――
“何かを見られている”という実感が、確かに胸の奥に残ってしまうのだろう。
それは、ただの記録じゃない。
俺の沈黙や、戸惑いや、止まったままの感情を――誰かが、静かに拾い上げているみたいだった。
夜。
机の上に、くしゃくしゃの原稿用紙を広げた。
書きかけの手紙。書けなくなった気持ち。
「本当は、残してほしかったのか……?」
誰にも届かなかった言葉が、今夜も一文字も進まない。
けれど、“記録される”という事実が、今日に限って、なぜかずっと頭から離れなかった。
── chapter ending ──
◆ 記録される、という関係
覚えてほしくなかった。
でも、本当は――
忘れないでいてほしかったのかもしれない。
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