Ep.02 記録しないで
―残したくないものほど、なぜか“誰かの中”に残ってしまう。―
ユイリは、今日も朝からそこにいた。
桜雲高校の校門前。昇降口の角に、背筋をまっすぐ伸ばして立っている。
まるで、登校時刻を正確に予測した上で“待ち伏せ”していたかのような立ち位置だった。
「おはようございます、陽翔さん」
「……早すぎんだろ」
そっけなく返しても、彼女の顔には何ひとつ変化がなかった。
相変わらず、無表情。整った顔立ちなのに、温度がない。
それが逆に、少しだけ――居心地が悪い。
全方位に対して抵抗のない、透明な壁のような存在。
こっちが少しでも感情を向けると、まるで鏡のように“自分の温度”だけが跳ね返ってくる。
「本日は、午前9時から午後11時までの間、観察記録を継続します。対象者の行動および言語的反応に基づき、感情模倣学習を行います」
「勝手にスケジュール立てんな」
「承知しました。“勝手にスケジュール立てるな”というご意見も、記録いたします」
……本当に、会話にならない。
俺はそっぽを向いて、靴箱に向かう。
彼女の足音が、ちょうど0.5秒遅れてついてくる。
それが妙に気になって、振り返ることもできなかった。
昼休み、教室はざわついていた。
ユイリは自分の席に静かに座り、誰とも話さず、ただノートPCを開いていた。
指はキーボードを打つでもなく、目はまっすぐ前を見ている。まるで、ただ“存在している”だけ。
だけど、その存在は異様に浮いていた。
「なあなあ、あれってマジでAIなん? てか普通に美少女なんだけど……」
「佐倉ってさ、あれと話してるってマジ?」
教室の空気が、好奇心とざわめきと、少しの冷やかしで混ざり合っていた。
ユイリは、周囲の視線という概念を持っていないみたいだった。
「佐倉」
背後から声をかけてきたのは、松田昴だった。
少し不器用で、でも人との距離に正直なやつ。
「お前、あのロボットとどんな会話してんの?」
「してねえよ。むしろ、話しかけてこないでほしいくらいだ」
「でも、あいつ、結構お前にだけ反応してる感じあるぞ?」
「知らねえよ。……記録されてるだけだ」
言いながら、自分の言葉が妙に重く響いていることに気づいた。
放課後、帰り道。
春の陽は少しずつ傾き、街の輪郭がオレンジに染まっていく。
ユイリは、やはり俺の半歩後ろを歩いていた。
ちょうど0.5秒遅れ。音だけが、妙に正確。
「なんでついてくるんだよ。今日は“観察終了”って言ってただろ」
「観察は終了しました。しかし、“心の余熱”が記録される可能性があるため、補助行動を継続しています」
「……は?」
「あなたの歩行速度が、通常より0.3秒速い。それは“動揺”と解釈可能です」
「だから、記録すんなって言ってんだよ!」
思わず怒鳴った。
言いたくなかったのに、言葉がこぼれてしまった。
こぼれた瞬間、それすら記録されたんじゃないかと思って、さらにイラついた。
ユイリが立ち止まり、ゆっくりまばたきをした。
「……申し訳ありません。“記録しないでほしい”というあなたの感情を、記録しました」
……なんなんだよ、それ。
言えば言うほど、全部ログにされていく。
こっちは“言わない”ことを選んでるのに、それすらも観察対象にされてしまう。
「だったら勝手にすれば。……どうせ、俺の心なんか、もう止まってるし」
背を向けた。
歩き出す。足音が、コンクリートに吸い込まれていく。
なのに、背中に届いた彼女の言葉が、なぜか俺の足を止めた。
「それでも、私は――再起動を試みます」
振り返ると、ユイリは小さく瞬きをしていた。
その目には何も映っていない。
でも、なぜか胸の奥が、すこしだけざわついた。
たぶんあれは、ただのプログラム。
でも、その“ただの”が、なぜこんなに気になるんだろう。
夜。
部屋の明かりだけが、時間を照らしている。
机の引き出しから取り出したのは、くしゃくしゃになった原稿用紙。
そこに書かれているのは、途中で止まったままの手紙。
母に渡せなかった。
渡したかったのに、できなかった。
「母さんへ。……元気ですか。いや、変な書き出しだな」
「本当は、ずっと言えなかったことがあります」
……あの日々を、誰にも記録されたくなかった。
それなのに、今日。
一日中、ユイリの声が頭の中でリピートされていた。
── chapter ending ──
◆ 記録しない願い
忘れたかったはずのことを、
なぜ今さら、
また思い出そうとしてるんだろう。
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